『全思考』(北野武)のレビュー・感想

生と死、教育、人間関係……
日本人が見て見ぬふりしてきた問題に、北野武が正面から向き合う!

全思考 (幻冬舎文庫)

もくじ

『全思考』のもくじ・概要

 

内容説明

地球温暖化も、携帯電話による人類総奴隷化も、すべての危機は、気づいたときには手遅れだ。道 具の発明で便利になれば、その分だけ人間の能力は退化する。人類は叡智を結集して、破滅しようとしているのか!?生死、教育、人間関係、作法、映画―五つ の角度から稀代の天才・北野武が現代社会の腐蝕を斬る。世界の真理に迫る傑作エッセイ。

目次

第1章 生死の問題
第2章 教育の問題
第3章 関係の問題
第4章 作法の問題
第5章 映画の問題

引用元:全思考 / 北野 武【著】 – 紀伊國屋書店ウェブストア

 

【本の概要】

  本書は、幻冬舎から刊行された、書き下ろしの作品です。本書が好評だったためか、4年後に『超思考』という書き下ろしの本が同じく幻冬舎から刊行されます。内容は、現代社会の問題をテーマごとに語るエッセイです。また、書きおろしなので、項目ごと、章ごとのまとまりがしっかりしています。そして「北野武」名義ということで、真面目で本格的な内容となっています。

 

 内容を簡潔に紹介すると、現代社会で人々が抱える問題の中でも、答えがなかなか出ないもの。そのために、多くの人が見て見ぬふりをしているものがテーマです。例えば1章の「生と死」ならば、最近は医療の問題、介護の問題、老後の問題など、「生きること」ばかりが取り沙汰されます。しかし人間は何時の時代でもどんな状況でも最後は死が待っています。いくら科学が発達しても、世の中が便利になっても、これは避けられない問題です。しかし、人々は死から顔をそむけて生きている。その一方で、死んだらどうなるかは死んでみなきゃわからない……。このように問題は非常に入り組んでいます。

 武さんは「生と死」の問題に対して、自身のこれまでの経験を軸に考えていきます。武さんは人生で何度も「死」を経験しています。大学を中退して浅草に飛び出した際には学生としての自分を殺し、フライデー事件では芸能人としての死を覚悟します。そして、バイク事故の際には文字通り死に直面しました。これらの経験を振り返って、生と死の問題とどう向き合えばいいか、本の中で語っています。

 

 また、2章の「教育」では、子育て、いじめ、夢、ニートなどの問題に切り込んでいきます。日本の教育では、学校でも家庭でも「平等」「夢」「自由」といった上っ面だけの綺麗事を並べています。しかしそこで武さんは、「本当のことを言う」のを重視します。世の中は残酷で、社会に出れば激しい競走が待っていて、大人の世界にもいじめはある。それらの事実を包み隠さず子供に伝え、折れない心を育てるべきだと言います。また、子供に夢を見せるのではなく、世の中で戦っていけるだけの武器を身につけさせるべきだと、言います

 

 このようにして、各テーマについて独自の考えを語っています。いろいろな角度から問題を眺め、その本質を見極めつつ、問題の核心を突く結論を導き出していく。ここが、本書の大きな特徴となっています。

 

『全思考』のおすすめポイント

武さんが経験した死

【死への恐怖】

 人の生き死には、誰にもコントロールできない、ただの産んだ。運ということは、自分だっていつ死ぬかわかったもんじゃない。そう考えたら鳥肌が立った。
 今、自分が死んだら、きっと何も残らない。北野武という人間が生きていたなんてことは、地面に落ちた雨粒の一滴が後から後から降ってくる大雨の中であっさり消されてしまうみたいに、すぐに忘れられる。(中略)自分の人生が空っぽだということが、無性に恐ろしかった。

引用元:北野武(2011)『全思考』第3版,幻冬舎,p.14

 中学時代に同級生が事故死、大学時代には京浜東北線の事故で知人が事故死。2つの身近な人間の急死を経験し、大学時代に無性に死が恐ろしくなったそうです。

 

 

【大学を辞める】

 だからあの時代は、いつも下を向いて歩いていたような気がする。
 いつも下を向いて、死に怯えていた。
(中略)
 ふと、とんでもないことを思いついた。
「そうだ、大学を辞めよう」
 どこからそういう考えが降ってきたかは、よく憶えていない。雲ひとつない空に稲妻が走るように、その考えが頭のなかで閃いた。飛び降り自殺でもするような気分だった。
(中略)
 あのとき、横断歩道を渡りながら見上げた新宿の空は、後にも先にも見たことがないくらい、真っ青に晴れ渡っていた。
(中略)
 少なくともその瞬間、死への恐れは跡形もなく消えていた。

引用元:北野武(2011)『全思考』第3版,幻冬舎,pp.21-22

 1970年、大学4年生の時代、学生運動が真っ盛りで大学は休講。新宿のジャズ喫茶などをフラフラしていた時の話です。このエピソードは他の著書でも幾度と無く登場するもので、武さんは「一種の自殺」と表現しています。現在とは違って大学に入るのが大変だった時代、卒業目前で中退し、しかも浅草で芸人を始めるというわけですから「自分を一度殺す」という表現も大げさではないかもしれません。

 

 

【バイク事故からの生還】

 まあ、そんなこんなで、オレは死地から生還した。生き延びたのは、同考えても、ただの運だと思う。そして気がついたら、生きていることに、あまり執着を感じなくなっていた。
(中略)
 俺はいつでも死ぬ覚悟はできているぜ、なんて、格好のいいことを言うつもりはない。
 ただ淡々と、いつ死んでもいいかなと思う。そういう意味じゃ、生きることにあんまり興味がないのだというしかない。

引用元:北野武(2011)『全思考』第3版,幻冬舎,p.32

 バイク事故を起こして瀕死の重傷を追った武さん。事故現場は暗い道の曲がり角で、運良く街頭に照らしだされていたために、後続車に轢かれず病院に運びだされます。顔はぐしゃぐしゃで、医師も免許証をみてようやく武さんだと気がつく。事故の記憶は全くなく、医師からは「下手をしたら子供時代までさかのぼって記憶が消失していたかも」と言われる。それでも命は助かり、記憶も消えず、顔も徐々に回復。

 リスクしかない状況で、最小限の傷で済み、その後はタレントとして復活。映画監督としても名声を得る。ここまで来ると、もはや「ただの運」と言ってしまうのも無理はありません。人の死に怯え、大学生としての自分を殺し、瀕死の重症から生還。そして辿り着いたのが「生きることへの興味があまりない」という状態。そんな武さんが、傍から見れば誰よりも「生き生きしている」のですから、不思議なものです。

 

 

【北野武の死生観】

 人類がこの地球上に出現して何百万年経ったか知らないが、死ななかった人間は一人もいない。人間はだれでも死ぬ。
 人生のゴールは死ぬことなのだ。競走なら、早くゴールに着いた方が勝ちだ。
 だったら、早く死んだほうが勝ちなんじゃないか。
 釈迦だって、生きることは苦しみだと言っている。それなら、生まれてすぐに死ぬのがいちばん幸せかもわからない。人生の苦しみを感じずにすむのだから。
 (中略)
 この世で起きることには、本来、何の色も着いていない。
 そこに、喜びだの悲しみだのの色を着けるのは人間だ。

引用元:北野武(2011)『全思考』第3版,幻冬舎,pp.40-41

 この言葉に説明は不要でしょう。その上で、武さんは死ぬことには一つだけメリットがあると言います。それは「死後の世界があるかどうかそこではっきりする」ということです。死んだらどうなるか? 死後の世界があればそれを見ることができる。無かったらそのままおしまい。

 死を否定したり、死を怖れたり、死から目を遠ざけるのではなく、死を肯定する。厳密に言えば、死を肯定も否定もしない。その代わり、生に過剰に期待しないこと。悟りの境地と言えば大げさかもしれませんが、それくらいのものだと考えておくのが、ちょうど良いのかもしれません

 

平等、競走と努力、本当の教育

【「平等」と言うことの残酷さ】

 戦後民主主義だかなんだかで、人間はみな平等ということになった。その平等は、あくまでも法の下の平等であって、金持ちも貧乏人も、同じ法律で裁かれて、同じ基本的人権を与えられますというだけの話だ。実際には、その平等だってかなり怪しいものだが、とりあえずタテマエとしては、そういうことになった。
 それで、勘違いしてしまった。人間はみな平等だ、と。
 法の前では平等であっても、人間そのものが平等なわけはない。
 顔だって、背の高さだって、頭の中身だって、百人いれば百通りだ。
(中略)
 なのに、どういうわけかみんな平等だってことにしたくて、努力すればなんとかなる、なんてことを言いだした。
 子供に「お前は馬鹿なんだから」と言うより、そっちの方がよっぽど残酷だ。

引用元:北野武(2011)『全思考』第3版,幻冬舎,pp.62-63

 物事には必ず本音とタテマエがあります。特に日本では、タテマエを大切にするのが文化として根付いています。しかし、そこで重要なのは、その裏にある意味、本音の部分もしっかり理解することです。「世の中は平等」「人間は平等」という言葉をそのまま受け取ってしまったら、社会で生きていくことはできなくなるでしょう。

 武さんの「本音を言わないことは残酷」という表現は、核心をついていると思います。いつまでもタテマエだけを教えられたら、その子供は社会に出てからかなり苦労することになるでしょう。

 

 

【努力を絶対視することの危険性】

 受験にしても、社会に出てからの競走にしても、将来は完全な勝ち抜き戦が待っているというのに、だ。
 その中で戦っていかなきゃならないのに、誰にでも無限の可能性があるなんてことにしてしまったから、逆に、落ちていく人間に対しては愛情の欠片もない。
(中略)
 誰にでも無限の可能性があるという前提では、お前の努力が足りないという結論で終わってしまう。

引用元:北野武(2011)『全思考』第3版,幻冬舎,pp.64-65

 「可能性には限界がある」と知っていれば、失敗した時にも努力だけでなく適正も考えて、再びチャレンジするようになります。しかし、「無限の可能性」というタテマエを認めてしまったら、失敗の原因は努力が足りなかったから、となります。適性のないことを延々と続けて、そのうち努力も信じられなくなり、後ろ向きな人間になってしまうでしょう。

 もちろん、努力をすることは大切です。必死に競争し、戦って、その先で別の選択肢もあると考えられるようになれば、本当の意味でその人の可能性は広がるでしょう。

 

 

【夢と現実/本当の教育】

 自分の子供が、なんの武器も持っていないことを教えておくのは、ちっとも残酷じゃない。それじゃ辛いというのなら、なんとか世の中を渡っていけるだけの武器を、子どもが見つける手助けをしてやることだ。
 それが見つからないのなら、せめて子どもが世の中に出たときに、現実に打ちのめされて傷ついても、生き抜いていけるだけのタフな心を育ててやるしかない。
(中略)
 欲しいものを手に入れるには、努力しなきゃいけない。だけど、どんなに努力しても駄目なら諦めるしかない。
 それが現実なのだということを、子どものうちに骨の髄まで叩き込んでおくことだ。

引用元:北野武(2011)『全思考』第3版,幻冬舎,pp.66

 現実的な視点から、確率の高い武器を身につけさせること。あるいは、強い心を育てること。シンプルですが、教育とはこういうことかもしれません。この2つを子どもに身につけさせてあげれば「普通の人生」「まあまあの人生」を送らせることはできるでしょう。

 

イジメの構造、オタクの心理

【イジメ問題も本音とタテマエの問題】

 今の教育のように、人は平等なんだからみんな手をつなぎましょうなんていうのは、裏で喧嘩しろといってるようなものだ。
 全員でリレーをさせて、負けたのは全員のせいだなんて教師が言ったって、ほんとうは誰のせいで負けたのかを、みんな知っている。
(中略)
 なのに、表じゃそういうことを言ってはいけないことになっているから、裏で延々と言い続けてしまう。序列がつけられないから、無抵抗な弱い子を叩いて自分の順位を仲間に誇示しようとする。

引用元:北野武(2011)『全思考』第3版,幻冬舎,p.70

 人間というものは不思議なことに、常にどこかに敵を作らないと、平和ではいられない生き物らしい。外に敵がいなくなれば、身内に敵を作る。
(中略)
 おそらくは、人間が群れて暮らすようになった瞬間から、イジメなんてものは延々と続いてきたに違いない。

引用元:北野武(2011)『全思考』第3版,幻冬舎,p.68

 先ほどの「平等」の話からつながってきて、今度はイジメの問題です。イジメもまた本音のタテマエの問題であり、タテマエがあたかも正しいかのように教育した結果が、裏での陰湿なイジメを生み出したというわけです

 そもそも、イジメは人類の歴史を見れば延々と継続しており、学校でも、会社でも、ママ友の間でも、さらには老人ホームでも、生まれてから死ぬまでイジメはあるのです。まずはその事実を受け止めることからです。では、イジメはどうすればいいか? これも先ほどの話ですでに答えは出ています。強い心を育てること、集団の中で上手く生きる方法を身につけることです。

 イジメがあることをまず認めなければ、イジメられないようにすること、集団の中で上手く生きる方法を考える事すら、できないでしょう

 

 

【オンリーワンとオタク】

 オンリーワンになれというのは、あなたにしかできないものを探せということだ。そうすりゃ、競走なんて面倒なことはしなくて済む。つまり、オンリーワンというのは、「誰も競争相手のいない世界を見つけて潜り込めば、あなたも一番になれますよ」と言っているだけのことなのだ。
(中略)
 負けるのは嫌だから、自分の子どもに負けを認めさせたくないから、努力することに価値があるとか、オンリーワンになれる世界を見つけなさいという。
 競走を否定するくせに、一番ということにはこだわる。
 オタクが増えるわけだ。

引用元:北野武(2011)『全思考』第3版,幻冬舎,p.80

 負けるから、競争するのは嫌だ。だけど一番になって、他人を見下したい。そういう甘ったれた未熟な心が、オタクの本質なんじゃないか?

引用元:北野武(2011)『全思考』第3版,幻冬舎,p.82

 争いを否定しながら、一番になることを望む。他人よりも上に立ちたい。その自己矛盾を解消するために、マイナーな世界に潜り込む。このような考え方は、うっかりすると誰もが陥ってしまいがちなものです

 ただ、武さんはオタクを全否定しているわけではありません。オタクには一つのことに熱中するエネルギーがある。そのエネルギーを上手く別のことに向ければ、世の中のために役立つ、と言います。学者は勉強オタク、ミュージシャンは音楽オタク、弁護士は法律オタクです。重要なのは、競走を否定しないこと。自分の能力をどうやって世の中や他人に役立てられるか、考える事だと思います。

 

感想

 思わず納得してしまう文章の数々。生死、教育、人間関係などなど、これからも人類と切っても切れない関係にあるテーマですので、長い間楽しめる内容となっています。「本気の北野武」の思考に、圧倒されること間違いなし! おすすめの1冊です!

 

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