【起源~60年代】洋楽ロックの歴史と年表①[出来事,事件,ムーブメント]

2018年1月14日

60年代後半:ロックの黄金期到来

1966年 サイケブーム、ジミヘン登場

重要作品・出来事
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1967年 ドアーズ、ヴェルヴェッツ、ピンク・フロイド登場

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アルバム

1968年 ディープ・パープル登場

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1969年 名盤大豊作、ハードロック/プログレ誕生

重要作品・出来事
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サイケデリック・ムーブメント(1966年頃~)
オルタモントの悲劇とチャールズ・マンソン

ベトナム戦争とヒッピー文化

 現在でもそうだが、とりわけこの時代はロックの歴史は社会的背景と密接な関係にある。1960年代には、ロックはベトナム戦争および反戦運動と結びついた。1960年にアメリカの軍事介入によってベトナム戦争が開始、反戦運動が起こる中で「ヒッピー文化」「フラワームーブメント」が起こった。

 かつてロックは体制に対する労働者の反発という点で文化と結びついていた。一方この時は、他国への軍事介入に対する反対運動ではあるが、民衆が求めたのは「自由や解放」であった。そこにはロックの中心にいたビートルズの影響がある。1964年頃からメンバーは薬物体験(大麻やLSDなど)をし、その時の体験や薬物に関する知識を曲作りに反映するようになる(『ラバー・ソウル』『リボルバー』など)。また、1966年頃からメンバーは楽曲にインド文化の影響を取り入れるようになる。中でも瞑想や精神解放といった面がクローズアップされた。

 ヒッピーの主張する「自由と解放」はまさにこの「薬物での快楽と精神解放」であり、音楽を通じて若者を中心にフラワームーブメントが形成されていった。

ヒッピー文化とサイケデリック・ムーブメント

 この時代はビートルズ以外にも多くのミュージシャンは薬物に手をだし、そこで得た感覚や経験を音楽で表現するようになった。サイケデリックロックの定義は様々なものがあるが――

  • オルガン、メロトロン、シンセサイザーなどの使用(いちご、ドアーズ、アーノルド)
  • 幻惑的なコーラス
  • 同一のフレーズ・リズムのループ
  • 低く抑揚のないメロディ

ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」(ビートルズ)
ハートに火をつけて」(ドアーズ)
アーノルド・レーン」(ピンクフロイド)

――といった特徴でまとめると、幅広くサイケデリックロックをカバーできると思う。また、

  • 薬物について歌っている
    She Said She Said」(ビートルズ)
    「White Rabbit」(ジェファーソン・エアプレイン)

 というのも、多くの曲に当てはまる。その他の定義はビートルズの影響がとにかく大きく感じる。

  • 支離滅裂・意味不明な歌詞
    I Am the Walrus」(ビートルズ)など
  • 効果音・生活音の利用、変拍子・変調、テープの逆回転利用など、前衛的な作風
  • シタール、タンブラなどのインド楽器(民族楽器)の使用

 これらの特徴を併せ持っているのはビートルズの名曲「トゥモロー・ネバー・ノウズ」。これを聞けばサイケの雰囲気をつかめるが、やはりアルバム単位で行くのがおすすめだ。最もサイケデリックなアルバムは何かと考えたら、ビートルズの『マジカル・ミステリー・ツアー』となる。タイトルからして怪しさ満載だが、名曲揃いの傑作。これを聞けば必ずサイケにはまる。そして、あのピンクフロイドのデビューアルバム『夜明けの口笛吹き』になる。シド・バレットの才能と、後のフロイドとの音楽性の違い、そして幸福感の裏に不気味さが潜む独特のサウンドを楽しむことができる。他にももっと恐ろしいアルバムや、薬なしでも精神世界を体験させてくれるアルバムはあるが、長くなりそうなのでこの辺でやめておく。

ウッドストックフェスティバルとオルタモントの悲劇

 だいぶ話が逸れたが、ヒッピーたちは「自由と解放」を叫びながら何をしていたか? 結局のところ、フリーコンサートに集まった若者がマリファナLSDで気持ち良くなり、一流ミュージシャンの演奏に高揚し、そのまま会場に設営したテントで男女が交わるということあった。まさに頭がお花畑のピープルだったわけだ。

 そんなヒッピー文化のハイライトは「ウッドストック・フェスティバル」(1969年8月)である。ニューヨーク近郊で行われたコンサートには数々のミュージシャンが参加したが、中でも名盤を完成させ演奏力も急成長していたザ・フー、全盛期のジミヘンのパフォーマンスが伝説として語り継がれている。

 しかし、それからわずか4か月後に開催された「オルタモント・フリーコンサート」がヒッピー文化の終焉を告げるものとなった。ストーンズ主催でアメリカツアーの最終日、新作発売に合わせたというコンサートだったが、計画や準備が不十分な状態で、なおかつ無料、会場の警備をバイカー集団(おっさんも交じってるヤンキー集団みたいなもの)に依頼するという、なんともガバガバナコンサートであった。この映像を実際に見たことがあるが、客の多くは酒とドラッグでラリっていて最前線の客は歓声を上げて泣きわめき、裸の姉ちゃんが狂ったように踊り、遠くの方ではテントで交わる男女、喧嘩を始める兄ちゃんという散々なありさま。ステージ上のアーティスト(ジェファーソンエアプレイン)も演奏をたびたび中断し「落ち着いて」「喧嘩をやめて」と宥めるありさま。ストーンズが登場すると当然のように客は興奮し、間もなく暴れる客を警備員が撲殺するという事件を起こしてしまう。後に「オルタモントの悲劇」と呼ばれ、ヒッピー文化の終焉を告げる象徴的な事件となった。

ベトナム戦争泥沼化とロックスターの死

 この時期には、ヒッピーの目を覚ますような事件がいくつも起こっている。一つは、ベトナム戦争の泥沼化だ。75年に米軍撤退によって「敗戦」するのだが、その直前には各地で虐殺事件が起こり、「自由と解放」などとのたまっていたヒッピーたちはその現実に「引いて」しまったのである。加えて、70年の前後に幾人ものロックスターがドラッグが引き金となり死亡、あるいは引退に追い込まれてしまう、

 ストーンズのブライアン・ジョーンズ、ジミ・ヘンドリックス、ピンクフロイドのシド・バレット、ジャニス・ジョプリン、ドアーズのジム・モリソンなど。わずか数年の間にスターが立て続けに表舞台から去り、ヒッピーだけでなくミュージシャンたちもサイケから目を覚ますこととなる。

チャールズ・マンソンの恐怖

 チャールズ・マンソンとは、聖書を独自解釈し狂信的カルト指導者となり、少年少女を洗脳して大量殺人事件を起こした人物である。彼はヒッピー文化に乗じて家出した若者と集団での共同生活を始め、ドラッグで洗脳し、少女を利用して男を洗脳し、洗脳した人たちに人殺しをさせるという狂った人物である。

 彼が恐ろしいのは、一部のアーティストとつながりを持ち、自作の曲をつくり、のちにそれが世に出ているということだ。その人物はビーチボーイズのデニス・ウィルソンである。超一流バンドのメンバーともつながっていたという事実は、彼が人心掌握に長けていたからか、あるいは行動力があったのか。いずれにしても、ヒッピーの目を覚ますにはうってつけの事件であった。

次世代のアーティストの出現

 ヒッピー文化の終焉と時を同じくして、60年代終盤にはこれまでにない音楽性をもったアーティストが次々とデビューしている。70年代のハードロック、プログレッシブロックにつながる面々だ。一方で、60年代のロックの象徴であったビートルズはメンバー間の不和などが表面化し、間もなく解散に追い込まれる。

 この流れは一時代の終焉と、新たな時代の幕開けを意味していた。一方で、69年の谷を乗り越えたアーティストも数多くいた。ローリングストーンズはその代表格である。また、60年代にビートルズらの陰に隠れていたアーティストも全盛期を迎える。ザ・フーやデヴィッド・ボウイがその代表格だろう。

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