【起源~60年代】洋楽ロックの歴史と年表①[出来事,事件,ムーブメント]

2018年3月7日

60年代前半:ロックの成長期

ブリティッシュ・インベンション(1964年頃~)
イギリス3大バンドの登場

ビートルズ旋風
「自作曲を演奏」する「ロック・バンド」の登場

 

 1950年代末、アメリカのロック黎明期の大御所が様々な事情でシーンから姿を消してしまった。新たなスターを求める中で、イギリス(=ブリティッシュ)からやってきた4人組のアイドルがビートルズである。彼らを筆頭にイギリスから次々とアーティストが進出し、アメリカ市場を席巻していく一連の流れを「ブリティッシュ・インベンション(侵攻)」と呼ぶ。

 ビートルズの登場は「バンド形態」「自作曲」「イギリス人」という三つのキーワードがポイント。今では定番となった「バンド」は、基本はボーカル(ギター)、ギター、ベース、ドラムの構成で、自分たちで演奏する。歌手とは別に作家が楽曲提供し、ライブではバックバンドを従えるのが当たり前だった当時としては画期的であり、後のロックのみならずポピュラーミュージックの常識ともなる。

 そして、イギリス人がアメリカのビルボードチャートにヒット曲を乗せるというのも、実質的にビートルズが初めてだった。しかも彼らは、長期に渡ってチャートを独占し、出す曲全てがヒットした。ビートルズの成功によって、イギリスから数多くのアーティストがやってきて、現在に至るまでのポピュラーミュージックの世界を作ったと言ってもいい。

ヒット作連発~アメリカ進出

 デビューして間もなく、ビートルズは「プリーズ・プリーズ・ミー」のヒットで本国イギリスで人気が集まり、1963年に発売した『プリーズ・プリーズ・ミー』『ウィズ・ザ・ビートルズ』は爆発的なヒットを記録し、その年の英国チャート1位を2枚のアルバムでほぼ独占した。当時のアルバムは自作曲とアメリカのソウル、R&Bのカバーが半々といったところ。イギリスでの人気は早くも絶頂を迎えた。

 一方アメリカでのヒットまではしばらくの時間がかかる。当初は大手レコード会社に相手にされなかったが、じわじわと人気が上がるのを見て「キャピトル・レコード」から「抱きしめたい」が発売されるとビルボード1位を獲得、遅れて「シー・ラヴズ・ユー」もキャピトルから発売され全米1位を獲得(イギリスでは発売純は逆)した。

ローリング・ストーンズ
「ビートルズのライバル」&「ブルース・ロック」

 

 ビートルズがアメリカ進出に成功した1964年、本国イギリスではローリングストーンズとのチャート争いを繰り広げていた。ストーンズもファーストアルバムがイギリスで大ヒットを記録し、間もなくアメリカ進出に乗り出す。ビルボード1位に初めて輝いたのは、1965年に発売された「サティスファクション」。同曲収録の「アウト・オブ・アワ・ヘッズ」が3週連続で全米1位を記録し、アメリカ進出に成功。

 当時のストーンズは黒人ブルースへの傾倒が色濃く、ミックジャガーのねちっこく、押しつぶしたような独特の歌唱法はまさに「黒人的」であった。そして、アイドル的な売り出し方をされたビートルズに対し、「不良のストーンズ」などと呼ばれた。

 イギリスではこの2大バンドにザ・フー(+キンクス)を加えて「英3大(4大)バンド」と称され、それぞれアメリカ進出を果たし、独自の路線を歩むこととなる(キンクスはモッズムーブメントの代表格であったが、イギリスにおける「民族的」な背景を取り入れ、後にコンセプト・アルバムの先駆けとなる作品を発表。ザ・フーは次で紹介)。

ザ・フー
モッズ・ムーブメントとパンク的サウンド

 

 ビートルズ、ストーンズに少し遅れて登場するのがザ・フー。3大バンドの中では最もイギリスっぽいバンドかもしれない。英国内では革ジャンにリーゼントという「ロッカー」という若者の集団がおり、対抗勢力としてモッズコートと装飾した原付を乗り回す「モッズ」がいた。そもそもロッカーはアメリカ文化の影響を受けており、「お前らイギリス人だろ」ってことでモッズが対抗したという構図だ。

 ただし、モッズはファッションや思想的な分類であり、そのファッションでザ・フーが売り出されたというだけ。音楽的にはパンクに近い。シンプルで攻撃的なサウンドである。こういった点が、他のバンドとは異なる。

 バンドは60年代の大半はシングル曲のヒットで食いつなぎ、ストーンズとビートルズにはなかなか追いつけないでいた。その花が開くのは60年代終盤になってからだ。そこでコンセプト・アルバム、ロック・オペラといった新たなテーマ、表現手法と出会い、1970年前後にはストーンズらと同等、それ以上のところまで成長する。ハード・ロックやプログレッシブ・ロックの先駆者となり、現在までレジェンドとして語り継がれている。全盛期のザ・フーの迫力たるや半端ではない。

 このようにして、60年代~70年代のアメリカのロック市場は大半がイギリス勢で占められることとなる。このようなイギリス勢の侵攻は現在に至るまで幾度となく見られ、ロックを語る上では英米の2大国の構図は欠かせないものとなる。

フォーク・ロックの誕生(1964~1965年)
エレキギターを持ったボブディラン

 

 ロック黎明期の項でも説明したが、フォーク・リバイバルの流れに乗ったボブディランは、後にエレキギターを使用するようになり、フォーク・ロック誕生の象徴的存在となった。このディランのエレキ化は非常に有名な話であるが、ここにはビートルズらの影響がある。

 ブリティッシュインベンション以前にディランはアメリカで活躍しており、例えばジョンレノンなどはその影響を強く受けた。一方で、ビートルズらが持ち込んだポップ的な要素やエレキギターを含むバンド形式の音は、ディランらのフォーク勢(伝統的なフォークはアコースティック)に影響を与え、それらが融合したフォーク・ロックへと進化を遂げる。

 ディランのエレキ化はフォークファンに「裏切り行為」などと批判を浴びる。ロックはもともとフォークと同じく「反体制的」な要素を持っていたが、60年代中ごろにはロックはすでにカルチャーの中心にあり、商業的な音楽となっていた。一方で、フォークはあくまで反体制的な要素であり、その根底には体制のあおりを受ける市民や労働者があった。そのために、ロックとフォークは似て非なるものであったわけだ。

 話を戻すと、フォーク・ロックのアーティストにはザ・バーズがいる。彼らのデビューシングル「ミスター・タンブリン・マン」はディランのカバーであるが、これがフォークとフォークロックの中間的な楽曲となっており、その変化の狭間を知ることが出来る。

 

 ディランのエレキ化の象徴となるのは、この項の初めにあげた「ライク・ア・ローリングストーン」だが、その以前からすでにその兆候があった。いずれにしても、この頃にフォーク・ロックが誕生したわけだ。

60年代後半:ロックの黄金期到来

サイケデリック・ムーブメント(1966年頃~)
オルタモントの悲劇とチャールズ・マンソン

ベトナム戦争とヒッピー文化

 現在でもそうだが、とりわけこの時代はロックの歴史は社会的背景と密接な関係にある。1960年代には、ロックはベトナム戦争および反戦運動と結びついた。1960年にアメリカの軍事介入によってベトナム戦争が開始、反戦運動が起こる中で「ヒッピー文化」「フラワームーブメント」が起こった。

 かつてロックは体制に対する労働者の反発という点で文化と結びついていた。一方この時は、他国への軍事介入に対する反対運動ではあるが、民衆が求めたのは「自由や解放」であった。そこにはロックの中心にいたビートルズの影響がある。1964年頃からメンバーは薬物体験(大麻やLSDなど)をし、その時の体験や薬物に関する知識を曲作りに反映するようになる(『ラバー・ソウル』『リボルバー』など)。また、1966年頃からメンバーは楽曲にインド文化の影響を取り入れるようになる。中でも瞑想や精神解放といった面がクローズアップされた。

 ヒッピーの主張する「自由と解放」はまさにこの「薬物での快楽と精神解放」であり、音楽を通じて若者を中心にフラワームーブメントが形成されていった。

ヒッピー文化とサイケデリック・ムーブメント

 

 この時代はビートルズ以外にも多くのミュージシャンは薬物に手をだし、そこで得た感覚や経験を音楽で表現するようになった。サイケデリックロックの定義は様々なものがあるが――

  • オルガン、メロトロン、シンセサイザーなどの使用(いちご、ドアーズ、アーノルド)
  • 幻惑的なコーラス
  • 同一のフレーズ・リズムのループ
  • 低く抑揚のないメロディ

ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」(ビートルズ)
ハートに火をつけて」(ドアーズ)
アーノルド・レーン」(ピンクフロイド)

――といった特徴でまとめると、幅広くサイケデリックロックをカバーできると思う。また、

  • 薬物について歌っている
    She Said She Said」(ビートルズ)
    「White Rabbit」(ジェファーソン・エアプレイン)

 というのも、多くの曲に当てはまる。その他の定義はビートルズの影響がとにかく大きく感じる。

  • 支離滅裂・意味不明な歌詞
    I Am the Walrus」(ビートルズ)など
  • 効果音・生活音の利用、変拍子・変調、テープの逆回転利用など、前衛的な作風
  • シタール、タンブラなどのインド楽器(民族楽器)の使用

 これらの特徴を併せ持っているのはビートルズの名曲「トゥモロー・ネバー・ノウズ」。これを聞けばサイケの雰囲気をつかめるが、やはりアルバム単位で行くのがおすすめだ。最もサイケデリックなアルバムは何かと考えたら、ビートルズの『マジカル・ミステリー・ツアー』となる。タイトルからして怪しさ満載だが、名曲揃いの傑作。これを聞けば必ずサイケにはまる。そして、あのピンクフロイドのデビューアルバム『夜明けの口笛吹き』になる。シド・バレットの才能と、後のフロイドとの音楽性の違い、そして幸福感の裏に不気味さが潜む独特のサウンドを楽しむことができる。他にももっと恐ろしいアルバムや、薬なしでも精神世界を体験させてくれるアルバムはあるが、長くなりそうなのでこの辺でやめておく。

ウッドストックフェスティバルとオルタモントの悲劇

 だいぶ話が逸れたが、ヒッピーたちは「自由と解放」を叫びながら何をしていたか? 結局のところ、フリーコンサートに集まった若者がマリファナLSDで気持ち良くなり、一流ミュージシャンの演奏に高揚し、そのまま会場に設営したテントで男女が交わるということあった。まさに頭がお花畑のピープルだったわけだ。

 そんなヒッピー文化のハイライトは「ウッドストック・フェスティバル」(1969年8月)である。ニューヨーク近郊で行われたコンサートには数々のミュージシャンが参加したが、中でも名盤を完成させ演奏力も急成長していたザ・フー、全盛期のジミヘンのパフォーマンスが伝説として語り継がれている。

 しかし、それからわずか4か月後に開催された「オルタモント・フリーコンサート」がヒッピー文化の終焉を告げるものとなった。ストーンズ主催でアメリカツアーの最終日、新作発売に合わせたというコンサートだったが、計画や準備が不十分な状態で、なおかつ無料、会場の警備をバイカー集団(おっさんも交じってるヤンキー集団みたいなもの)に依頼するという、なんともガバガバナコンサートであった。この映像を実際に見たことがあるが、客の多くは酒とドラッグでラリっていて最前線の客は歓声を上げて泣きわめき、裸の姉ちゃんが狂ったように踊り、遠くの方ではテントで交わる男女、喧嘩を始める兄ちゃんという散々なありさま。ステージ上のアーティスト(ジェファーソンエアプレイン)も演奏をたびたび中断し「落ち着いて」「喧嘩をやめて」と宥めるありさま。ストーンズが登場すると当然のように客は興奮し、間もなく暴れる客を警備員が撲殺するという事件を起こしてしまう。後に「オルタモントの悲劇」と呼ばれ、ヒッピー文化の終焉を告げる象徴的な事件となった。

ベトナム戦争泥沼化とロックスターの死

 この時期には、ヒッピーの目を覚ますような事件がいくつも起こっている。一つは、ベトナム戦争の泥沼化だ。75年に米軍撤退によって「敗戦」するのだが、その直前には各地で虐殺事件が起こり、「自由と解放」などとのたまっていたヒッピーたちはその現実に「引いて」しまったのである。加えて、70年の前後に幾人ものロックスターがドラッグが引き金となり死亡、あるいは引退に追い込まれてしまう、

 ストーンズのブライアン・ジョーンズ、ジミ・ヘンドリックス、ピンクフロイドのシド・バレット、ジャニス・ジョプリン、ドアーズのジム・モリソンなど。わずか数年の間にスターが立て続けに表舞台から去り、ヒッピーだけでなくミュージシャンたちもサイケから目を覚ますこととなる。

チャールズ・マンソンの恐怖

 チャールズ・マンソンとは、聖書を独自解釈し狂信的カルト指導者となり、少年少女を洗脳して大量殺人事件を起こした人物である。彼はヒッピー文化に乗じて家出した若者と集団での共同生活を始め、ドラッグで洗脳し、少女を利用して男を洗脳し、洗脳した人たちに人殺しをさせるという狂った人物である。

 彼が恐ろしいのは、一部のアーティストとつながりを持ち、自作の曲をつくり、のちにそれが世に出ているということだ。その人物はビーチボーイズのデニス・ウィルソンである。超一流バンドのメンバーともつながっていたという事実は、彼が人心掌握に長けていたからか、あるいは行動力があったのか。いずれにしても、ヒッピーの目を覚ますにはうってつけの事件であった。

次世代のアーティストの出現

 ヒッピー文化の終焉と時を同じくして、60年代終盤にはこれまでにない音楽性をもったアーティストが次々とデビューしている。70年代のハードロック、プログレッシブロックにつながる面々だ。一方で、60年代のロックの象徴であったビートルズはメンバー間の不和などが表面化し、間もなく解散に追い込まれる。

 この流れは一時代の終焉と、新たな時代の幕開けを意味していた。一方で、69年の谷を乗り越えたアーティストも数多くいた。ローリングストーンズはその代表格である。また、60年代にビートルズらの陰に隠れていたアーティストも全盛期を迎える。ザ・フーやデヴィッド・ボウイがその代表格だろう。

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