【起源~60年代】洋楽ロックの歴史と年表①[出来事,事件,ムーブメント]

2018年1月14日

60年代前半:ロックの成長期

(……解説あり)

1961年

1962年

1963年

1964年 ビートルズ旋風、ボウイ、ザ・フー登場

重要作品・出来事
  • アメリカでビートルズ旋風が巻き起こり、ローリングストーンズらと共に「ブリティッシュ・インベンション」を巻き起こす(★後半にて解説あり)
デビュー

アルバム

1965年 フォーク・ロック誕生

重要作品・出来事
  • 8月  ボブディラン『追憶のハイウェイ61』(alb)発売。それまでの曲調を変えてロックを取り入れ、フォーク・ロック誕生の象徴となる(★)
デビュー
アルバム・シングル

ブリティッシュ・インベンション(1964年頃~)
イギリス3大バンドの登場

ビートルズ旋風
「自作曲を演奏」する「ロック・バンド」の登場

 1950年代末、アメリカのロック黎明期の大御所が様々な事情でシーンから姿を消してしまった。新たなスターを求める中で、イギリス(=ブリティッシュ)からやってきた4人組のアイドルがビートルズである。彼らを筆頭にイギリスから次々とアーティストが進出し、アメリカ市場を席巻していく一連の流れを「ブリティッシュ・インベンション(侵攻)」と呼ぶ。

 ビートルズの登場は「バンド形態」「自作曲」「イギリス人」という三つのキーワードがポイント。今では定番となった「バンド」は、基本はボーカル(ギター)、ギター、ベース、ドラムの構成で、自分たちで演奏する。歌手とは別に作家が楽曲提供し、ライブではバックバンドを従えるのが当たり前だった当時としては画期的であり、後のロックのみならずポピュラーミュージックの常識ともなる。

 そして、イギリス人がアメリカのビルボードチャートにヒット曲を乗せるというのも、実質的にビートルズが初めてだった。しかも彼らは、長期に渡ってチャートを独占し、出す曲全てがヒットした。ビートルズの成功によって、イギリスから数多くのアーティストがやってきて、現在に至るまでのポピュラーミュージックの世界を作ったと言ってもいい。

ヒット作連発~アメリカ進出

 デビューして間もなく、ビートルズは「プリーズ・プリーズ・ミー」のヒットで本国イギリスで人気が集まり、1963年に発売した『プリーズ・プリーズ・ミー』『ウィズ・ザ・ビートルズ』は爆発的なヒットを記録し、その年の英国チャート1位を2枚のアルバムでほぼ独占した。当時のアルバムは自作曲とアメリカのソウル、R&Bのカバーが半々といったところ。イギリスでの人気は早くも絶頂を迎えた。

 一方アメリカでのヒットまではしばらくの時間がかかる。当初は大手レコード会社に相手にされなかったが、じわじわと人気が上がるのを見て「キャピトル・レコード」から「抱きしめたい」が発売されるとビルボード1位を獲得、遅れて「シー・ラヴズ・ユー」もキャピトルから発売され全米1位を獲得(イギリスでは発売純は逆)した。

ブルース色の強いストーンズの登場

 ビートルズがアメリカ進出に成功した1964年、本国イギリスではローリングストーンズとのチャート争いを繰り広げていた。ストーンズもファーストアルバムがイギリスで大ヒットを記録し、間もなくアメリカ進出に乗り出す。ビルボード1位に初めて輝いたのは、1965年に発売された「サティスファクション」。同曲収録の「アウト・オブ・アワ・ヘッズ」が3週連続で全米1位を記録し、アメリカ進出に成功。

 当時のストーンズは黒人ブルースへの傾倒が色濃く、ミックジャガーのねちっこく、押しつぶしたような独特の歌唱法はまさに「黒人的」であった。そして、アイドル的な売り出し方をされたビートルズに対し、「不良のストーンズ」などと呼ばれた。

 イギリスではこの2大バンドにザ・フー(+キンクス)を加えて「英3大(4大)バンド」と称され、それぞれアメリカ進出を果たし、独自の路線を歩むこととなる(キンクスはモッズムーブメントの代表格であったが、イギリスにおける「民族的」な背景を取り入れ、後にコンセプト・アルバムの先駆けとなる作品を発表。ザ・フーは次で紹介)。

モッズ、パンクからスタートしたザ・フー

 

 ビートルズ、ストーンズに少し遅れて登場するのがザ・フー。3大バンドの中では最もイギリスっぽいバンドかもしれない。英国内では革ジャンにリーゼントという「ロッカー」という若者の集団がおり、対抗勢力としてモッズコートと装飾した原付を乗り回す「モッズ」がいた。そもそもロッカーはアメリカ文化の影響を受けており、「お前らイギリス人だろ」ってことでモッズが対抗したという構図だ。

 ただし、モッズはファッションや思想的な分類であり、そのファッションでザ・フーが売り出されたというだけ。音楽的にはパンクに近い。シンプルで攻撃的なサウンドである。こういった点が、他のバンドとは異なる。

 バンドは60年代の大半はシングル曲のヒットで食いつなぎ、ストーンズとビートルズにはなかなか追いつけないでいた。その花が開くのは60年代終盤になってからだ。そこでコンセプト・アルバム、ロック・オペラといった新たなテーマ、表現手法と出会い、1970年前後にはストーンズらと同等、それ以上のところまで成長する。ハード・ロックやプログレッシブ・ロックの先駆者となり、現在までレジェンドとして語り継がれている。全盛期のザ・フーの迫力たるや半端ではない。

 このようにして、60年代~70年代のアメリカのロック市場は大半がイギリス勢で占められることとなる。このようなイギリス勢の侵攻は現在に至るまで幾度となく見られ、ロックを語る上では英米の2大国の構図は欠かせないものとなる。

フォーク・ロックの誕生(1964~1965年)
エレキギターを持ったボブディラン

 ロック黎明期の項でも説明したが、フォーク・リバイバルの流れに乗ったボブディランは、後にエレキギターを使用するようになり、フォーク・ロック誕生の象徴的存在となった。このディランのエレキ化は非常に有名な話であるが、ここにはビートルズらの影響がある。

 ブリティッシュインベンション以前にディランはアメリカで活躍しており、例えばジョンレノンなどはその影響を強く受けた。一方で、ビートルズらが持ち込んだポップ的な要素やエレキギターを含むバンド形式の音は、ディランらのフォーク勢(伝統的なフォークはアコースティック)に影響を与え、それらが融合したフォーク・ロックへと進化を遂げる。

 ディランのエレキ化はフォークファンに「裏切り行為」などと批判を浴びる。ロックはもともとフォークと同じく「反体制的」な要素を持っていたが、60年代中ごろにはロックはすでにカルチャーの中心にあり、商業的な音楽となっていた。一方で、フォークはあくまで反体制的な要素であり、その根底には体制のあおりを受ける市民や労働者があった。そのために、ロックとフォークは似て非なるものであったわけだ。

 話を戻すと、フォーク・ロックのアーティストにはザ・バーズがいる。彼らのデビューシングル「ミスター・タンブリン・マン」はディランのカバーであるが、これがフォークとフォークロックの中間的な楽曲となっており、その変化の狭間を知ることが出来る。

 ディランのエレキ化の象徴となるのは、この項の初めにあげた「ライク・ア・ローリングストーン」だが、その以前からすでにその兆候があった。いずれにしても、この頃にフォーク・ロックが誕生したわけだ。