地図付きで楽しむ『津軽』太宰治 – あらすじ(要約)[考察,解説,感想]

2018年3月7日

本編4 – 津軽の歴史と生家のある金木町

 本編の1~3で、太宰は故郷の津軽を訪れ、津軽半島の東海岸を北上していき、最北端の竜飛岬まで行きました。本編の4の冒頭ではまず、津軽の歴史についていろいろと書かれています。津軽人のルーツを辿るべく、かなり古い時代まで話はおよびますが、肝心の津軽に関する記述は、歴史書などにはほとんど載っていません。

 東北の中でも、盛岡、あるいは平泉を有する岩手などは、歴史について話題が豊富です。しかし、青森の中でも津軽半島のあたりまで北へ来ると、情報は皆無です。そんな中でも、いくつかの文献をあたって、太宰がまとめた津軽の歴史の概要を引用しておきます。

いまの青森県の太平洋寄りの地方は古くから糠部ぬかのぶと 称する蝦夷地であつたが、鎌倉時代以後、ここに甲州武田氏の一族南部氏が移り住み、その勢ひ頗る強大となり、吉野、室町時代を経て、秀吉の全国統一に到る まで、津軽はこの南部と争い、津軽に於いては安東氏のかわりに津軽氏が立ち、どうやら津軽一国を安堵し、津軽氏は十二代つづいて、明治維新、藩主承昭は藩 籍を謹んで奉還したというのが、まあ、津軽の歴史の大略である。

引用元:「津軽」(青空文庫)

 さて、太宰は竜飛岬の傍にある旅館で一晩過ごし、その後は徒歩、バス、船、電車を乗り継いで、一日かけて実家のある金木へ戻ります。津軽半島の中央には、半島を東西に分けるようにして山脈があるため、ぐるりと迂回する必要があり、時間がかかってしまうのです。

斜陽館(太宰の生家)
斜陽館(太宰治の生家) by dishhh

 実家には夜に到着します。実家には、兄弟の他、兄嫁、姪っ子などがいました。一日挟んで、太宰は姪っ子の陽子と、その旦那さんと、それから使用人のアヤ(津軽地方における「爺や」の意)とともに、近所の高流というなだらかな小山へ遊びに行きます。

 山の途中には皇室御用達の修練農場があり、立派なつくりで設備も整っている上、畑、果樹園、水田が素晴らしい景色をつくっています。地主である旦那さんも感心するほどのものです。水田の尽きた先には津軽富士の名で知られる岩木山が浮かび上がっています。そして高流の頂上からは、津軽の河川や湖沼のほか、日本海側の海岸線が一望できるのです。さらに、次の日は、長兄夫婦も一緒に、金木の東にある鹿の子川溜池へ行きます。

 この金木での数日の間、太宰はアヤの真面目ながら愛嬌のある人柄に触れたり、近寄りがたかった兄についていろいろと思いをはせたりします。


より大きな地図で 津軽(金木周辺) を表示

本編5 – 地方の権力者だった父と、養母「越野たけ」

 太宰の旅もいよいよ終盤です。故郷の金木から五所川原へ行き、五能線に乗って木造(きづくり)という町へ行きます。ここは太宰の父親の生家があります。父は木造の旧家の三男であり、津島家(太宰の実家)には婿養子としてやってきました。県議員や国会議員であった父は多忙で、太宰が14歳の時に亡くなりました。そんな謎の多い父の故郷を、太宰は一度見ておきたかったのです。

 それから太宰は五能線に乗って青森県の日本海側を南へ進み、2時間ほどかかけて深浦という町に行きます。深浦はかつて秋田領であったこともあり、津軽独特の雰囲気はありません。そして深浦との対比から、太宰は、津軽半島の存在意義のようなものを見出します。それを彼は「日本の文華が小さく完成して行きづまっている時、この津軽地方の大きい未完成が、どれだけ日本の希望になっているか」と表現します。

  深浦にて一泊した後、太宰は五能線を引き返します。そして昼過ぎに五所川原へ戻ります。五所川原にて、太宰が若い頃に世話になった中畑さんを訪ねます。そして、太宰は中畑さんの娘の案内で、五所川原に住む叔母を訪ねます。

 翌日、太宰は津軽半島の北部、日本海側にある小泊という町を目指します。太宰は旅の最後に、幼い頃の記憶に強く残っている、養母の「越野たけ」を訪ねようと思ったのです。太宰の母は病身であり、生まれて間もなく乳母に預けられます。そして3歳になって、太宰の実家の女中としてやってきて、乳母の代わりに子守をしたのが「越野たけ」です。その時、たけはまだ14歳の少女でした。

 たけは幼い太宰に本読みを教えます。とにかく本をたくさん読ませて教育し、太宰の人格形成に大きく影響した人物です。そんなたけは、太宰が8歳の時に突然家を去ってしまいます。その後一度だけ顔を合わせたものの口は利かず、それきりたけには会っていません。

越野たけとの感動の再会

 津軽鉄道を北上し、終電の中里からはバスに乗り変え、2時間かけて小泊を目指します。太宰は「越野たけ」という本名だけを頼りにたけを探します。そして、たけの家は見つけたものの、留守であり、探しまわっても見つからず、いよいよ帰ろうかというところで、たけの娘を見つけます。たけは娘の運動会を見に行っており、たまたまその娘が腹痛で家に薬をとりに戻ってきたというわけです。そして太宰は、実に四半世紀ぶりに、たけと再開します。

(中略)たけが出て来た。たけは、うつろな眼をして私を見た。
「修治だ。」私は笑って帽子をとった。
「あらあ。」それだけだった。笑いもしない。まじめな表情である。でも、すぐにその硬直の姿勢を崩して、さりげないような、へんに、あきらめたような弱い口調で、「さ、はいって運動会を。」と言って、たけの小屋に連れて行き、「ここさお坐りになりせえ。」とたけの傍に坐らせ、たけはそれきり何も言わず、きちんと正座してそのモンペの丸い膝にちゃんと両手を置き、子供たちの走るのを熱心に見ている。

太宰治 津軽 – 青空文庫」より

 四半世紀ぶりの再開ともなると、人は大喜びするか、驚きのあまりあえて素っ気ない態度になってしまうかのどちらかなのでしょう。交す言葉は少なく、隣に座らせて娘の運動会を一緒に見る。このシーンは、何とも言えない雰囲気があります。

 太宰自身も、本の中では次のように心情を表現しています。

平和とは、こんな気持の事を言うのであろうか。もし、そうなら、私はこの時、生れてはじめて心の平和を体験したと言ってもよい。

太宰治 津軽 – 青空文庫」より

  たけは太宰に餅をすすめますが「いらない」と言う太宰に「餅よりも酒だもんな」と言います。太宰が笑うと、たけは眉をひそめ、「さっきから煙草ばかり吸って。私はお前に本読みは教えたけど、酒やタバコは教えなかったよ」と言うのです。思わず真面目な顔になってしまった太宰を見て、たけは笑います。幼い頃に短い期間とは言え「親子」だった二人。その関係性が今も残っているとわかる、良いシーンです。

 たけとの再会をもって、津軽の物語は終わりを迎えます。最後に、たけが太宰にかけた言葉を引用して、終わりにしたいと思います。

「久し振りだなあ。はじめは、わからなかった。金木の津島と、うちの子供は言ったが、まさかと思った。まさか、来てくれるとは思はなかった。小屋から出てお前の顔を見ても、わからなかった。修治だ、と言われて、あれ、と思ったら、それから、口がきけなくなった。運動会も何も見えなくなった。三十年ちかく、たけはお前に逢いたくて、逢えるかな、逢えないかな、とそればかり考へて暮していたのを、こんなにちゃんと大人になって、たけを見たくて、はるばると小泊までたずねて来てくれたかと思うと、ありがたいのだか、うれしいのだか、かなしいのだか、そんな事は、どうでもいいぢゃ、まあ、よく来たなあ、お前の家に奉公に行った時には、お前は、ぱたぱた歩いてはころび、ぱたぱた歩いてはころび、まだよく歩けなくて、ごはんの時には茶碗を持ってあちこち歩きまわって、くらの石段の下でごはんを食べるのが一ばん好きで、たけに昔噺むがしこ語らせて、たけの顔をとつくと見ながら一匙づつ養わせて、手かずもかかったが、ごくてのう、それがこんなにおとなになって、みな夢のようだ。金木へも、たまに行ったが、金木のまちを歩きながら、もしやお前がその辺に遊んでいないかと、お前と同じ年頃の男の子供をひとりひとり見て歩いたものだ。よく来たなあ。」

太宰治 津軽 – 青空文庫」より


より大きな地図で 津軽(太平洋側) を表示

おわりに(感想)

 前半で太宰は、旧友と共に毎日酒を飲み、その勢いのままに津軽半島東海岸を北上。そこでは、これといった歴史のない津軽に困惑し、あるいは僻地の厳しい環境に圧倒されます。そして後半では、実家に戻り、金木周辺の自然環境に美しさを見出し、さらには日本海側を南下していき、彼なりの「津軽半島」の姿を見出します。そしてラストでは、彼の幼少の思い出の人物を訪ね、感動のクライマックスとなります。

 こうして見ていくと、紀行文でありながら、津軽の姿がいろいろと変化していくところに、物語性があります。そして、太宰自身が作中で言っているように、人との心の触れ合いをテーマに、津軽を読み解いた作品となっています。

私はこのたびの旅行で見て来た町村の、地勢、地質、天文、財政、沿革、教育、衛生などに就いて、専門家みたいな知ったかぶりの意見は避けたいと思う。私がそれを言ったところで、所詮は、一夜勉強の恥ずかしい軽薄の鍍金めつきで ある。それらに就いて、くわしく知りたい人は、その地方の専門の研究家に聞くがよい。私には、また別の専門科目があるのだ。世人は仮りにその科目を愛と呼 んでいる。人の心と人の心の触れ合いを研究する科目である。私はこのたびの旅行に於いて、主としてこの一科目を追及した。

引用元:「津軽」(青空文庫)

 そして何より、「津軽」は太宰の生い立ちや故郷について知ることができます。津軽に登場する町やスポットには、太宰関連の観光施設や石碑、銅像などが揃っています。実際、作品での太宰の行程を辿るように旅をしている方も、たくさんいるようです。

参考文献等
  • 『津軽 (新潮文庫)』(新潮社,2012,第121刷)
  • 東京紅團」(2013年8月6日アクセス)

太宰治

Posted by hirofumi