実は裏のテーマが!?『杜子春』芥川龍之介 – あらすじ(要約)[考察,解説,感想]

2018年5月18日

中国の古典作品を芥川龍之介が童話化


蜘蛛の糸・杜子春 (新潮文庫)

もくじ

<『杜子春』芥川龍之介 – あらすじ>
  • 古典作品を芥川流に解釈
  • 簡単なあらすじで作品を理解!
    • 仙人から大金をもらう青年
    • 仙人への弟子入りと厳しい修行
    • ついに声を出してしまう杜子春
    • 仙人の思わぬ行動
<考察(解説)>
  • テーマは人間の情
  • もう一つのテーマ「幸福とは何か?」
  • もし杜子春が修行に耐えたら?(注目!)
    • 仙子春をからかって遊ぶ仙人
    • 久しぶりに人間の情を見たくなった仙人
    • 裏テーマ「欲を突き詰めれば幸福になれる」

芥川龍之介まとめ

あらすじ

古典作品を芥川流に解釈

 この杜子春という物語は、元は中国の古典作品であり、それを芥川が童話化したものとなっています。そもそも芥川龍之介の作品のいくつかは、有名な「羅生門」などを始めとして、王朝物というジャンルに属します。王朝物とは、平安時代を舞台に、「今昔物語」などの古典作品を参考にした作品群です。当時の物語に登場する事物について、近代的な解釈をするというものです。

簡単なあらすじで作品を理解!

仙人から大金をもらう青年

 元金持ちの貧乏青年「杜子春(とししゅん)」が路上で仙人に会い、大金を手にします。しかし豪遊してすぐに使い果たしてしまい、再び貧乏になります。そこでもまた仙人に会い、また同じ事を繰り返します。そして、三度目に仙人に会った際、杜子春はお金はもういらないと言います。お金の有無によって顔色を変える周囲の人間に嫌気がさしたのです。

仙人への弟子入りと厳しい修行

 お金はもういらない。その代わりに弟子にしてくれと、杜子春は仙人に頼みます。すると、仙人は杜子春に「何があっても声を出すな」とだけ言い、杜子春を谷底に残して去っていきます。それから杜子春は、化け物に襲われ、殺され、地獄に落ち、ありとあらゆる苦しみを味合わされますが、仙人との約束を守って黙っていました。

ついに声を出してしまう杜子春

 しかし、目の前で閻魔大王と鬼に両親がいたぶられる姿を目の当たりにします。そして、命の危険に晒されながらも杜子春をかばう母親の姿を見て、ついに杜子春は声を上げてしまいます。そこで杜子春は目を覚まします。

仙人の思わぬ行動

 仙人の修行には耐えられなかったものの、杜子春は今後はお金に左右されず、人間らしい平凡な生き方をしようと決めます。そんな杜子春の前に仙人が現れ「もしあの時お前が声を出さなかったら、お前を殺していたところだ」と言いました。そして、無一文の杜子春に家と畑を残し、去っていくのでした。

考察(解説)

テーマは人間の情

 この物語のテーマは人間の情です。杜子春は始め、偶然手にした金に頼って生きていましたが、金目当ての人間しか集まってきませんでしたし、人間の薄情さばかりが目につきました。一方、地獄にあっても子をかばう親の姿は、まさに無償の愛です。金でつながっている人間とはまさに真逆の存在です。

 ここで、杜子春の辿った道のりを見てみましょう。

  • 一文無しからのスタート
  • 死ぬほどの金持ちになる⇒人間の薄情さに嫌気が差す
  • 仙人を目指す
  • 地獄の生活、母の命の危機⇒人間としての情を優先する
  • 平凡な生活

 死ぬほどの金によって、杜子春はあらゆる欲を叶えます。しかし、それでも飽き足らず、今度は人間を超越したいという欲、もはやこれは人類最大の欲とも言えます。しかしその結果、杜子春は乞食よりもひどい状況に追い込まれます。そして、最後は親の命と仙人になる欲とを天秤にかけることになります。

 考えうる限りの最悪の状況と、人間を超越した欲。結局杜子春は人間としての情が勝り、声を出してしまいます。人間の情に嫌気が差した青年が、最後は情を選択します。テーマとなる「情」を一度は主人公に放棄させ、クライマックスで「情」によって母を助ける。この辺のテーマの扱い方は非常に上手いです。

もう一つのテーマ「幸福とは何か?」

 杜子春は何度も金持ちになったり乞食になったり、さらに仙人を目指したかと思えば地獄に落ち、最後は平凡な生活を選択します。極端な世界を行き来し、最後は普通の生活の良さを知る。ここに、「幸福とは何か?」という命題が隠されています。

 欲に従って生きればキリがなく、その過程で様々なものを失うことになります。また、欲を叶えようとすることは失敗した時のリスクも伴います。一方で、全く欲が叶えられない生活も苦しいでしょう。とりわけ、食欲などの基本的な欲が満たされないのは苦しいです。物語の中では杜子春にあえて両極端の経験をさせ「平凡」の良さを思い知らせているとも言えます。

 これは我々の生活でも同じこと。「身の丈に合ったそこそこの生活をしている人が、結局は一番幸せなんじゃないか?」世の中の成功者が時折口にするセリフです。これを物語の主人公を借りて説明しているとも言えます。

もし杜子春が修行に耐えたら?

 ここからはもう勝手な私の推測ですが、もし修行に耐えていたら、仙人はどうしていたか? これを考えるためにまず仙人はどういう存在かちょと調べてみました。仙人というのは人間を超越した存在。神に近いかもしれません。不老不死になり、神通力を操る存在です。しかし、神と違ってとりわけ役割もないようですし、存在意義がありません。そんな奴の前に「仙人になりたい」という人間が現れたらどうするでしょう?

杜子春をからかって遊ぶ仙人

 おそらく「こいつ面白いからからかってやろう」となります。金を渡してどういう行動に出るか観察し、仙人になるための修行をさせて耐えられるか見る。多くの人間は金を渡したところで無駄遣いして破滅するか、金欲に走った人生を歩むでしょう。しかし、杜子春は「金はもういらない」と言ってきた。そこで、今度は地獄を見せてやった。この時点で仙人は単に楽しんでいただけでしょう。仙人をもう一人増やしたところで無意味ですし、そもそも仙人になれる人間など皆無だからです。

久しぶりに人間の情を見たくなった仙人

 しかし、途中で仙人は思うのです。「そういや人間を超越して長いこと経つし、人間の情ってもんを久しぶりに見てみたいなあ」。そして、杜子春の目の前で母をいたぶり、声をあげさせる。それを見て「ああ、人間の情ってのはなかなか良いもんだな」となり、楽しませてくれた褒美に家と畑をあげた。結局、仙人は楽しんでいただけなのです。

裏テーマ「欲を突き詰めれば幸福になれる」

 さて、ここで裏テーマが出てきます。芥川の作品は簡単そうに見えて超深いです。実は、物語の中で仙人について何の説明もありません。仙人はただ人間をからかって、最後は喜ばせて終わり。一体こいつは何なのか? 不思議な力で金でも何でも自在に操り、自分は何一つ悪い思いをせず楽しんでいる。

 先程「欲に溺れるのは悪いこと」「そこそこの生活が本当に幸せ」などと書きましたが、「欲をつきつめて仙人くらいになれば、マジで楽しいんじゃない?」というメッセージが読み取れなくもないです。芥川は物事をとことん突き詰めて考えるタイプなので(そのせいで精神を病み、自殺してしまいます)、これくらい先まで考えていても全く違和感ないです。

 そういうわけで、杜子春最大の謎「仙人の存在意義」について考察してみました。あくまでも参考程度に。

おわりに(感想)

 元が古典作品ということで、よくある話と言われればそうでしょう。ただ、実際に物語を読んでみると、杜子春が豪遊するシーンや、地獄での苦しみの描写が非常に手の込んだものとなっていて、非常に面白いです。

参考文献・作品情報

参考文献

  • 杜子春」(青空文庫,2013年5月19日アクセス)
  • 杜子春」(wikipedia,2013年5月19日アクセス)
  • 『羅生門・鼻・芋粥・偸盗 (岩波文庫)』(芥川龍之介,岩波文庫,改版第8刷,2008,p173-176)