田中尺貫(4)「アメリカの51番目の州」

2016年10月29日

「不調の時こそ人間性が問われる」

イチロー 262のメッセージ

 

 不調の時に「仕方がない」というのは二流。不調の時こそいつも通りに仕事をするのは一流。不調時の感覚の狂いをアイディアに昇華するのが超一流。

 

 

田中尺貫とオーギ州の設置

「田中 尺貫(たなか しゃっかん)」

 田中尺貫は、アメリカを拠点に研究を行っている物理学者である。現時点で、21世紀の物理学者の中で最も優秀とされ、50年に一人の天才と称される。仏教の精神を地で行くその姿勢から、アメリカでは「シャカ」の愛称で親しまれている。摩擦に関するある実験では、金属棒をひたすら布で磨き上げ、その回数は1那由多にも達していた。通常なら1の時間を要すると言われる所、彼は数ヶ月でそれをやってのけた。そして一言、「もう心が那由多(萎えた)」。

 彼のライフワークとして知られる実験に、アメリカのエリア51で行われた、柱と玉を利用した物理実験がある。動く球に柱をぶつけ、球をいろいろな方向へ飛ばす……彼はこれをひたすら繰り返した。その成果は未だに極秘裏だが、実験の副産物として、世界のあらゆる地点に玉を落とし、物理学のエッセンスを大衆に広めたと言われている。

 若いころに開発した人を傷つけないレーザービーム技術に、ノーベル平和賞が授与されるが固辞。翌年は、その固辞のメッセージに対してノーベル文学賞が授与。2年連続でノーベル賞に関わった人物は彼しかいない。これ以外にも、数々の世界的な賞を受賞し、かつまた固辞している。10回のうち3~4回快諾するというペースを常に守っている。

 

 尺貫を語る上で欠かせないのが、オーギ氏の存在である。尺貫が異国の地で活躍するための礎を築いたのが、オーギ氏だと言われている。

オーギ氏について

ハワイ出身のアメリカ人の父と、沖縄出身の日本人の母との間のハーフ。南国系の顔立ちに筋肉質の肉体、日本酒とそばが大好きな学者、テレビタレント、コミュニケーションセミナー会長。

生まれ持った天性のジョークセンスと、幼少時代から鍛えぬかれた知識と論理。学者と並行して始めた芸能活動では、ひな壇芸人、サブカル評論、コメンテーター、司会、スポーツ解説、番組の企画構成までこなし、「本物のマルチタレント」と呼ばれた。

その後はコミュニケーションに関する講演活動を行い、「コミュニケーションのコツはバカになること」「頭を真っ白にしてバカになれば、相手の懐に飛び込んでいける。また、バカであることを示せば、相手の方からこちらに飛び込んでくる」といった独自の理論を提唱。後に田中尺貫と出会い、人生の師となり、世界的学者として羽ばたく礎を共に築いた。

 オーギ氏はバカのコントロールを軸として、コミュニケーションに関する講演活動を行い、好評を得ていた。オーギ氏にとっては、学者時代はもちろん、タレント時代よりも充実した日々であった。

 

 一方その頃、大学2年生、20歳の田中尺貫は大きな壁に直面していた。彼は基本的には社交的な性格だったが、天才であるがゆえ、見なくていいものまで見えてしまった。気づかなくていいことまで気づいてしまった。そのせいで、彼は不必要に警戒心を抱くようになり、表面的には社交的なまま、心に壁をつくる人間になっていた。

 

 学校でもバイト先でも、彼は他人の目には完璧な人間……頭脳明晰容姿端麗、人格者でありマメ、優れた話術、親孝行で妹思い、冷静沈着理路整然、聖人君子でありながら話のわかる奴だった。しかし、それでバランスを保つことなどできない。完璧な人格を演ずるしわ寄せは、恋人へ向けられた。彼は恋人を完全な支配下に置き、ことごとく束縛した。彼は天才だったので、恋人は拒否するどころか独裁者である彼にカリスマ性すら感じ、束縛されることに喜びを感じ、崇拝すらしていた。つまり、恋人は間違いなく幸せだったのだ。

 

 ただ、そんな束縛状態に常人が耐えられるはずはなく、幸せを感じながら恋人たちは廃人と化していった。さすがに罪悪感を感じた尺貫は、夜な夜な寺へとかけこんだ。そこで、徹夜で禅問答をしていたオーギ氏に出会ったのである。その時オーギ氏は、白ブリーフ一枚、髪はたっぷりのジェルで七三に分けてあった。否、正確には非常に4に近い3、「3.8543……」だった。小数で表せば3割台終盤、尺貫の大好きな数字であった。

 

「数字を追いかけるのではなく、数字に追いかけられる男に、追われてもなお動じない男に、そして、走り回る数字を遠くで眺める男になれ」

 

 タレント時代に頂点を極めた、オーギ氏らしい言葉である。

 

「普通の人間は、髪を綺麗な七三にしようと苦心する。しかし、私は違う。言うなれば私はこの七三分けの中間地点、地肌の上に立っているのだ。どんなに丁寧に整髪をしても、完全な七三にはならない。それでも人は何とかして七三に近づこうとしているが、私はそんなことに興味はない。私が数字を追いかけてしまえば、七三が六四になり、逆に八二にもなる。しかし、私は地肌の上に立っているのだ。私の七三は常に曖昧で危うい状態にあるが、私はあくまでそれを木陰から眺めているだけ。この爽やかな風が吹き抜ける地肌の上で、家族揃ってピクニックをしよう」

 

 この後のオーギ氏と尺貫の歩みは、説明不要であろう。

 

 さて、話を田中尺貫に戻そう。尺貫はアメリカ学術界への貢献が評価され、ある贈り物を受けた。それは前代未聞、新たな州の設置である。正確には、アメリカが新たな州を設置するのに伴い、命名権を尺貫に与えたのだ。アメリカの51個目の州……かつてエリア51で研究をしていた尺貫と、何かしら縁を感じずにはいられない。

 

 州の場所は、カリフォルニア州の南、かつてはメキシコのバハ・カリフォルニア州だった場所。21世紀の暴君と呼ばれた大統領が、メキシコから取り上げたばかりの新たな領土であり、保養地・観光地として開発が進められている地である。州章はバハ・カリフォルニア州のものを引継いでおり、尺貫に由来するイラストが描かれている。

参考:バハ・カリフォルニア州 紋章 – Google 検索

 右の小脇に学者らしく本を抱え、前方に伸ばした左手には物理実験の際に使用した棒を持っている。その下には、平和・安全=safeを意味する、両腕を横に広げてポーズする人物が描かれている。かつて尺貫がノーベル平和賞に選出されたエピソードも、ここに活かされている。一節には、尺貫の愛したスポーツの一場面を表現しているとも言われているが、定かではない。

 

 ロスやサンディエゴからも近く、ラスベガスとエリア51を有するネバダ州もすぐそこ。恩師であるオーギ氏も、この立地を非常に気に入っており、別荘を購入したそうだ。このようにして、アメリカの51番目の州の設置という形で、尺貫は異国人としてではなく、もはや一人のアメリカとして認められたのだ。尺貫の活躍はまだまだ数えきれないほどあるが、それを語るのはまた今度にしよう

 

続く

今日の格言

「上手な語り手は、半分語って、残りの半分は相手に想像させるのだ」(オーギ氏)

 

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