北野映画史上最高の芸術性!『ソナチネ』のあらすじ[解説,考察,感想]

2018年3月7日

北野武ファンに人気の、国際的評価を得た映画「ソナチネ」


ソナチネ [ ビートたけし ]

北野武監督まとめ

あらすじ/ストーリー

 

抗争に巻き込まれたヤクザの男

 北島組幹部の村川(ビートたけし)は組長に頼まれ、舎弟を数人連れて沖縄へ向かった。沖縄では、北島組と友好関係にある中松組が地元の阿南組と抗争しており、その支援をするとの名目であった。しかし、現地の状況は聞いていた話とは違っていた。

浜辺で遊び興じる日々

 腑に落ちない状況の中、抗争は激化。生き残った村川は、数人の仲間とともに海沿いの廃屋に身を隠すことにする。組の幹部の片桐(大杉漣)、舎弟のケン(寺島進)、中松組員の良ニ(勝村政信)、中松組幹部の上地(渡辺哲)、そして現地で出会った若い女の幸(国舞亜矢)らと共に、村川は浜辺で遊びを始める。射撃、ロシアンルーレット、相撲、花火……東京の組とも連絡がつかない中、死の匂いを感じつつ、村川たちは一日中砂浜で遊び興じる。

死が迫る中で知った抗争の裏にある罠

 そんな中、ケンが殺し屋によって銃殺されてしまう。いよいよ死が身近に迫る中、村川たちは阿南組長を殺害。北島組の幹部を拉致し、抗争の裏にある真実を知ることとなる。北島組と阿南組は裏でつながっており、今回の件は村川を殺したいがために仕組んだ罠であった。阿南組は村川を殺す見返りに、そのシマを手にするという算段だ。

自らの人生に蹴りをつける

 激しい殺し合いの末、生き残った村川と良二は阿南組が集まるホテルを襲撃し、マシンガンで皆殺しにする。良二はひと仕事を終え、そのまま身を隠すこととなり、一人残された村川。組織のしがらみと殺し合いに疲れた村川は、彼の帰りを待つ幸が見守る中、自ら頭を撃ち抜いたのだった。

解説,考察,感想

ファンからの評価が高い名作

 本作は、北野映画の中でもファンからの人気が非常に高い作品。最高傑作に挙げる人も少なくない。沖縄を舞台にしており、映像の美しさや表現の面白さも素晴らしい。死と隣り合わせの中で、沖縄の海で子供みたいに遊んで過ごすと言う構図も、なんとも北野映画らしい。

 監督のインタビューなどを見ると、沖縄は美しい場所だけど死の香りがする(世界大戦の激戦区だったこと等)。そこで、落ち目のヤクザたちが、死までの時間をいかに過ごすかというのを描きたかったようだ。

「死ぬまでの時間つぶし」を描いた作品

 初期の北野映画のテーマに一つに「主人公が死に向かって突き進んでいく」がある。ただ、死に向かうにしても、いろいろな描き方がある。「その男、凶暴につき」では、大切な人をすべて失った主人公が自暴自棄になってヤクザと共倒れするという描き方だった。一方で、ソナチネはそれとは真逆。自暴自棄というのは同じでも、積極的に死に向かうと言うより、「死までの間の時間つぶし」「死ぬまでどう遊んで過ごすか」という描き方だ。

 死と遊びという対極にあるものを並べるのは、まさに対比による強調。死を強調すれば遊びもまた映える。とことん馬鹿騒ぎすればするほど、死への緊張感も高まる。それを見事に表現しているので、この作品は評価されていると思う。

海外での高評価と、事故後の作風の変化

 ちなみに、この作品は海外でも高い評価を受けている。「世界の北野」と騒がれる以前、国内ではまだまだ評価されていなかった時代の作品だ。そしてこの翌年、監督はバイク事故で死線を彷徨う。見事復活し、その後「世界の北野」となるわけだが、事故を境に作風は微妙に変化する。

 ソナチネまでは、物語や登場人物に「いつ死んでもいいや」という雰囲気があった。しかし、事故の後では「死んでたまるか」「死ぬ前にやるべきことがある」という雰囲気に変わっている。言い換えれば、「芸術>命」だったのが「芸術≦命」と変化している。この辺を気にして見比べてみると、また作品を深く楽しめると思う。

北野武監督のインタビューから見る『ソナチネ』
(解説・撮影秘話・映画論)

引用元:「物語」(北野武)より

作品のコンセプトと、テーマの「死」について

  • 基本的に「ソナチネ」って言のは、写真集みたいな感じなんだよね。だから、脚本っていうよりも、沖縄の海があって、ヤクザがいて、アロハシャツ着て遊んでる画があって。あと、自分の頭を撃つ画があって。もう、コンセプトってのはそれだけで、あとはどうやってその画につなげていくか、っていう。
  • ヤクザが海で遊ぶあのシーンだけ、どう考えても長すぎるって言われるんだけど。(中略)あれね、結局、最期、だいたいの奴が死んじゃうってわかってるじゃない? その、死ぬという緊張感が常にあったときに、いかにマヌケなことして時間をつぶせるかな、というようなことなんだけどね。(中略)戦争映画とかでも、マヌケなことして遊んでるシーンのほうが、なんか自分は好きだね。
  • 「死ぬことばっかり考えてると、本当に死にたくなっちゃうんだよ」っていう台詞。あれは、最初からあったね。要するにあれだもんね、あの映画で言いたいのは。ああいうのは、ほかの映画だと、「キッズ・リターン」の、「まだ始まってもいねえよ」ぐらいかなあ。

引用元:「物語」(北野武)より

 映像の美しさが高評価を受けているソナチネ。北野監督自身も最初に撮りたいシーンや絵があり、それをどうやってつなげていくかを考えたそう。この手法は北野監督が他の映画でもよく採用しているが、本作ではそれが顕著である。通常こういった手法で作品をつくると、シーンとシーンの間が間延びしてしまうものだが、北野監督は全くそれを感じさせない。

 それには、やはり浜辺での遊びのシーンが貢献している。あのシーンは主人公の村川の「しがらみや殺し合いに疲れた」という心情を巧みに表現しており、一方にある殺し合いという現実を高調する役割も果たしている。北野監督がお笑い論でもよく引用する「緊張と緩和」が見事に表現されているというわけだ。

作品の舞台「沖縄」と、各シーンの解説

(沖縄を舞台にしたことについて)

  • あそこに行くと、どうもね、怨念の島みたいな気がすんのよ。沖縄って、海はきれいで、空が青くて、珊瑚礁があって、でもやっぱり、津波とか、太平洋戦争とかね。生きる死ぬでいうと、死のほうが強くてね。だから、ヤクザの抗争で、やっつけなきゃいけない、生きていかなきゃいけないって言ってるんだけど、沖縄だと「ダメだな、こりゃあ」って感じが出るんだよね。

(「死ぬことばっかり考えてると、本当に死にたくなっちゃうんだよ」という台詞について)

  • 男の舎弟に対して、兄貴が「おい、死にたくなるよなあ」つったらまずいじゃない? そうすっと、全然ヤクザと関係ない、なんだかわかんない女が出てきたときに、つい本音を言ってしまうっていうか。そのために女、出したようなもんだから。

(ホテルをマシンガンで襲撃するシーンについて)

  • 入って行ってマシンガン、バーって撃ちまくるシーン、あるじゃない。あれ、中のシーンを一切外して、外から撮ったんだけど、わかりにくいかなあ、って。じゃあ、音と光と影でどうするかなんてのを、撮りながら相当考えてた。(中略)見せないほうがもっと想像するかなあと思って。マシンガンの音で、中で何が起こっているかを想像させるべきだろう、と思うんだ。

引用元:「物語」(北野武)より

 北野監督が語る、沖縄と「死」のイメージ。ヤクザの抗争をやると相手を殺して自分は生きるという、「生」が強調されてしまう。それを消すために、沖縄を選ぶ。こういった感覚は本当に北野監督は天才的だと感じる。物事の本質的な部分を見定める能力の高さあっての業である。

 ホテルをマシンガンで襲撃するシーンについては、後の『座頭市』でも活かされている。座頭市では主人公が盲目であることを逆手に取って、斬り合いのシーンをあえて暗闇にし、音と光でシーンを表現する。北野監督はこういった形で、映画のアイディアを後の作品でしっかり活かす。映像において無駄を省き、あえて情報量を少なくして見るものの想像力を増幅させる。理系の北野監督らしい、超一流の演出方法である。

まとめ

 改めて本作を見直してみると、やはり芸術面ではキャリアを通じても図抜けている作品である。初期の北野監督特有の、退廃的で向こう見ずな雰囲気。それを存分に味わうことができる。この映画を見ていると、何か全てを放り出して旅にでも出たくなる。仕事も家族も放り出して、どこかに消えてしまいたい。そんな危険な考えを抱かせる、恐ろしい映画でもある。