集団的自衛権行使の議論に思うこと

反対派の言う「平和」は無責任ではないか?

日本人のための「集団的自衛権」入門 (新潮新書 558)

感情論で「平和」を訴えるだけでは、議論は進まない

 集団的自衛権の行使容認が閣議決定されたことについて、巷ではいろいろな意見が飛び交っています。個人的な意見から言うと。今のところ賛成です。

【賛成の理由】
  • 集団的自衛権は、国家にとって当然の権利として認められている
  • その是非は別として、国同士の関わり合いの背後には、必ず軍事力が潜んでいる
  • 国際社会での発言権の背後にも軍事力がある
  • 現在の日本は、同盟国アメリカから集団的自衛権の恩恵を受けている

 

 集団的自衛権を「悪」のように言う人がいますが、それは間違った認識でしょう。もちろん、日本はこれまで「憲法の解釈」という形でそれを否定してきました。しかし、あくまで他の国では当然の権利として存在しています。

 また、国際社会では国同士の関わり合いと軍事力は切っても切れないものになっています。中国は露骨に軍事力を見せつけて他国を牽制しますし、アメリカは世界一の軍事力があるからこそ、あれだけ発言力も行動力もあるわけです。そこで軍事力を否定、あるいは完全に放棄して「平和」を訴えるのは構いません。ただ、それならば、軍事力を使わないで、国同士でしっかり話し合いをする方法を考え、提案しなければなりません。日本はこれまでそれをしてきたでしょうか? 「平和主義だから軍隊も持たず戦争もしない。でも軍事力で相手を牽制できないので、国際社会では静かにしている」これが今の日本でしょう。

 それならば、集団的自衛権の行使を認め、せめて友好国の間での発言権、信頼を得る方がまだマシでしょう。現在の日本が仮に他国から攻撃を受けた場合、アメリカは集団的自衛権を行使して日本を支援します。他の友好国も同じです。つまり、日本はもしもの時に集団的自衛権の恩恵を受ける状態にあるのです。しかし、逆の立場になった場合、日本は軍隊を送ることなく、金や物資の支援だけにとどまります。これでは、国際社会で信頼を得られるわけがありません

 

 

反対派の掲げる「平和」は無責任ではないか!?

 もちろん、戦争は無い方がいいですし、軍事力を背景にした外交も間違っていると思います。そうなると「平和」を求めることになりますが、本当の平和とは何でしょうか?

 集団的自衛権の行使をしないのは、友好国が攻撃されているとき、黙って指を加えて眺めていることを意味します。日本は「平和主義」なので武力行使はしない。世界で起こった問題は、武力行使のできる国が片付けてくれ、ということです。その一方で、戦争のない世界をつくるために、具体的な働きかけはしない。結局、反対派の人が言っている「平和」とは、日本だけの平和であり、先進国として非常に無責任な考えではないでしょうか?

 戦争は良くないことですが、事実として21世紀に入っても世界中で戦争は起こっています。特に理不尽な理由で起こった戦争、一方的な攻撃から始まった戦争などは、先進国が主導して解決をしなければなりません。しかし、そこでいつも先人を切ってかけつけるのはアメリカです。一度でも日本が主導して「平和的な解決方法」を提案したことはあってでしょうか。切迫した事態が過ぎ去り、問題が一段落したところで思い出したように「戦争反対」と叫ぶだけです。

 

 

おわりに

 勉強不足で間違っているところもあるかと思いますが、ろくに考えもせず「平和」を訴えるのには違和感を感じてなりません。集団的自衛権の行使によって、日本人が戦場で命を失う可能性は出ますし、日本が攻撃を受けるリスクも高まるでしょう。しかし、それを理由にした集団的自衛権の行使への反対は、先進国として非常に無責任だと思います。せめて、日本が集団的自衛権の恩恵を受けていること、日本が平和を訴えている一方で、他国の兵士が命を落としていること、これらの問題もしっかり考えた上で、「平和」を訴えて欲しいです。

 日本、あるいは日本人だけの「平和」を訴えている人は、日本の「見て見ぬふり」の文化を象徴しているように感じます。普段は問題を見て見ぬふりし、発言することを避けてきたのに、いざ自分に災難がふりかかりそうになると、感情に訴えかける都合のいい綺麗事を言い、無責任な発言をする。これでは、「平和主義」など机上の空論のまま終わってしまいます。

 

【関連記事】

[article mode=”cat” id=”51″ numberposts=”5″ tail=”
“]