言うほどひどくはないが失敗作!?/『R100』(松本人志)のあらすじ・感想

2014年7月5日

非常に「もったいない」作品。普通に撮ればいい作品だった。

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もくじ

 

『R100』のあらすじ

有名家具店で販売を担当する片山貴文は実はMであり、その性的欲求を満たすためにクラブ「ボンテージ」へ入会する。その契約は、日常生活を送る片山の前に、次々と女王様が 派遣され、片山に対して各種の責を行うというものであり、片山はえもいわれぬ快感を得る。ところが、その内容は次第にエスカレートしていき、家族にまで影 響を及ぼし始めるようになったため、片山は中止を要求するが、「ボンテージ」側に途中解約できないと突っぱねられる。そこで、片山は単身で「ボンテージ」 と戦う決意を固め、最終決戦に突入する。

以上の内容は劇中劇であり、映画としては「そのような作品を、100歳を迎える映画監督が作成し、関係者向けの試写を行うが、彼らは内容や監督の意図を全く理解出来ずに困惑する」というのが本筋になっている。

引用元:R100 – ストーリー – Wikipedia

 

【あらすじ・補足】

※詳しいところまで書いていますが、結末部分のネタバレはありません

 映画は、冒頭から中盤まで、劇中劇であることを伏せて進行していきます。

 主人公の片山について補足すると、妻が植物人間となっており、病院で何年も眠り続けています。一人息子の世話は義父にしてもらい、妻の意識が戻るのを待っています。そんな中で妙なクラブ入ってしまい、良心の呵責に苦しみます。そして、クラブの女が職場や自宅に来たことをきっかけに、解約しようと決心します。冒頭から続く物語が劇中劇であることは、この辺で明らかにされます。

 その後はボンテージ側の行為が常軌を逸したものとなり、劇中劇のストーリーも支離滅裂になっていき、徐々に破綻していきます。

 

 

『R100』の感想・考察

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【メタフィクションが問題ではない】

  この作品は劇中劇、あるいはメタフィクションの構造を持っています。最初に片山が主人公の映画を見せておき、実はそれは超ベテランの映画監督が100歳の記念に撮影した作品であるというものです。

 メタフィクションは映画やその他作品で使用されることは珍しくありません。ただし、その扱いは難しいと言われています。もともとフィクションである映画の中でさらにフィクションを使ってしまうわけですから、観ている人が冷めてしまうことがよくあります。また、「メタフィクションならば何をしてもいい」というように、メタフィクションを言い訳にしてしまうことや、そのせいで作品そのものが破綻してしまう危険性ももっています。

 例えば漫画の世界で夢オチは禁止などと言われていますが、夢オチも言ってみればメタフィクションです。そして、登場人物の夢を言い訳にすれば、どんなに無理な設定も辻褄が合ってしまいます。しかし、作品の辻褄は合っても、観ている人は納得しません。

 

 

  『R100』は公開されてからさんざんにこき下ろされていました。興行収入も悲惨で、救いようのない映画とまで言われていました。ただ、その批判をしている人の一部は、単にメタフィクションを使ったことだけを取り上げて、批判しています。「メタフィクションは卑怯」「メタフィクションに逃げた」というような批判です。しかし、有名な監督でも使用している例はたくさんあります。

 では、この映画でメタフィクションが成立しているかどうかと聞かれれば、「失敗はしていない」でしょう。少なくとも、監督はメタフィクションの危険性を知った上で、あえて使っています。そういう撮り方をしています。先入観を無くしてオチまでしっかり見れば、それがわかると思います。ですから、問題はメタフィクションではありません

 

 

【メタフィクションは成立していたが、使う必要は無かった】

 結論から言って、この映画は失敗作だと思います

 これまでの松本人志監督作品は、1作ごとに内容が良くなっていました。監督は、もともと奇抜なアイディアを持っていましたが、映画の枠に収めることに苦労していたように感じています。それが作品を重ねるごとに、いい意味で「映画らしく」なってきました。前作の『さや侍 [DVD] 』は劇場で拝見しましたが、素晴らしい出来でした。監督のアイディアは毎回楽しめていたのですが、映画としてのバランスがしっかりしてきたために、全体の完成度が非常に良かったのです。

 しかし、ここに来て『R100』を見てなんとも言えない気持ちになってしまいました。一言で言うと「もったいない」、「どうしてメタフィクションを使ったのか?」と思ってしまいました。

 

 

 映画中盤で、片山を主人公とする話が劇中劇であることを明かすまでは、作品は非常にいい流れでした。家族が病気で、義父と共に息子を育てるという境遇の主人公が、その一方で妙な趣味を持っているという設定が見えてからは、面白い映画になりそうだと思っていました。

 しかし、後半になって劇中劇が破綻(これは意図的に破綻させていると思われます)していく場面は全く不要だと思いました。どうして意図的に破綻させていったかというと、それは監督が伝えたいメッセージとオチがあったからです。その二つはあって構わないのですが、メッセージとオチに縛られてしまい、映画のバランスが崩れてしまっているのです。

 

 

【オチを取るか、バランスを取るか】

 監督が伝えたかった(と思われる)メッセージとオチは、ネタバレになってしまうので、気になる人は映画を見て下さい。そのオチとメッセージについては、メタフィクションと同じで、成立しています。最初に意図した通りに進み、表現しきっていると思います。しかし、劇中劇をそのまま映画にしてしまうという選択肢もあったはずです。ひょっとすると、監督が行った流れは逆かもしれません。最初に劇中劇を劇中劇とせず、そのまま撮影していたところ、アイディアが浮かんでしまったというパターンです。

 いずれにしても、選択肢は二つ、メッセージとオチを取るか、映画の流れやバランスを取るかです。仮に片山が主人公の話を劇中劇にせずそのまま進めたとしたら、オチに縛られることなく、終盤の支離滅裂なシーン、破綻していく流れも必要なかったはずです。なおかつ、片山が主人公の話は、その先にいろいろな展開を秘めている、選択肢がたくさんあるものでした。純粋に片山の話を映画として見たかったです。

 

 

『R100』への批判について/どうせなら『R100』の良いところをあげていこう!

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 R100への批判の多くは表面的で浅いもの、あるいは回りに流されての批判でしょう。確かに欠点が目立ってしまう作品ですが、いいところも非常に多かったです。しかし、「もったいない」というような批判をしていた人はほとんどいませんでした。

 僕は監督のファンであるものの、かなりの批判を聞いてきた状態で映画を見ました。そして結論は「失敗作」だとしました。しかし、それでも序盤の良さは捨て切れません。先入観がない状態で映画を見た人、あるいは映画好きの人ならば、序盤の流れを評価するはずです。そして、「どうしてそっちの方向へ持っていたのか」と思うはずです。

 

 

 良いところをあげていくと、設定は昭和の時代の日本であり、それを表現する映像が良かったです。そして、説明がなくてテンポよく進むところもいいでしょう。独特の音楽のチョイスも、昭和の日本という設定にマッチしていて面白かったです。そして、これは映画を見ればわかりますが、主人公の恍惚な様を表現する映像手法も良かったです。気持ち悪いようで心地いい気持ちにしてくれる、独特の表現の仕方でした。

 さらに、主人公である片山のキャラクター設定、片山演じる大森南朋さんの演技が良かったです。さらに、大地真央さんが良かったです。作中のクラブの女性はこの人だけでも良かったくらいです。それくらい、作品にマッチしていました。

 

このように、良いところをあげていくとキリがありません。それもこれも、この作品が「もったいない」からです。もしこの批判も予想通りのもので、次回作からはファンも評論家も、日本人も外国人もうならせる作品を用意しているのであれば、早く作ってください!アイディアはやはり唯一無二のものがあります。さや侍くらいのバランスの作品を、これから何作か続けていけば、自然と評価もついてくるはずです。期待しています!

 

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