昇合拾数(5.1)「無宗教と死と転生」

2016年10月29日

疲れ果てた男

采配

 人それぞれ、価値観は違う。そして、価値観に正解も間違いもない。周りの目を気にしていたら何にもできやしない。ここはひとつ、今一度自分の考えをしっかりもって、人や環境に左右されない生き方をしてみてはどうだろう。

 

 

「死もまた選択肢のひとつ」

「昇合 拾数(のぼらい ひろかず)」

東北地方の田舎町、333年の歴史を持つ神社に、次男坊として生まれる。物覚えの良さとその特異な言動から、神童と呼ばれ、将来を期待される。

しかし、若くして道を逸れた昇合は、波乱万丈の人生を歩む。神主、占い師、マジシャン、政治家、哲学者、など様々な肩書を持ち、浮浪者時代を経て、教祖として数々の記録を残すこととなる。

三度の「三種の神技」達成で日本中を驚かせ、世界に進出して「奇跡」を複数回達成。世界初の「神との調停」「宗教間トレード」「他宗教の神を信仰」など、型破りな教祖像を世に知らしめた。

やがて彼は、神と呼ばれるようになり、世界で最も人類を救済しつつ、世界で最も嫌われる存在となる。まさに彼は「異端」である。

 

 国内外を旅して様々な職業についていた、若かりし頃の昇合。東京で飲食店の呼びこみをしていた頃、彼はある男と出会った。昇合は繁華街の中でも一際賑わっている、雑居ビルの前の通りでいつも客引きをしていた。そこに、歩道と車道を隔てる植え込みに腰掛け、決まった時間に缶ビールを飲む男がいた。

 

 見たところ20代終盤の男は、人柄の良さが顔に現れていたが、どこか疲れている様子だった。聞けば、男は数年前に精神を病み、その回復に数年を費やし、ようやく「人生を再開」させたのだと言う。しかし、一度壊れた心は完全に治ることはなく、今も後遺症に悩まされている、と。

 

 男には思慮深さと教養が見て取れた。聞けば、きちんとした教育を受けており、若い頃は前途有望であったと言う。が、それ以上は話そうとしなかった。その代わりに、男は唐突に、昇合に尋ねた。

 

「お兄さん、死ぬのは悪いことか? 」

「悪くはないですよ。自分がちょっと苦しむのと、あとは周りが悲しむ。それだけじゃないですか」

 

「死んだら、どうなるんだろうね? また別の人間として、赤ん坊からやり直しか? 」

「それは誰にもわかりませんよ。確かめる方法もないですし」

 

 なあお兄さん、自分が生まれる前の記憶って無いだろ。じゃあ、自分の一番古い記憶はどこか。僕の場合はまだ言葉もろくに使えない頃……まだ1歳か2歳か、そのころに大泣きした記憶が一番古い。その時と生まれた時の間に記憶はないが、なんとなくこれくらいの時間があったんだろうなって感覚はある。でも、やっぱり生まれる前は全くの空白だ。親の腹の中に1年くらいいたのに、その記憶もない。時間も感じない。一瞬だ。

 生まれ変わりに期待して、死んでみようかと思っているんだ。まあ、死ぬ時は多少苦しいだろう。でも、消えたら後は無だ。どんなに長い時間でも退屈することはない。そんで、気がつけばまたどこかで赤ん坊から再出発だ。

 なるべく人に迷惑はかけず、ひっそりと。運がいいのか悪いのか、おそらく僕が死んでひどく悲しむような人はいない。いや、何人かいるが、みなしっかりしている人物だ。心配はない。それに、誰かに大きな借りを作った覚えもない。そういう部分じゃ、礼儀をわきまえた人生だったと思う。

 生きて頑張ろうという気はないかって? 僕はもう疲れてしまったんだよ。若いころにあまりに頑張りすぎた。それに、不器用で無駄が多かった。その分、余計に疲れてしまった。そして、頭はすっかり壊れてしまった。もう、普通の幸せな人生を歩むことは難しいように思う。情けない話だけど、この先もうひと踏ん張りしようと言う気力はもうないのさ。ダラダラと生きていくことはできるけど、そんな生き方をして何になる? 

 

 死ぬなんて考えたことも無かった昇合にとって、男の話は非常に新鮮なものであった。昇合にとって人生は刺激的で楽しいものであったが、辛くつまらないと感じる人もいるだろう。それなら、確かに無に帰するという選択肢も無くはない。ただ、一つだけ、昇合は思った。

 

「どうせなら、最後の最後にひとふんばりしてはどうです。いかに綺麗さっぱり消えるか。誰も悲しませないためにはどうするか。具体的なところでいうと、私物の整理もあるし、金もそう。借金を残すのは以ての外だけど、逆に金を残しすぎるのも問題だ。全財産を完全にゼロにするってのは、なかなか難しいところですよ。お金と、友人や家族の心の整理と、物の処分。それを完璧にやってみてはどうです。そうすれば、身ひとつになった自分を一度経験できますよ。ちょうど生まれた時のように。金からも物からも人からも自由になった自分に。そうすれば、気持ちも変わるかもしれません。変わらなかったら、それはそれでいいでしょう」

 

「ところで、どうです? 一杯飲んで行きませんか。安くしておきますよ」

 

つづく