昇合拾数(3)「予定された奇跡」

2016年10月29日

全米が泣いた「AMAGOI」

采配

 世の中はほとんどが予定調和。どの程度知っているか、予想出来ていたかの違いで受け止め方が違うだけ。肝心なのは、予定調和を楽しむことだし、あくまで偶然を装うこと。誰かが言ってたな、「人生はぶっつけ本番の舞台」って。それはちょっと違うか。まあいい。

 でも人は、何とか予定調和を崩したいという欲が出る。別の言い方をすれば「舞台なんかやりたくない」つって、降りちゃう人。それもいいよ。現実の舞台でもあるじゃないか。事件や病気や何やらでの途中降板。嫌になったら、やめちゃえばいいんだよ。それも立派なストーリーだし、きちんとした演技なんだから。

 

 

「実るほど 涙を垂れる 麦穂かな」

「昇合 拾数(のぼらい ひろかず)」

東北地方の田舎町、333年の歴史を持つ神社に、次男坊として生まれる。物覚えの良さとその特異な言動から、神童と呼ばれ、将来を期待される。

しかし、若くして道を逸れた昇合は、波乱万丈の人生を歩む。神主、占い師、マジシャン、政治家、哲学者、など様々な肩書を持ち、浮浪者時代を経て、教祖として数々の記録を残すこととなる。

三度の「三種の神技」達成で日本中を驚かせ、世界に進出して「奇跡」を複数回達成。世界初の「神との調停」「宗教間トレード」「他宗教の神を信仰」など、型破りな教祖像を世に知らしめた。

やがて彼は、神と呼ばれるようになり、世界で最も人類を救済しつつ、世界で最も嫌われる存在となる。まさに彼は「異端」である。

 

 今回も引き続き、昇合の奇跡を見ていこう。

 

 アメリカに渡った昇合の目的は、布教活動というよりも、世界の宗教の中で、自分の教祖としての力を試すというものであった。この時期に奇跡をいくつも実践しているのは、そのせいである。彼は何も、世界の宗教を統一しようとか、自分が世界の教祖になろうという考えは無かった。むしろ、信者が一人もいなくとも、彼の信仰の追求は可能だった。ただ、そんな昇合の考えとは裏腹に、信者数は国内外で増加の一途をたどっていた。

 

 さて、アメリカで2番目に迎えた節目の記録は、「500神秘体験」の達成であった。宗教家と言えば必ず体験するのが神秘体験である。何らかの形で神やその力に触れ、そこで信仰に目覚めるというもの。もちろん、目覚めてからも見ることはある。それを、昇合は500回近くも達成していたのだ。

 

 この500というのは、考えようによっちゃ少ないかもしれない。しかし、そこは「質」に注目してもらいたい。彼の神秘体験には条件がある。

 <神秘体験の条件>

  • 神の姿をモロに見ること
  • 最低一度は神の言うことに反発してみること
  • 毎回違う場面であり、かつ名場面であること

 である。

 細かい条件はまだまだあるが、これらを満たした神秘体験を500回達成したのである。事実、昇合の体験シーンの多くは経典に記載されている。まさに、歴史の生き証人なのである。

 

 常人では成し得ないホームラン級の神秘体験を499回経験した昇合は、節目に奇跡を起こしてやろうと考えた。前回の奇跡は子供だましであったので、今回は宗教的精神に立ち返ることにした。宗教家が大衆にできることの一つに、「施し・寄付・救済」がある。昇合はアイオワ州へ向かった。

 

 その年、アメリカ中央部の穀倉地帯は、ひどい干ばつに襲われていた。畑はヒビが入り、農場は下草が枯れて家畜たちはやせ細る。そんな状態の農村が、各地に何千とあった。そこで昇合は「雨乞い」をしようと考えた。いつだか、ポケットからパンを無数に出し、貧者の腹を満たした偉大な宗教家がいたと言う。昇合はその話を拡大解釈し、雨乞いで小麦畑を救えば、何万、何百万の命を救えると考えた。

 

 昇合は超能力者ではないし、天候の神でもない。激しい修行により常人離れした能力を持つ宗教家だが、雨乞いをしたことはなかった。しかし、彼はそれをやってのけた。彼の雨乞いの素晴らしさは、そのスピードであった。彼が畑の前で膝を着くやいなや、枯れた地面に無数の雨跡が現れたと言うほどだ。否、むしろ雨の方が昇合を待っていたと言った方がいい。そのため、日本人の宗教家の間では「雨乞い」ではなく「雨来い」、そこから転じて「昇合来い」、けなげに昇合の到着を待つ雨雲の姿から「雨恋」とも呼ばれた。

 

 雨乞いという習慣が無かったアメリカでは、彼の行動は奇異であった。が、そのうちある農家が、「これは昇合の優しさに対する、小麦が流した涙だ」と言い始めた。そこから定着したのが「Crying Wheat」(小麦は泣く)という呼び名だ。この逸話は日本に逆輸入され、「実るほど 涙を垂れる 麦穂かな」という俳句ができた。

 

 

 さて、この雨乞いにはタネがある。昇合はその人脈を利用し、気象学者の協力を得て、長期予報から干ばつの終わりを予想。その上で、急な豪雨が発生する地域を調べ、順番に回っていっただけであった。つまり、パフォーマンスだったのだ。しかし、あらかじめ予測された自然現象を、儀式に昇華させるその感覚、その貪欲さこそ、昇合の神通力と言っていいのではなかろうか?

 

「天候は神が決めるものならば、神は気まぐれである。では、その気まぐれを舞台の演出に利用して、何が悪いだろうか? 」(昇合)

 

 なるほど、シェイクスピア並みの名言である。

 

 しかし、アメリカは広い。昇合が目的地に着く前に、すでに雨が降り始めることもしばしば。その時は、ずぶ濡れのまま小麦畑に突進し、半狂乱で豊年踊りを舞ったと言われている。その姿から「Crazy in the field」(畑で半狂乱)と呼ばれた。そして、踊り疲れた昇合は、馬小屋の藁の上で、500回目の神秘体験をしたのであった。

 

つづく