昇合拾数(2)「節目の記録は『奇跡』で飾る」

2016年10月29日

昇合が見せた奇跡の数々

采配

 最近は奇跡とか天才って言葉が簡単に使われる。日常のちょっとした偶然を奇跡と言って、ちょっと目立った奴が出るとすぐ天才呼ばわり。しかし、奇跡とか天才ってのは、一生に2、3回見れれば良いほう。一回も見ずに終わる人も多い。

 例えばスポーツ選手。ちょっとやそっとの活躍じゃ天才とは呼べない。オリンピックで1回金を取ったら今の時代ならすぐ「天才」って呼ぶだろうけど、それは違う。3連覇しても違う。そこは取り方がポイントになる。見てる人の想像を遥かに超えたメダルの取り方をしないとダメ。競泳なのに走ってメダル取っちゃうくらいの取り方。

 もっと具体的に例を出せって言われそうだけど、例を出した時点でそれは想像できてしまっていることになるから、例は出せない。つまりはそういうことだ。

 

 

「偶然でも必然でもなく、奇跡である」

「昇合 拾数(のぼらい ひろかず)」

東北地方の田舎町、333年の歴史を持つ神社に、次男坊として生まれる。物覚えの良さとその特異な言動から、神童と呼ばれ、将来を期待される。

しかし、若くして道を逸れた昇合は、波乱万丈の人生を歩む。神主、占い師、マジシャン、政治家、哲学者、など様々な肩書を持ち、浮浪者時代を経て、教祖として数々の記録を残すこととなる。

三度の「三種の神技」達成で日本中を驚かせ、世界に進出して「奇跡」を複数回達成。世界初の「神との調停」「宗教間トレード」「他宗教の神を信仰」など、型破りな教祖像を世に知らしめた。

やがて彼は、神と呼ばれるようになり、世界で最も人類を救済しつつ、世界で最も嫌われる存在となる。まさに彼は「異端」である。

 

 「三種の神技」で日本中を熱狂させた昇合。彼はその後世界へ進出する。世界には日本とは比較にならないほど規模の大きな宗教があり、その種類も桁外れである。その中で教祖として頭角を表すには、よほどの結果を残さなければならなかった。そこで昇合が目をつけたのが、「奇跡」である。

 

 世の中にある宗教の開祖や名だたる宗教家の多くは、その生涯で幾度と無く「奇跡」を起こしている。奇跡はたった一度だけで大衆の支持を集め、それまでの評価も一転させるほどの力を持っている。「奇跡さえ起こせば何とかなる」「奇跡のためなら死んでもいい。そこで生き返るのもまた奇跡」と言われるほどだ。

 

 昇合がすごいのは、宗教家として節目の記録がかかった時に、狙って奇跡を起こしたことである。彼の記録で有名なものに、「400煩悩との和解」「500神秘体験」「2000巡礼達成」などがある。世界進出した時には、これらの記録達成が目前にあった。

 

 最初に見せたのは、「400煩悩との和解」達成時の「カリフォルニアの奇跡」である。日本時代からあらゆる煩悩と日々格闘してきた昇合。いわゆる「108の煩悩」を超えてからは、自ら新しい煩悩を見つけなければならない。煩悩を消すために新しい煩悩を探すという、矛盾との戦いでもあるのだ。200を超えてからは、ほんの些細なことでも「これはもしや煩悩では……?」と訝しむようになり、極度の疑心暗鬼、人間不信に陥ったと言われている。

 

 煩悩について、昇合はこんな禅問答をしたというエピソードがある。欲情するのが煩悩なら、欲情しないのも煩悩で、「煩悩」という言葉を知ってしまったこと自体が煩悩なのだから、「煩悩」という言葉を頭から消そうと思い、壁に1000回頭をぶつけたところ、一時的な記憶喪失が始まり、言葉を次から次へ忘れていき、ついには母の名前も、故郷の名も、そして自分の名前も忘れてしまったが、最後の最後に頭に残っていた単語が「煩悩」だった、というものだ。これほど、煩悩との戦いは苦しいものなのだ。

 

 そしてついに、昇合は400個目の煩悩と出会う。400個目は、「ふとした瞬間」の「ふ」であった。ここまで来ると理解が難しいので、そういうものだと割りきっておこう。この「ふ」に対し、どのような方法で折り合いをつけたのかは不明だ。とにかく、この煩悩と昇合は和解し、そこで「奇跡」を見せた。

 

 ちょうどその時、昇合はカリフォルニアにいた。そこで、喉を乾かしていた子どもたちを公園の水場に集めると、昇合は蛇口に手をかざして念じた。

 

「さあ、坊主。この蛇口をひねってごらん」

 

 すると、そこからみかんジュースが溢れてきたのだ。昇合は日本生まれであったため、オレンジとみかんを間違えたことに「しまった」とは思ったが、奇跡は些細な事を有耶無耶にする力があったので、問題は無かった。

 

 蛇口からみかんジュースが出るのは、その後3日間ほど続いた。今では水しか出ないが、そこは観光地化されており、「noborai spring」(昇合湧水池)と名付けられている。

 

 さて、その他の「奇跡」についてはまた次回

 

つづく