昇合拾数(1)「記録ずくめの男」

2016年10月29日

三度の「三種の神技」達成

采配

 

 「二度あることは三度ある」とか「三度目の正直」とか。ノックの回数は3回だし、食事の数も3回。人間は3という数字を大切にする。オリンピックだって2連覇より3連覇の方が良いけど、これが4連覇になるとなんか「勝って当たり前」ってなる。多すぎてもダメで、3くらいがちょうどいいってことになってる。そうなると、不倫や浮気の三角関係も、考慮すべき余地がある。「夫の浮気は夫が男として魅力的な証拠」という言葉がある。完全に気持ちが離れちゃダメだけど、奥さんと愛人、気持ち半々くらいの関係が緊張感があってよろしい。

 

 

「師匠は、何も言わずにシルクの布を被せてくれたんだ」

「昇合 拾数(のぼらい ひろかず)」

東北地方の田舎町、333年の歴史を持つ神社に、次男坊として生まれる。物覚えの良さとその特異な言動から、神童と呼ばれ、将来を期待される。

しかし、若くして道を逸れた昇合は、波乱万丈の人生を歩む。神主、占い師、マジシャン、政治家、哲学者、など様々な肩書を持ち、浮浪者時代を経て、教祖として数々の記録を残すこととなる。

三度の「三種の神技」達成で日本中を驚かせ、世界に進出して「奇跡」を複数回達成。世界初の「神との調停」「宗教間トレード」「他宗教の神を信仰」など、型破りな教祖像を世に知らしめた。

やがて彼は、神と呼ばれるようになり、世界で最も人類を救済しつつ、世界で最も嫌われる存在となる。まさに彼は「異端」である。

 

 「昇合 拾数(のぼらい ひろかず)」という名前は、いち人名を超えて、一つの概念、哲学、精神を表すほどに、大衆の心の中で強烈な存在感を持っている。昇合という人物を一言で現すのは難しいが、彼は第一に「宗教家」であり「教祖」である。ある人は、彼こそが神だと言う。

 

 彼の名を世に知らしめたのは、やはり教祖となってからの、数々の偉業であろう。他の宗教家と比べてかなりの遅咲きの昇合だが、他の誰よりも多くの偉業を達成し、いくつもの記録を持っている。

 

 有名なものとして、日本の宗教家の誰もが憧れる「三種の神技」がある。古く日本神話から伝わる三種の神器があるが、そこから派生した現代の国内宗教における、最高難易度の修行方法である。

 参考までに、まず「三種の神器」について見ていくと、

  1. 光や真実を意味する「鏡」
  2. 宝石や贈物を意味する「玉」
  3. 力や勇気を意味する「剣」

がある。これが「三種の神技」になると、

  1. 岩を磨いて鏡を作る(「心」の鍛錬)
  2. ゼロから1億稼ぐ(「頭」の鍛錬)
  3. 剣を使う競技で日本一になる(「力」の鍛錬)

と変わるのだ。詳しい説明を聞かずとも、その難易度の高さは想像に難くない。

 

 過去の挑戦者の中には、岩を磨きすぎて風化させてしまい、そのまま自分自身も姿を消してしまった者。鏡を完成させたものの、そこに映った廃人のような自分の姿に発狂してしまう者もいた。もちろん達成者もいる。中には、「1」で身につけた技術を元に、巨大かつ精巧な鏡をつくり、それを天文学者に売って1億儲けるという猛者もいた。彼は鏡づくりが金儲けになると考え、欲に溺れて宗教界を離れ、「3」を達成できずに終わってしまった。

 

 このように、三種の神技は1つ達成するだけでも至難の業。3つすべて達成するのはほぼ不可能である。それを、昇合はやってのけたのだ。記録達成後の取材記事によると、この中で一番難しかったのは「1」だったそうだ。当時、昇合は山にこもり、何ヶ月も岩を磨き続けた末、鏡を完成させた。

 

「同じ作業を繰り返すのは苦手じゃなかったけど、困ったのはさ、岩より先に自分の手が鏡になっちゃったことだよ」

「どうしようか困っていると、木陰から師匠がそっと出てきて、何も言わずにシルクの布を被せてくれたんだ。上手く言えないけど、なんとなく師匠の気遣いがわかったよ」

 

 師匠というのは、昇合がまだプロの宗教家になる前、世話をしてくれた神主「稲頭(いなとう)」のことである。彼は日本で十指に入る神道の宗教家であり、昇合のその後の思想に大きな影響を与えた人物である。

 

 さて、忘れてはならないのは、昇合はこの「三種の神技」をあと2回、合計で3回も達成したことである。これはもちろん史上唯一であり、今後も破られないだろう。ちなみに、2度目以降は難易度が必然的に下がってしまうので、昇合は自らハードルをあげたと言われている。例えば「1」では岩ではなく羊の体を磨き上げ、鏡に変えてしまった。結果、羊は牧場の風景を反射してどこにいるかわからなくなり、誰にも見つかること無く天寿を全うしたと言われている。実に慈悲深いエピソードである。

 

 

 余談だが、宗教を語る上で「記録」という言葉が出たことに、違和感を得た方もおられるだろう。宗教は争うものでなく、まして物事を数値化することとは無縁だと。しかし、宗教界は他のどの世界よりも競走が激しく、戦いの連続である。権力争い、財力争い、地位や名誉の奪い合い。修行一つとっても難易度分けがなされており、それによって実力が評価される。宗教上の「記録」を樹立すれば、周りの目はガラリと変わる。

 

 考えてみれば、仏教ならば欲の誘惑を超えた先に悟りの境地がある。多くの宗教で現在でも断食や断眠の習慣があるのは、その証拠に他ならない。ということはつまり、一度は欲に溺れ、欲を知り、欲を断つという流れになる。競走や争いも同じ。周囲の嫉妬や羨望、対抗心をはねのけ、悟りを邪魔するものが無くなり、ようやくスタートラインに立つのだ。

 

つづく