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「人間失格」のレビュー[あらすじ,考察(解説),感想]

 

若いうちに読んでおきたい太宰の名作!

人間失格 (新潮文庫 (た-2-5))

もくじ

 

はじめに

「人間失格」は太宰の作品の中でも最も有名なもの、ある意味で太宰治の代名詞のようになっている作品です。1948年、太宰が38歳の時に執筆し、死後に発表されました。
 太宰は入水自殺によって死んだのですが、一年前に発表した「斜陽」がベストセラーになり、一躍人気作家となったばかりでした。若いうちから自殺未遂を繰り返していたとは言え、あまりに急な死でした。

「人間失格」は太宰の遺書のように語られることも多いですが、遺作としては同じく死後に発表された「グッド・バイ」があります。そちらは未完の作品となっており、朝日新聞への連載予定があり、死の前日も原稿を書いていました。なおかつ、その内容も、新たな太宰の作風を予感させるもので、それも合わせて自殺は不可解なものとなっています。

 

あらすじ

 物語は、主に主人公が人生を回想していく形をとっています。
 構成は「はしがき」「第一の手記」~「第三の手記」「あとがき」となっています。

 中身の濃い作品であり、有名ということもあって、あらすじは少々長めになっています。

 

 「はしがき」~「第二の手記」

  主人公の「大庭葉蔵」は、太宰そのものといっていいでしょう。津軽の名家に生まれ、子供の頃から何不自由のない生活をしてきました。しかし、裕福な生活はむしろ、彼にとって不自由なものでした。例えば彼は、空腹のために食事をした記憶がありません。そして、それとは逆に、多くの人間が生きるために飯を食い、飯を食うために働いていることを知り、恐ろしく感じます。

 普通の人間にとっては、生きる上での苦痛や恐怖は空腹、言い換えれば貧乏であり、それを満たすために生きている。しかし、常に腹が満たされていては、何を目的として生きていけばいいのか? むしろ、生きる上での本当の恐怖は、空腹によってごまかされているだけで、多くの人はそれに気がついていないのではないか? 空腹の奥に本当の恐怖があるのではないか?

上記の部分については、多少なりとも私個人の解釈を含みますが、概ねこのような意味で間違いないと思います

 彼はこのように思い、いつしか人間が恐ろしくなってしまいました。そこで彼がとったのは、道化になること、つまり、ひょうきん者という仮面を被って生きることでした。彼自身はそれを、「人間に対する最後の求愛」と言っています。そして、彼は、家でも学校でも、とにかくおどけて見せて、本当の自分を隠して生きるようになったのです。

 しかし一方で、彼のお道化は天才的であり、勉強ができてクラスの人気者、学校の先生も取り込んでしまうほどです。本当の姿を隠したまま生きるのが当たり前になってしまい、そのまま彼は中学高校と進んでいき、東京へ出て大学生になります。東京には、政治家であった父の別荘がありました。葉蔵は寮生活の傍ら、ほとんど学校には行かず、父の留守を狙って別荘を訪ねて本と絵に夢中になり、画家のアトリエにも通っていました。そんな中、彼はアトリエにて堀木という美大卒の6つ上の男と知り合います。

 葉蔵は堀木から、酒や風俗を教わります。田舎出身で都会に縮こまっている自分とは対照的に、彼は遊び上手でおしゃべり。葉蔵にとって彼は、「自分の代わりに道化になってくれる」存在だったのです。葉蔵は実家にいた女中を始めとして、女性の多い環境で育ったこともあり、風俗に通い始めてからは知らぬうちに「女達者」になり、自然と女を引き寄せるようになります。

 堀木はまた、彼に共産主義の秘密会合を教えます。堀木も彼も、思想に惹かれたわけではなく、遊び半分で参加していました。ただ、葉蔵は、その非合法の雰囲気に居心地の良さを感じます。社会や世の中といった合法の底にある奇怪なものの方がよっぽど恐ろしく、非合法の方がかえって気楽だったのです。そんな中、父が議員を引退して別荘を引き払ったのを期に、彼は下宿での一人暮らしを始めます。父がいた時は日用品から服、本、食事まで、父の顔でツケで済ませていたのが、下宿となると事情は一変。毎日のように遊び歩いていたこともあって、金に困り、故郷の兄弟へ金の催促をするようになります。そして彼は、東京に出て2年目の秋、ある女と情死事件を起こします。

 銀座で水商売をしていたその女は、2つ年上で夫は服役中という訳有りの身。一度会っただけですが、彼女の何とも言えない「侘びしい」感じに葉蔵は惹かれます。彼女もまた金に困っており、人生にも疲れていた様子で、久しぶりに再開した時に「一緒に死のう」と持ちかけられます。そして。2人は鎌倉の海へ飛び込み、葉蔵だけが助かってしまうのです。

 

 「第三の手記」~「あとがき」

  情死事件のために、葉蔵は大学を追い出され、父と付き合いのあった骨董商の男の家へ預けられます。兄弟からの送金はその男のもとへ送られるようになり、葉蔵は遊ぶ金も無く、一日中、二階の狭い部屋で過ごすようになります。家には17くらいの息子も同居していました。そのうち、2人の軽蔑の目から逃れるようにして、葉蔵は家を出ていきます。

 行くあてもない葉蔵は、堀木の家を訪ねます。彼の実家は下駄をつくっており、一階が工場で、二階の6畳間が彼の部屋でした。実家での彼は、親孝行で礼儀正しく、いつもの遊び人の雰囲気は全くありませんでした。葉蔵はそんな、都会人のつましさとでも言うべき、内と外とを区別して生きる堀木を見て、見捨てられたように感じます。そんな堀木のもとに、出版社の女が訪ねてきます。

 葉蔵はそのまま、未亡人である女の家に転がりこみます。女には5つの娘がおり、その子に描いてやった漫画がきっかけで、子供向け雑誌に連載を始めます。何とか食い扶持を得た葉蔵は、晴れて女と同棲を始めるわけですが、なんとも言えない心細さは以前のままでした。そんな彼の唯一の救いは、彼を「お父ちゃん」と呼ぶ女の子でしたが、ふとした時に「本当のお父ちゃんが欲しい」と言います。また、たまに訪ねてくる堀木も、命の恩人のような振る舞いで、説教めいたことばかり言います。結局、葉蔵は酒に溺れ、金に困れば女の洋服を質に入れ、何日も家を空けるようになります。そして、罪悪感に苛まれるようにして家を出ていきます。

 今度はバーのママのところに転がり込みます。彼はこの頃から、世の中について、それほど恐ろしいものではないと、思うようになりました。生きる上での目標も、生きる意味も、そして生きることの難しさも、結局は個人に還元されると、彼は考えるようになりました。相変わらず人間に対する恐怖はあるものの、彼は以前よりも図々しく振る舞えるようになったのです。彼はそのうち、低俗雑誌に絵と詩を描くようになり、相変わらず酒を飲んで過ごしていきます。そんな彼に、酒をやめるように言う女がいました。タバコ屋の17、8の娘です。酔っ払って介抱された際に、葉蔵は酒をやめるから、結婚してくれと冗談を言います。しかし、娘の方はまんざらでもなく、彼の言葉を真に受けて信じていました。そんな、世間も男も知らない純粋な娘に、葉蔵は何かしらの希望を見出します。

 *

 葉蔵はそれから、タバコ屋の娘ヨシ子を内縁の妻にし、アパートで2人暮らしを始めます。酒もやめ、漫画の仕事に精を出し、ようやく安泰を手にしたかに思えました。そんな2人のもとに、久しぶりに堀木がやってきます。彼は葉蔵を「色魔」と呼び、出版社の女が会いたがっているなどと冗談とも本気ともつかぬことを言います。そんな彼を疫病神のように感じつつも、これもまた交友であると、葉蔵は思っていました。それから再び堀木と付き合い始め、かつてのバーや、出版社の女の家へ訪ねたりします。

 そんなある日、蒸し暑い夏の夜、堀木と葉蔵はアパートの屋上で酒を飲みます。言葉遊びをしているうちに、堀木が葉蔵に「恥知らず」とか「罪人」などと言い始め、葉蔵は思わずカッとなって怒鳴り、堀木につまみを取りに行かせます。すると、堀木が血相を変えて戻ってきます。あわてて階段を下りて行くと、窓越しに部屋の中が見え、そこでヨシ子が男に犯されていました。それは、葉蔵に漫画を書かせていた男でした。

 それからというもの、ヨシ子は何かに怯えたようになり、葉蔵と目を合わすことも出来ず、いつしか敬語を使うようになってしまいました。一方の葉蔵は、再び酒に溺れてしまいます。そしてその年の暮れ、深夜に酔って帰った葉蔵は、台所の棚にラベルの剥がされた睡眠薬の箱を見つけます。葉蔵はそのまま、薬を全て飲み、そのまま眠ってしまいます。

 三日三晩眠り続けて、なんとか葉蔵は助かりました。しかし、ヨシ子は責任を感じ、ますますふさぎ込み、一切笑顔を見せなくなります。葉蔵は体を壊し、仕事もろくにせず、酒浸りになり、血まで吐くようになります。そして、ついには、薬屋で手に入れたモルヒネ中毒になります。いよいよ追い詰められ、自殺をしようとしたところで、彼は精神病院に入れられます。その後、父の死を期に、彼は故郷に戻ります。兄弟が与えてくれた海辺の温泉地、その村外れにあるボロ屋敷に、老婆と2人で暮らし始めます。

27歳、白髪が増えて40にも間違えられるほど老け込んだ葉蔵は、人生においてただ一つ確かなことに気が付きます。それは、「ただ、いっさいは過ぎていく」というものでした。

 

考察(解説)

 この作品は、1948年、雑誌「展望」において全三回の連載作品として発表されました。そして、第一回の発表の約一ヶ月後に、太宰は自殺をしてしまします。前年の「斜陽」のヒットもあって、その衝撃は大きかったようです。

裕福ゆえの生きることへの疑問

 作品の内容について見ていくと、主人公の葉蔵の苦悩は、哲学的な苦しみから始まっています。人間は食うために生きているが、いざそれが満たされると生きる意味を見失ってしまう。多くの人間はそこで立ち止まらず、再び食うために働きます。しかし、葉蔵はそこで立ち止まって、深く考えてしまった。そこから苦悩が始まったのです。
 また、裕福な家庭に育ったということで、基本的な衣食住には満たされていたため、世の中の実利的な面よりも、快楽、芸術、理想といった面にばかり目がいっていました。
 結果、葉蔵は世の中と人間が難解なものに見え、ついには恐怖するに至ったのです。

 

苦悩はすべて対人関係から生じる

 人間への恐怖の一方で、彼は大学に入るまでは、世間的には「上手く」生きていきます。そして、大学入学以降は女に依存していきます。人間や世の中への恐怖の一方で、それに適応し、依存もする。この矛盾を、酒、非合法、そして新たな女によってごまかして生きていきます。
 しかし、それもやがて破綻が訪れます。金に困って情死をしてからは、彼は自分を見失ってしまいます。ここから彼は、女性に頼り、女性に苦しみ、新たな女性を求めて、生きていきます。その中で彼は、「生きる意味、難しさ、苦しさのすべては、個人に還元される」という、ある意味で人生の答えのようなものを見つけます。しかし結局は、彼は個人によって苦しめられます。最後は全てを悟ったように、そしてすべてを諦めたように、「いっさいは過ぎていく」という結論に達します。

 

生きることに不器用だった葉蔵

 葉蔵は自分を「人間失格」だと言っていますが、彼の生き方は、人間の本質を表しているとも言えます。多くの人間は、その本質的な部分をうまくごまかして生きています。しかし葉蔵は、それができなかったのでしょう。間違いだらけの人生の中でも、彼は人生についての答えを見つけています。しかし、それを見つけるのが遅すぎた、あるいは、答えと自分自身の生き方に折り合いを付けられなかったために、不幸な結果に終わってしまったのだと思います。

 

あとがき(感想)

 この作品については、彼が若いころ傾倒していた、芥川龍之介の影響があるように感じてなりません。主人公が世の中に苦悩し、精神病院に送られてしまう「河童」、あるいは日常と芸術の矛盾に苦悩する芥川自身を描いた「歯車」といった、芥川の晩年の作品と似ている部分が非常に多いです。
 「歯車」にいたっては、芥川が自殺した後に発表された作品であるというところも、共通しています。

 それと、個人的な話ですが、この作品は学生時代に一度読んだことがありました。その時の感想は、「読みやすい文章」だとか、非常識な人物を描いていながら「何か共感させるところがある」といったものでした。久しぶりに読んでみたところ、今度はあまりに内容が重すぎて、最後は読むのが辛かったです。
 今年に入って、太宰の作品を年代順に読んでいったところ、作品のバリエーションが豊かなことに驚き、「人間失格」ばかりが注目されていることに疑問を感じ始めていました。太宰の作品には前向きで明るい作品や、思わず笑ってしまうような作品などがたくさんあり、一般的な太宰のイメージが人間失格の暗く退廃的なイメージとなっていることに疑問を感じていました。しかし、一周回って再びこの作品を読んでみると、やはり、代表作の一つとするにふさわしいとも思ったのです。

参考文献

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