「蜜柑」(芥川龍之介)のあらすじ[考察,解説,感想]

2015年2月8日

若き日の芥川の実体験をもとにした作品

蜘蛛の糸・杜子春 (新潮文庫)

もくじ

 

 

はじめに

 この作品は、芥川本人の体験を小説としてまとめたものです。発表は1919年(27歳)で、作中のエピソードは1916年(24歳)当時のものです。

 大学卒業後、芥川は横須賀の海軍機関学校にて英語の嘱託職員として働き始めます。この年は「鼻」「芋粥」などを発表した年でもあり、他にも師匠である夏目漱石が死去するなど、小説家としての芥川にとって、ターニングポイントと言ってもいい年でしょう。

 芥川は横須賀に勤めつつ、鎌倉に下宿していました。鎌倉から職場に行く際、あるいは横須賀から帰京する際などに、横須賀線を利用していました。物語の中では、上りということで、東京行きの列車となっています。

 

あらすじ

 ある曇った冬の日暮れ、男は電車の中で、発車の笛が鳴るのを待っています。車両には彼一人しかいません。そして彼は、「云いようのない疲労と倦怠」を感じていました。そんな中、発車の笛とともに下駄の音が聞こえ、車掌の罵り越えとともに、一人の少女が車内に駆け込んできました。

 ようやく発車したのもつかの間、男は少女の下品な顔立ちと不潔な服装を見て、不快に思います。少女は、傷んだ髪と日々だらけで赤く火照った頬の、いかにも田舎者といった容姿でした。男は気を紛らわそうと、新聞を手に取ります。そこでちょうど、列車はトンネルに入り、電燈が灯されます。しかし新聞を読んでみても、物寂しいながらも平凡な記事ばかりです。

蜜柑

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
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 男はそこで、トンネルと、田舎者の娘と、平凡な記事ばかりの夕刊が、ちょうど「不可解な、下等な、退屈な人生の象徴」のように思えてきます。そして、新聞を投げ出し、居眠りを始めます。

  しばらくして、男はふと目を覚まします。すると、先ほどまで向かい側にいた娘がすぐ隣の席におり、列車の窓を開けようとしていました。重いガラス戸がなか なか上がらず、鼻をすすりつつ息んでいる娘の姿に、男はほんの少し同情します。しかし、列車は再びトンネルに差し掛かっており、このままでは、すすが車内 に入ってきてしまいます。男は娘の行動を単なる気まぐれと判断し、窓を開けようと悪戦苦闘する娘を「永久に成功しない事でも祈るような冷酷な眼で眺め」て いました。

 運悪く、トンネルに入る直前で窓があき、車内はすすだらけになり、男はせき込みます。しかしすぐに列車はトンネルを抜け、外は 明るくなり、土や草や水の香りを含んだ、新鮮な空気が入り込んで来ます。一方娘は、すすなど気にせず、窓から顔を出しています。娘の視線の先には、田舎町 の踏切があり、その前に頬の赤い三人の男の子が並んでいるのを見つけます。

 すると、男の子は一斉に手をふり、歓声をあげます。娘の方もそれに応 えて手を振りました。そしてその瞬間、鮮やかな色をした5つほどの蜜柑が、男の子たちの上へと降ってきました。そこで男はすべてを了解します。奉公先に向 かう娘は、わざわざ見送りにきた弟たちに向けて、労を報いる意味で蜜柑をまいたのです。

 この光景を目にし、男は「得体の知れない朗な心もち」になります。彼はこの瞬間、「云いようのない疲労と倦怠とを、そうして又不可解な、下等な、退屈な人生を僅に忘れる事が出来た」のです。

 

考察(解説)

物語のキーワード

  この蜜柑という作品は、短いということもありますが、登場人物の心情について綺麗に整理されており、その変化についても、筋道だっていてとらえやすいです。

 主人公の男は冒頭で、檻の中で吠える子犬の姿に自分の心情を照らし合わせ、「云いようのない疲労と倦怠」と表現しています。それから、乗り込んできた娘を見て不快に思い、気を紛らわそうと読んだ新聞は平凡で、いよいよ男は

「この隧道の中の汽車と、この田舎者の小娘と、そうして又この平凡な記事に埋(うずま)っている夕刊と、――これが象徴でなくて何であろう。不可解な、下等な、退屈な人生の象徴でなくて何であろう」

と考えます(※隧道……トンネルのこと)。

 そもそも疲労と倦怠でいっぱいだったところに、こまごまとしたことが目につき、いよいよ気持ちが落ち込むというわけです。このようなことは、多くの人が日常で経験しているでしょう。ここでポイントとなるのは、「トンネル、娘、新聞」がそれぞれ「不可解、下等、退屈」と対応しているところです。ここらへんが、理路整然としている芥川らしい個所かと、個人的に思います。そしてこの対応関係を保ったまま、物語は進んで行きます。

 

 後半での鮮やかな転換

  男のそんな気持ちはつゆ知らず、トンネルに差し掛かろうとしている列車の窓を、娘は開けようとします。いよいよ男は冷酷な眼で見つめるまでになります。ところが、列車がトンネルを抜けたところで、状況は一気に転換していきます。トンネルの中ですすだらけになったところで、一気に視界が開け、新鮮な空気とともに町はずれの踏切が現れます。そして、声を上げる三人の子供と、鮮やかな色の蜜柑が目に飛び込んできます。

 物語ははじめ、憂鬱、トンネル、すすという、いかにも暗い印象を与える要素が並びます。そこにきて、トンネルの通過とともに、明るく、生き生きとしたものが現れます。そして男は、「得体の知れない朗な心もちが湧き上って来るのを意識」します。

 ここで、先ほどの「不可解、下等、退屈」はどう変化したでしょうか。まず、不可解の象徴であるトンネルは、その先で開けて、のどかな風景に変わります。また、下等であった娘は、田舎者だからこその純真な優しさを見せてくれます。そして、平凡であった日常については、むしろ平凡であるからこそ、些細なことが輝いて見える、あるいはちょっとした優しさに大きな感動を見いだせる、などといったことを教えてくれます。

参考文献・作品情報

参考文献

  • 蜜柑」(青空文庫,2013年5月25日アクセス)
  • 蜘蛛の糸・杜子春』(芥川龍之介,新潮社,第89刷,2012年,pp.34-39,144-146,182-183)

作品情報

【年月】

  • 1919年(27歳)5月発表
  • この年に、大阪毎日新聞社へ入社(寄稿)し、本格的に執筆活動へ入る。また、私生活では塚本文と結婚。中期。

【ジャンル】

  • 「実体験」(横須賀での教師時代の実体験を元にした作品)

【テーマ】

  • 平凡で退屈な日常と、その中にある喜びや感動

【ページ数】

  • 7ページ(新潮文庫,2012)