「蜘蛛となめくじと狸」(宮沢賢治)のあらすじ・レビュー

2014年9月20日

宮沢賢治の最初期の作品!
動物たちが繰り広げる、地獄行きのマラソン競走!

新編 風の又三郎 (新潮文庫)

もくじ

「蜘蛛となめくじと狸」のあらすじ

 山の中に住む蜘蛛、なめくじ、狸。彼らは弱肉強食の世界で、それぞれのやり方で生活していました。蜘蛛は命乞いをする虫を無慈悲に食い、徐々に巣を大きくしていきました。なめくじは偽善者であり、優しい言葉で動物を誘い込み、隙を見せたところでだまし討ち。狸は妙な宗教を開き、弱みに付け込んで生きていました。

 そんな三匹の動物は、ちょっとした口論から、あるいはその性格が災いして、順番に命を落としてしまいます。いがみ合う三匹の動物が繰り広げる争いを、宮沢賢治は「地獄行きのマラソン競走」と名づけました。

「蜘蛛となめくじと狸」の解説・考察

  この作品の面白さは、落語のような前振りとオチのある構成です。全体の流れは上述のあらすじを見ればわかると思います。まずは冒頭の文章を見てみましょう。

フリとオチのある落語のような構成

 蜘蛛と、銀色のなめくじとそれから顔を洗ったことのない狸とはみんな立派な選手でした。けれども一体何の選手だったのか私はよく知りません。
(中略)
 けれどもとにかく三人とも死にました。
 蜘蛛は蜘蛛歴三千八百年の五月に没くなり銀色のなめくじがその次の年、狸が又その次の年死にました。三人の伝記をすこしよく調べてみましょう。

引用元:宮沢賢治(2005)『新編 風の又三郎』新潮社,第二十三刷,p45

  これが前振りです。ここから三匹の動物がどのように争い、死んでいったかを、説明していくわけです。

 

 三匹の動物はささいな口喧嘩によって関係をもちます。蜘蛛は狸に巣のことを馬鹿にされ、悔しさバネに巣をどんどん大きくしていきます。しかし、それがたたって食べきれないほどの虫がかかり、腐って死んでしまいます。

 一方、なめくじは偽善者です。蜘蛛や狸には口喧嘩で負け、そのたびに悔しくて病気になってしまうような奴です。一方で、なめくじは弱った動物に親切をして恩を着せ、その見返りに相撲を取ろうと言います。そして、「もういっぺんやろう」と言って相手が弱るまで何度も投げつけ、最後は食べてしまいます。そんななめくじも、頭のいいカエルに逆に食べられてしまいます。カエルはわざとなめくじの誘いにのって相撲をしますが、途中で「塩をまく」のです。するとなめくじは足が溶けて動けなくなり、カエルに食べられてしまうのです。

 最後は狸。狸は口喧嘩が一番強く、蜘蛛を言葉で殺し、なめくじも病気にさせました。そんな狸は宗教家であり、困り果てた動物たちが相談にやってきます。狸は何やら呪文のようなわけのわからぬ念仏を唱えながら、動物たちを足や指の先から食べていきます。動物の悩みや苦しみにつけこみ、「すべて神の思し召し」といって騙すのですから、最も質が悪いとも言えます。

 そんな狸の最期は、ウサギやら狼やらをまるごと食べた為に、腹に土や泥が溜まって膨れ、しまいには草や木が生え、地球儀のようになって死んでいきます。

 

 ささいな口論、あるいはそれぞれの性格や生き方のために、三者三様の死に方をします。これを宮沢賢治は、最後に次のように説明します。

 なるほどそうしてみると三人とも地獄行きのマラソン競走をしていたのです。

引用元:宮沢賢治(2005)『新編 風の又三郎』新潮社,第二十三刷,p61

 

岩手の農民たちを表現した寓話

(中略)陰惨で恐ろしい話だが、よく見ると、蜘蛛も狸も、「あんまりひもじくておなかの中にはもう糸がない位」「すっかりお腹が空いて一本の松の木によりかかって目をつぶって」という工合に、極度の飢餓状態で登場するし、なめくじのところへ最初にやってくるかたつむり,狸の最初の犠牲者となる兎も、ひもじさに死にそうな思いをしている。岩手県は、古来冷夏や旱魃で凶作・飢饉に苦しんだ土地で

引用元:宮沢賢治(2005)『新編 風の又三郎』新潮社,第二十三刷,p333(解説)

 宮沢賢治は、岩手の農民の苦しい生活について、物語で表現することが多いです。賢治は岩手県の地主の家に生まれ、岩手大学農学部に進学、農業高校教師を経て、農業指導の仕事をしていた人物です。そして、岩手の農民の苦しい生活を憂う一方で、自信の裕福な出自に矛盾を感じ、悩み苦しんだ人物でもあります。その経験が様々な作品に生かされており、この作品もその一つと言えそうです。

 この作品では、凶作や飢饉で苦しんだ人々と、彼らから搾取する人々、あるいは弱い人間を騙す人々を描いています。単純に物語を見れば、悪人が因果応報によって死ぬという解釈ができます。しかし、実は悪人も止むに止まれぬ事情があるということを、上述の解説文は言っているのでしょう。

 

 重いテーマをユーモラスに描く

 ここまで見ていくと、「地獄行きのマラソン競走」という表現が生きてきます。厳しい環境の土地に住む人々が、精一杯生きていく様がマラソンです。そして、一生懸命頑張っても報われることもない、それどころか、ゴールは地獄だという苦しい境遇を表現しているのです。

 このようなテーマを、悪人を主人公にして、ユーモアのある文章で描くというのが宮沢賢治のすごいところです。これが、作品に奥深さを与えているのだと思います

参考文献

 

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