徹底解剖!北野武監督の映画理論[撮影秘話・手法,表現方法,脚本作成]

2018年3月8日

北野映画がさらに面白くなる!
監督の書籍から見る、北野映画の作り方

参考書籍


物語 [ 北野武 ]


そのバカがとまらない たけしの中級賢者学講座

もくじ

北野映画の特徴
  • 映画における「省略」
    • 徹底的な無駄の排除
    • 映画は紙芝居
    • 映画のシーンは因数分解
    • セリフの省略
    • 突発的なアクション
  • 緊張と緩和(暴力とコメディ)
    シリアスと笑いは表裏一体
  • リアルな描写
雑誌・インタビューから見る、北野武監督の映画理論!
  • 映画を始めた頃の感覚について
  • 脚本・ストーリーの作り方について
    • 『その男、凶暴につき』の例
    • 『ソナチネ』『HANA-BI』の例
  • 映画の基本/セリフの省略
  • 映画のテーマについての考え方
    • 性と死について(『HANA-BI』を一例に)
    • 愛情と暴力について(『Dolls』を一例に)

北野武監督まとめ

北野映画の特徴

映画における「省略」

徹底的な無駄の排除

映画っていうのは、現実の時間から余計な時間を省いて見せたもの

引用元:「そのバカがとまらない たけしの中級賢者学講座」(2003,北野武,新潮社)より

 北野監督の基本となる手法の一つです。これは監督になる前からテレビなどでネタにしていた話で、「映画は説明的なものが多い」「予定調和のドラマばかり」と語っていました。実際に北野監督の映画を見ると、説明が極端に少ないですし、場面転換もざっくりと行うので、最初はびっくりしてしまうほどです。

 映画は非現実を描くもので、限られた時間の中で長い時間を映していくもの。そうなると、自然と無駄を省くことになるし、無駄な装飾が省けるとむしろ各シーンが際立ちます。現実主義、合理主義の監督らしいところです。

映画は紙芝居

  • 理想の映画は、「十枚の絵」で見せて、客が感動するようなもの(中略)余計なものをすべてはぎ取って、十枚の絵で見せる。それで足りないものがあれば、逆に足していけばいいという発想
  • 映画は紙芝居の発想

引用元:「そのバカがとまらない たけしの中級賢者学講座」(2003,北野武,新潮社)より

 これも有名な話です。映画はその起源を見ると、静止した映像をつなぎ合わせて物語を紡いでいくというもの。まさに紙芝居と一緒です。いろいろな作品でこの手法は実際に使われており(『その男、凶暴につき』『ソナチネ』など多数)、例えばラストシーンのアイディアがあり、その前の部分でも「これを撮りたい」という画のイメージがある。そこから、ラストシーンから逆算して必要なものを加えていく。

 理想の映画の撮り方としても、北野監督はよく「何枚かの絵を見せて、それだけで物語が相手に伝わる」という究極系を語っています。

映画のシーンは因数分解

Aという犯人がX、Y、Zという人間を殺していくとする。間抜けな映画はAがXを撃ったり、Yを刺したり、Zを絞め殺したりしていくわけ。だけどそんなのは、Aが歩いていくシーンに、死体を三つインサートする方法もある。つまり、A(X+Y+Z)というわけで、これは因数分解の発想だよね。

引用元:「そのバカがとまらない たけしの中級賢者学講座」(2003,北野武,新潮社)より

 最も有名な北野映画の手法が、この因数分解の法則かもしれません。因数分解というのは、例えば「A×X+A×Y」という式を省略するために括弧でくくるというもの。「A(X+Y)」となります。表記する文字の数も減りますし、式全体の構造もひと目でわかる。これを映画でも応用できるというのが、北野監督の因数分解。

 引用部分に補足説明をすれば、例えばAという犯人がX、Y、Zという人間を殺していくシーンを一つづつ撮れば「A×X+A×Y+A×Z」と長い式になってしまう。映画ならば、少なくとも3つの別の動きを撮ることになる。そこで、Aを歩くシーンを映し、その後で倒れている3人を写す。たった2つの動きの少ない映像で、同じことが描ける。「A(X+Y+Z)」というわけです。

 省略にはもう一つ意味があって、あえて殺す時の動きを見せないことで、観るものに「どうやって殺したんだろう」と想像させる効果があります。想像に勝る演出はないなどと言われますが、定形の映像を見せるよりも、個々の観客に想像させるほうが、その人にとって「最高」の映像を頭に描けるわけです。

セリフの省略

  • 無駄な説明の省略
  • 映像だけで理解させる

 北野監督は映画について「1枚の写真から始まり、フィルム(映像)、セリフ、音楽といろいろな要素が付加されたもの」と語っています。そして、最初の1枚で伝えたいことをすべて表現することが理想としています。

  ここまでにあげた3つの手法も、やはりその理想形に倣った理論があります。北野映画はとりわけ初期から中期にかけては無駄なセリフのない作品がほとんどですが、中でも象徴的なのはデビュー作や『HANA-BI』あたり。とりわけ『HANA-BI』は着たの監督が語る理想形にかなり近いものが出来上がっています。

突発的なアクション

 これも省略に付随するものですが、北野映画では無駄な説明やセリフを省略し、なるべく画だけで表現しようという意図があります。そのために、観ている人が予想する前にアクションが行われます。前置きなしの暴力描写が印象的です。

 これは別の効果も与えます。突発的な暴力によってそのインパクトが増すというものです。リアルな日常の世界では、暴力は突発的に起こるものです。娯楽映画でよく見られるのは、暴力シーンがあるまえに散々「来るぞ来るぞ」と煽って、思っていた通りにそれが始まる、というもの。北野監督の映画では前置きが無く、急に暴力が登城します。それによって、装飾品が無いにもかかわらずインパクトがあるシーンが実現するのです。

緊張と緩和(暴力とコメディ)
シリアスと笑いは表裏一体

 北野映画の代名詞とも言えるのが、暴力描写とコメディです。事件や殺し合いが起こる一方で、刑事が不謹慎なことを言い合って笑っていたり、ヤクザが子供のように遊んでいたりします。真逆にあるものを組み合わせることで、表現が増幅されるような印象を受けます。死を前にして小学生のように遊ぶシーンが印象的な『ソナチネ』などが好例でしょう。

 また、映画によって暴力は恋愛(『Dolls』)や芸術(『アキレスと亀』)に置き換わります。恋愛も突き詰めていけば暴力的(一方的な愛や感情の押し付け合い)であり、芸術の裏には例えば戦争といったテーマがあったり、芸術家の生い立ちや人生を見るとおよそ「平穏」とは言えない現実が潜んでいます。そもそも芸術の根源は個人のエゴでもあります。

 わかりやすい例では、アウトレイジビヨンドでは「言葉の暴力」になっています。激情では罵り合いのシーンで笑いが起こることがあったそうですが、これこそまさに緊張と緩和、暴力と笑いは紙一重という実例でしょう。

リアルな描写

  • 殴り合いで嘘臭いのは嫌なんだ。実際に素手でそう何発も殴れるわけがない。殴ったほうが骨折してしまうもの。本当は一発殴れば鼻血も出るし終わり
  • 第一作目の「その男、凶暴につき」を撮ったのも、おいらなら本当の「痛さ」が感じられる映画が撮れるんじゃないかと思ったからなんだ。

引用元:「そのバカがとまらない たけしの中級賢者学講座」(2003,北野武,新潮社)より

 ここでも暴力描写を例にあげますが、リアルさを出すための工夫として以下のものがあると思います。

  • 一瞬で勝負の決まるアクション
  • 容赦のない暴力

 例えば、武器を持っている場合には、ほぼワンアクションで勝負が決まります。殴り合いを延々と続けたり、銃撃シーンが長々と続くことはありません。ハリウッドのアクション映画の真逆と言ってもいいでしょう。

 一方で、刑事が、麻薬の売人に入手ルートを吐かせるシーンなどは、相手に言い訳をさせる暇なく、何十発もの平手打ちをしています。上の引用の部分に出てきた『その男、凶暴につき』では、リアルな暴力描写、痛みを感じる暴力描写が見事に表現されています。

雑誌・インタビューから見る、北野武監督の映画理論

映画を始めた頃の感覚について

漫才の中で、テレビドラマのばかばかしさってのを、よくネタにしてたの。(中略)犯人は必ず断崖絶壁に現れるとか。あと、尾行してるシーンで、明らかにすぐうしろからついてきてんのに、気づかないで歩いてるようなやつ、あるじゃない。自分が撮るときは、それをやんなきゃいいんだ、って感じがあったから、監督やんのはラクだったけどね。

引用元:「物語」(2012,北野武,ロッキング・オン)

 このあたりは、デビュー作で如実に表れていいます。デビュー作で印象的なシーンと言えば、凶悪犯を追いかけるシーン。主人公が犯人を走って追いかけるも、若い犯人に体力で追いつかず、途中で諦めて歩いてしまう。その後も、犯人がなかなか見つからず、延々と追いかけるシーンを描いていきます。

 映画監督になっても、やはりたけしさんの基本にあるのは芸人としての自分の感覚。様々な作品において、芸人としての感覚が活かされています。例えばアイディアや経験などは『座頭市』。下積み時代の殺陣とタップダンス、定形の物語をマイナーチェンジで崩すあたりなど、わかりやすく登場します。

脚本・ストーリーの作り方について

  • だいたいの映画は順撮りなんだけど。(中略)逆にさ、「こう撮ろう」ってのを最初から決めてあって、脚本に書いてても、現場に行ってやめる、っていうことも多いし。(中略)あんまり台本どおりやろうとすると、流れとか雰囲気とか違う、ってこともあんのよ。
  • 脚本書いた時点で大体映画って想像つくじゃない? それ絵にするだけだから。脚本書いてる時点で結構飽きてきてるとこあるんだよ。
  • 脚本を書く時間について
    「あの夏、一番静かな海。」の脚本は、2時間ぐらいで書いたかな。(中略)別の映画で5時間くらいかかったのもあったかな。(中略)こないだ、ニューヨーク行くとき、1本書いたんだ。飛行機の中で「アウトレイジ2」書いて。だから、あれは、10時間かけたんだ。(中略)それで、助家督やなんか、みんなに読 ませると、疑問とかを言ってくるわけじゃない。で、それで手直ししていく。

引用元:「物語」(2012,北野武,ロッキング・オン)

 北野監督は脚本を作り上げすぎないことで知られています。メモ程度は残すものの、現場で脚本をスタッフの前で放していき、弟子の人がそれをメモして脚本としてまとめる、といった手法を取っています(『たけし金言集』など参照)。

 アウトレイジシリーズなど近年の映画は、脚本を前よりもじっくり作ってあるのかな? という部分が見受けられます。アウトレイジビヨンドなどは、その物語の濃さを見ても、そうせざるを得ないところがあるかと思います。

『その男、凶暴につき』の例

「その男、凶暴につき」だと、まず、ハッピーエンドには、絶対ならないっていう。それで、暴力使う奴は死ぬ、っていう設定だから。だから、主人公は殺されるか、死ぬか。で、不幸な女がいる、っていう。まあ3人いるじゃない、キャスティングが。それが前提で、じゃあストーリーをどうしようって、新聞の4コマ漫画みたいに考えるの。そうすると、妹も本人も死ぬってのは、起承転結の「結」になるじゃない? で、その4コマ漫画の題材が刑事ものってなると、刑事、悪い奴、ひっくり返った、死んだって、って作るだけだよね。

引用元:「物語」(2012,北野武,ロッキング・オン)

 映画は4コマ漫画、という有名な話です。日本でもよく知られている「起承転結」でシンプルにストーリーをつくるというもの。ここではさらに、結末を最初につくって、そこから逆算してストーリーをつくるという手法も生きています。

『ソナチネ』『HANA-BI』の例

(『ソナチネ』)
 沖縄の海があって、ヤクザがいて、アロハシャツ着て遊んでる画があって。あと、自分の頭を撃つ画があって。もう、コンセプトってのはそれだけで、あとはどうやてその画につなげていくか、っていう。だから、脚本的には、「なぜ沖縄に行くことになるんだとう。じゃあ、ヤクザの抗争で行かなきゃいけなくなったことにしよう」とか、理由をつけていっただけで。記念写真の感覚で、何シーンかのイメージがあって。頭ん中で、その写真を並べて、ついないでいったて感じはある。

引用元:「物語」(2012,北野武,ロッキング・オン)

 小さなアイディアがそのまま作品の核となり、そこからどんどん理由付けをして物語を練り上げていく。ここからあんな芸術的な作品ができるのだからすごい。

(『HANA-BI』)
「ありがとう」って言ったあと、「ドン、ドン」って撃って終わりっていう、エンディングがまずあって。そこにいくまでにどうしたらいいかっつうと、まず、 なぜそこでかみさんと死ぬのか、って考えて、かみさんは末期ガンにしよう、って。で、そのかみさんの見舞いに行くために、張り込みを任せた同僚の刑事が撃 たれて下半身不随になる。

引用元:「物語」(2012,北野武,ロッキング・オン)

 ここでも、作品の重要な部分が逆算によって生まれていきます。こういった脚本の作り方をみるのは非常に面白いです。

映画の理想形
写真一枚で語れる映画

 基本的に映画ってのは、1枚の写真なんだけど、写真だと、ストーリーまで語れない。(中略)それじゃもの足りないときは、どうするか。その写真が動きゃいいんだよね。フィルムになる。それでも足りなきゃ、セリフつけよう、音楽つけよう、ってなるじゃない。しゃべらせよう、効果音を入れよう、カラーにしよう、って、じゃんじゃんつけ足してきたわけで。だから、最初の基本的な1枚の写真で、ものを語れなかったらダメだってのが、俺の持論だから。できたら、しゃべんなくていい、っていうのが、映画の基本だと思うんだよね。で、しゃべんなきゃダメなら、映画じゃなくて舞台やればいいじゃねえか、っていう。

引用元:「物語」(2012,北野武,ロッキング・オン)

 この引用部にちょっと手を加えると

 写真⇒フィルム⇒セリフ⇒音楽⇒効果音⇒カラー⇒SFX⇒……

 となる。映画の進化の過程を説明しているわけですが、たけしさんは現代で映画を撮る場合でも、そもそもの始まりである「写真」を重要視する。写真一枚で伝わるような映像を撮るのが、映画の本質だ、と。

 昔の映画は、とにかく説明的なセリフが多い(中略)向こうから知り合いが来て、普通、「おう」でいいのに、「おう、高橋、なんだ」って。それはそいつらの会話じゃなくて、映画を観てる奴のための会話であって。映画というのは、説明ばっかしたがるから。なるたけ説明せずにわかる方法ないかな、って感じだね。

引用元:「物語」(2012,北野武,ロッキング・オン)

 説明を嫌うと言うところも、写真一枚で語れるろいう映画の理想像からくるものです。日本映画は特に無駄なセリフが多く、ぎこちない会話をさせたり、説明的になることが多々見受けられます。そういった既存の映画を反面教師にしているところが、北野作品にはあります。

映画のテーマについての考え方

性と死について(『HANA-BI』を一例に)

性的なことと死って、すごい近いような感じするからね。性的なことって、生命を生む行為っていうか、創造する行為なんだけど、実は死ぬため、っていうとこがあって。カマキリとかクモみたいに、生殖と死は同時にあるみたいな。

引用元:「物語」(2012,北野武,ロッキング・オン)

 性と死が表裏一体というのは、人間でも言われていることです。体調が悪い時に性欲が増すとか、死を目前にした場合に同じことが起こる。こういった描写は、映画などでもよく描かれています。死を予感した登場人物が恋人と激しく愛し合うというシーンがその一例です。

 北野映画でも『アウトレイジ』で椎根桔平演じる水野が、死を予期した時に恋人と愛し合うシーンです。また、『ソナチネ』で沖縄で出会った女性との一幕もそうでしょう。

愛情と暴力について(『Dolls』を一例に)

 まあ、これも恋愛映画ではあるんだけど。でも、究極の恋愛映画というか。(中略)この映画の中で、その究極の愛っていうのは何かっていうと、アイドルと追っかけがそうだし、ヤクザとそれを待ってる女がそうだし、主人公の、好きだった女を裏切ったらその女が自殺未遂して、頭がおかしくなってしまったっていうのもそうだし。その3つとも、報われないけどね。(中略)どの愛も一方的な愛なんだよね。あの主人公は、自分のせいで、彼女が頭がおかしくなってしまって。その償いと愛で、ひたすら彼女に仕えてるんだけど、相手は頭がおかしいから伝わらないっていうね。やっぱりあれだよね、そういうのも、暴力だよね。愛ってのも暴力だなあと思うもん、相手にとっては。

引用元:「物語」(2012,北野武,ロッキング・オン)

 愛と暴力というテーマ。これは『Dolls』に顕著に現れているものでしょう。面白いのは、『Dolls』は全く暴力描写がない、いわゆる恋愛モノの作品です。一見すると北野映画の特徴である暴力描写が無いのに、よくよく考えると愛情は本質的に暴力的な側面を持っている、というわけです。

 同じような作品に、『アキレスと亀』があります。ヤクザものではないのに、非常に残酷なテーマがそこに流れています。同じテーマでも全く別の作品をつくれるといういい例でしょう。

まとめ

 北野映画は本当に奥が深い。そして、繰り返し見ると新たな発見があり、そこにはしっかりとした理論がある。北野映画に熱心なファンが多いのも、そういった部分が関係しているのではないかと、思っています。