SNSでの女子のつぶやき!?『女生徒』太宰治 – あらすじ[考察,解説,感想]

2018年3月7日

思春期の少女になりきる太宰治!
SNSでのつぶやきのような内容!


女生徒〔平成21年〕改 (角川文庫) [ 太宰治 ]

『女生徒』太宰治 – もくじ

<太宰治「女生徒」 – あらすじ>
  • 簡単なあらすじを読んでみよう!
    • 女子校に通う不思議ちゃん
    • 感受性豊かな思春期の少女
    • 大人と子どもの境目で移りゆく感情
    • 中途半端な心と未来への希望
  • 本文を読みながらあらすじを追ってみよう!
    • 朝、目を覚ます瞬間
    • 思春期の少女は冷酷だ
    • 電車の席の取り合いで「哲学」する少女
    • 雑誌を読んでまた哲学
    • 妄想の中でサラリーマンと結婚
<考察,解説,感想>
  • 太宰治の才能がよく分かる!
    • 少女の一人称視点による内面告白
    • 太宰の作家としての才能
    • 過去・現在・未来を移ろいゆく
    • 理想と現実の狭間
    • 女性シンガーソングライターのような言葉の数々

太宰治まとめ

太宰治「女生徒」 – あらすじ

 「女生徒」は太宰治の中期の名作のひとつです。20代の終盤において、太宰は断筆状態に陥りますが、かの有名な天下茶屋にて再出発を果たします(天下茶屋での太宰の生活は「富嶽百景」として一つの作品にまとめられています)。

 また、この年に婚約するなど私生活も充実し、太宰はここから、バラエティーに富んだ作品をいくつも世に送り出します。その中にあって、「女性徒」は若い女性の一人称告白体の小説という、特徴的な作品になっています。太宰はこの後も同じような作風の小説をいくつか発表しており(例えば後期の名作の一つである「斜陽」など)、彼の得意な作風の一つとなっています。

簡単なあらすじを読んでみよう!

女子校に通う不思議ちゃん

 主人公はお茶の水にある女子校に通う少女です。彼女が朝目覚める場面から、物語は始まっていきます。彼女にとっての朝は、かくれんぼで押入れの中に隠れていたところを見つかったような間の悪い感じ、何重にもなった箱を開けていって、結局何も無かった時のような気持ち。結局のところ、朝は「からっぽ」であり、人生に対して悲観的になり、醜い後悔ばかりするというのが、彼女にとっての朝です。

 そんな朝の目覚めから抜け出すと、その日はもう五月。ちょっと心が浮き浮きする一方で、彼女はふと、亡くなった父のことを考えます。しかし悲しみではなく、むしろ父が亡くなったという事実に対して不思議さを感じています。彼女は、日常のふとした瞬間に、まるで過去・現在・未来が一瞬に感じられるような、時間を超越したような妙な気持ちになります。些細な出来事や風景が、以前にも何度も繰り返し体験したような、既視感とも言うべき感覚。そして、今まさに目にしているものと、感じていることを、数年後に全く同じ状態で思い出すのだろう、という感覚。

感受性豊かな思春期の少女

 そんな彼女は、母からもらった傘に心躍らせ、パリの街角を歩く自分の姿を妄想するといった、いかにも少女らしい一面ももっています。しかし、妄想の途中で我に返り、妄想と現実との落差に、「私はみじめで可哀想」などと思うのです。登校の途中、駅に向かう道で、彼女は数人の労働者と一緒になります。労働者たちは汚い言葉で彼女をからかいます。しかし彼女は、彼らを無視して追い抜く勇気も無く、泣きそうになりながらも必死に笑顔をつくります。彼女はそれがくやしくて、くだらないことにも平然とできるように、「強く清くなりたい」と思うのです。

大人と子どもの境目で移りゆく感情

 彼女は感受性が強く、些細なことをきかっけにあれこれ考えては、すぐに自省的な気持ちになります。しかし、若さからか、次の瞬間には考えとは裏腹な行動をとってしまいます。そんな風にして、彼女の心は常にコロコロ変わっていきます。電車で席の取り合いをしたかと思えば、雑誌の内容に感化されて小難しいことを考え、覇気の無いサラリーマンを見て嫌気が刺したかと思うと、そんな彼らの一人にお嫁に行く自分を想像し、そして自分を情けなく思うのです。また、学校では教師を観察して、欠点ばかり探す一方で、いざ教師の前にいけば「いい子」を演じるのです。そして彼女は、「もっと自然に、素直になりたい」などと思うのです。

 家に帰れば、母は客間でお客さんの相手をしています。彼女は、ガランとした居間を見て、結婚して今は北海道に住む姉や、死んだ父を思い出し、寂しい気持ちになります。そして、母の笑い声に妙なよそよそしさを感じ、嫌な気持ちになります。しかし、よくよく考えると、父が死んで一番悲しいのは母だと彼女は思い、今後は母が妙に恋しくなります。彼女は、母にとっていい娘でありたい思いますが、それと同時に、ご機嫌取りばかりは嫌だという気持ちも持っています。

中途半端な心と未来への希望

 結局のところ、彼女は、心の準備がなされないままに、体がどんどん大人になっていくことに、困惑しているのです。心では大人びたことを考えていても、子供のわがままのような言動ばかりで、しかも子供のような純粋さは持っていない。そんな中途半端な自分に困惑しているのです。彼女はやがて、悟ったような、そして半ば人生を諦めたかのような、哲学的な考えに至ります。しかし彼女は、めまぐるしく変化する自分を楽しんでいるようでもあり、そこには将来への漠然とした希望があるのです。

本文を読みながらあらすじを追ってみよう!

朝、目を覚ます瞬間

 あさ、眼をさますときの気持は、面白い。かくれんぼのとき、押入れの真っ暗い中に、じっと、しゃがんで隠れていて、突然、でこちゃんに、がらっと襖をあけられ、日の光がどっと来て、でこちゃんに、「見つけた!」と大声で言われて、まぶしさ、それから、へんな間の悪さ、それから、胸がどきどきして、着物のまえを合せたりして、ちょっと、てれくさく、押入れからでてきて、急にむかむか腹立たしく、あの感じ、いや、ちがう、あの感じでもない、なんだか、もっとやりきれない。箱をあけると、その中に、また小さい箱があって、その小さい箱をあけると、またその中に、もっと小さい箱があって、そいつをあけると、また、また、小さい箱があって、その小さい箱をあけると、また箱があって、そうして、七つも、八つも、あけていって、とうとうおしまいに、さいころくらいの小さい箱がでてきて、そいつをそっとあけてみて、何もない、からっぽ、あの感じ、少し近い。パチッと眼がさめるなんて、あれは嘘だ。濁って濁って、そのうちに、だんだん殿粉が下に沈み、少しずつ上澄ができて、やっと疲れて眼がさめる。

引用元:「女生徒」青空文庫

 この冒頭の文章は、太宰治の想像力や表現力の巧みさがよく分かるところです。思春期の少女特有の感覚的・感情的な表現で、目を覚ます瞬間の何とも言えない気持ちを書いています。

 物語は、女子校に通う思春期の少女の一日を、目覚めから就寝までを描いたものです。たった一日の間に少女の気持ちは日常から哲学、未来まで様々なところを行き来します。そんな物語の冒頭として、素晴らしくインパクトを持っています。

 この作品は、このような巧みな表現のオンパレードです。他にも見ていきましょう。

「お父さん」と小さい声で呼んでみる。へんに気恥ずかしく、うれしく、起きて、さっさと蒲団をたたむ。蒲団を持ち上げるとき、よいしょ、と掛声して、はっと思った。私は、いままで、自分が、よいしょなんて、げびた言葉を言い出す女だとは、思ってなかった。よいしょ、なんて、お婆さんの掛声みたいで、いやらしい。どうして、こんな掛声を発したのだろう。私のからだの中に、どこかに、婆さんがひとついるようで、気持がわるい。これからは、気をつけよう。

引用元:「女生徒」青空文庫

 些細なことで深く考えてしまうのが思春期の少女。しかし、次の瞬間にはまた別のことを考えてしまいます。これは何も女性に限らず、思春期の少年も同じですが、女性を主人公にした方が感情表現が出しやすいということでしょう。

 それにしても、70年以上前に書かれた文章とは思えない、現代でも通じる面白い文章です。

思春期の少女は冷酷だ

 次に紹介する文章は衝撃的とも言っていいです。人間心理の核をつくような、考えずにはいられない内容です。少女にこの言葉を吐かせるという太宰のセンスにはまさに脱帽。

 ジャピイと、カア(可哀想な犬だから、カアと呼ぶんだ)と、二匹もつれ合いながら、走って来た。二匹をまえに並べて置いて、ジャピイだけを、うんと可愛がってやった。ジャピイの真白い毛は光って美しい。カアは、きたない。ジャピイを可愛がっていると、カアは、傍で泣きそうな顔をしているのをちゃんと知っている。カアが片足(※)だということも知っている。カアは、悲しくて、いやだ。可哀想で可哀想でたまらないから、わざと意地悪くしてやるのだ。カアは、野良犬みたいに見えるから、いつ犬殺しにやられるか、わからない。カアは、足が、こんなだから、逃げるのに、おそいことだろう。カア、早く、山の中にでも行きなさい。おまえは誰にも可愛がられないのだから、早く死ねばいい。私は、カアだけでなく、人にもいけないことをする子なんだ。人を困らせて、刺激する。ほんとうに厭な子なんだ。縁側に腰かけて、ジャピイの頭を撫でてやりながら、目に浸みる青葉を見ていると、情なくなって、土の上に座りたいような気持になった。
 泣いてみたくなった。うんと息をつめて、目を充血させると、少し涙が出るかも知れないと思って、やってみたが、だめだった。もう、涙のない女になったのかも知れない。

※不適切な表現を修正しておきました

引用元:「女生徒」青空文庫

 二匹の飼い犬の話。一匹は野良犬みたいな片足のカア。カアには冷たくして、可愛がられないだろうから早く山にでも逃げろ、と少女は言います。一見すると冷酷ですが、その裏にはある意味での優しさがあります。女性心理を巧みに描いた箇所です。一方で、少女は切ない気持ちにもなっています。

 それにしても、少女にここまで語らせるというのは、思い切ったやり方です。序盤でこういった表現が出てくると、「この物語は一筋縄じゃいかないな」と読者は思うでしょう。とても読み応えのある一説です。

電車の席の取り合いで「哲学」する少女

 電車の入口のすぐ近くに空いている席があったから、私はそこへそっと私のお道具を置いて、スカアトのひだをちょっと直して、そうして座ろうとしたら、眼鏡の男の人が、ちゃんと私のお道具をどけて席に腰かけてしまった。
「あの、そこは私、見つけた席ですの」と言ったら、男は苦笑して平気で新聞を読み出した。よく考えてみると、どっちが図々しいのかわからない。こっちの方が図々しいのかも知れない。
 仕方なく、アンブレラとお道具を、網棚に乗せ、

引用元:「女生徒」青空文庫

 あらかじめ荷物を置いて席を取っておくことと、置いてあった荷物をどけて座るもの。どちらが図々しいか、少女は考えてしまいます。考えてみれば、通勤電車の席は全て自由席で、早い者勝ち。荷物を置けば席が確保できるなんてルールはありません。絶対に席に座りたいなら、何よりまず席に座ることが一番。

 確かに、普通の神経をしてれば荷物がすでにあればわざわざそこに座ろうとは思いません。しかし、それをどけた人に対して「私の席だ」と言うのも、なかなか図々しい行為です。

 日常の些細なことで少女に哲学的なことを考えさせる。「図々しさ」という若い人間にとっては良いことなのか悪いことなのか判断できかねる物事を考えさせる。「見つけた席ですの」という言葉も印象的です。少女は女子校に通う裕福なお嬢様と言ってもいいかもしれません。

雑誌を読んでまた哲学

この雑誌にも、「若い女の欠点」という見出しで、いろんな人が書いてある。読んでいるうちに、自分のことを言われたような気がして恥ずかしい気にもなる。それに書く人、人によって、ふだんばかだと思っている人は、そのとおりに、ばかの感じがするようなことを言っているし、写真で見て、おしゃれの感じのする人は、おしゃれの言葉遣いをしているので、可笑しくて、ときどきくすくす笑いながら読んで行く。(中略)
 でも、みんな、なかなか確実なことばかり書いてある。個性のないこと。深味のないこと。正しい希望、正しい野心、そんなものから遠く離れている事。つまり、理想のないこと。批判はあっても、自分の生活に直接むすびつける積極性のないこと。無反省。本当の自覚、自愛、自重がない。勇気のある行動をしても、そのあらゆる結果について、責任が持てるかどうか。

引用元:「女生徒」青空文庫

 少女は雑誌に出てくる有識者たちの言葉は当たり前のことばかりの上っ面だと言います。この辺は、太宰の考えも盛り込まれていると思います。冒頭の目を覚ます瞬間に彼女が考えていたこととは全く違う、非常に大人っぽい考えです。

妄想の中でサラリーマンと結婚

私と向かい合っている席には、四、五人、同じ年齢かっこうのサラリイマンが、ぼんやり座っている。三十ぐらいであろうか。みんな、いやだ。眼が、どろんと濁っている。覇気がない。けれども、私がいま、このうちの誰かひとりに、にっこり笑って見せると、たったそれだけで私は、ずるずる引きずられて、その人と結婚しなければならぬ破目におちるかも知れないのだ。女は、自分の運命を決するのに、微笑一つでたくさんなのだ。おそろしい。不思議なくらいだ。気をつけよう。

引用元:「女生徒」青空文庫

 真面目なことを語ったと思えば、今度は向かいのサラリーマンを見て結婚について考えます。コロコロと移りゆく感情、これこそ思春期の少女の内面。

 ぼうっとして覇気のないサラリーマンに侮蔑の感情を抱きながら、微笑みかけられたらどうしよう、恋に落ちてしまうかも、などと考えます。

 物語はこのようにして、少女の一日を通じて思春期の内面を巧みに描いていきます。短編ですが全編に渡って見どころのある表現のオンパレードで、非常に面白い作品となっています。

太宰治「女生徒」 – 考察,解説,感想

太宰治の才能がよくわかる!

少女の一人称視点による内面告白

  この作品の特徴は、何と言ってもその独特の表現です。冒頭からラストまで、少女の一人称の視点による、内面の告白によって埋め尽くされています。その中身はと言えば、「つかみどころがない」「次から次へと話題が変わる」「喜怒哀楽が激しい」といったものです。ちょうど、女性の日記を覗いた時のような感覚に似ています。女の兄妹のいる男性なら、この感覚がよくわかるかと思います。最近ならSNSなどで赤裸々な日記を公開する女性がいますが、あの感覚にも似ています。

太宰の作家としての才能

 そんな文章を作品としてまとめあげる太宰は、やっぱりすごいと思います。普通の人がやったら、本当にただの日記になってしまい、読む人は飽きてしまうでしょう。とは言え、この「女生徒」も、読み終わった後は「いったい何が書いてあったんだ」と思ってしまうほどです。そんなギリギリのところで絶妙のバランスを保っている作品です。

過去・現在・未来を移ろいゆく

 物語は少女の一日を、朝起きるところから学校に行って夜眠るまでを、切り取ったものとなっています。そんな中にも、作品のテーマともいうべき物がいくつかあります。一つは、あらすじのところでも書きましたが、「過去・現在・未来」です。そして、「心も体も中途半端な少女」です。

 自由で宙ぶらりんな現在の中にあって、少女は過去を懐かしみ、漠然と未来を見据えています。そして、常に彼女の中には不安と期待、後悔と前向きな気持ちが入り交じっています。過去をなつかしむ時でも、ある時は後悔し、あるときは過去から学ぼうという姿勢が見られます。未来についても、希望ばかりでなく、悲観的なところや、妙に現実的で冷めています。

理想と現実の狭間

 もう一つ、大きなテーマがあります。それは、「理想と現実」です。作中では、例えば「学校で教える道徳と、社会で求められる能力との矛盾」、「個性に対しての集団・世間・社会」、「正直に生きることの難しさと卑屈に生きてしまう自分への悔しさ」といったものです。

 例えば、学校の道徳の時間では礼儀や謙虚さ、あるいは思いやりについて教えられます。しかし、社会に出れば人を押しのけてでも前に進む必要がありますし、細かいことばかり考えていては仕事が進まないものです。また、自分の意志を貫きたい一方で、それには勇気も体力も必要だし、周囲の反発もあります。意志を貫いたところで、それが幸せであるかどうかは別です。そして、そのようなことを考えている彼女自身が、自分の考えとは裏腹に、自分を押し殺して上手く立ちまわったり、相手に謙ったりしているのです。

女性シンガーソングライターのような言葉の数々

 以上のように、主人公の少女の内面を赤裸々に綴ったのが「女生徒」であり、その表現自体に面白さがあります。そこにあれこれ意見を言ったり、結論付ける必要はないでしょう。最後に一つ感想を言うと、この作品はちょうど、女性シンガーソングライターの詩のような雰囲気もあります。また、この作品は現在の女性にも多くの共感を呼ぶかと思います。そういう意味では、女性の心のうち、普遍的とも言える部分を描いていると思います。

  • 参考文献:
    『走れメロス (新潮文庫)』(新潮社,2011,第92刷,pp.83-138,)

太宰治

Posted by hirofumi