『地獄変』芥川龍之介 – あらすじ(要約)[考察,解説,感想]

2017年12月19日

芸術に魂を売った天下一の絵師

地獄変・偸盗 (新潮文庫)

地獄変・偸盗 (新潮文庫)

もくじ

<『地獄変』 – あらすじ>
  • 天下の両雄相まみえる
  • 娘への寵愛
  • 地獄を描け!
  • どうしても描けないある部分
  • 家族への愛VS芸術への魂
  • 地獄変の完成と自身の破滅
<考察,解説,感想>
  • 殿様のたくらみ(注目!)
  • 芥川と芸術至上主義
  • 猿の良秀は何を意味するか?(注目!)
  • 良秀は娘の死を予期していた?
  • 参考文献

芥川龍之介まとめ

『地獄変』 – あらすじ

天下の両雄相まみえる

  舞台は平安時代、豪快で知られる殿様と、彼に仕える絵師の話です。殿様は「堀川の大殿様」と呼ばれ、始皇帝や煬帝にも例えられるような壮大さをもちながら、庶民にまで心が行き届く、度量の大きい人物です。妖怪や幽霊ですら逃げ出すような威光を放ち、庶民の間では神仏に例えられるほどです。

 一方絵師は、名を良秀と言い、絵筆をとらせれば右に出るものはいない、天下一の絵師です。しかし高慢で横柄、無慈悲で人情がなく、常識はずれときています。おごり高ぶっており、殿様にも物怖じしない人物です。そんな彼には娘がいて、ひどく寵愛しています。子煩悩であり、娘の服や髪飾りには惜しげもなくお金をつぎ込むといったものです。

娘への寵愛

 娘は良秀とは違って気立てがよく、愛嬌があって利口です。殿様にも気に入られ、いつしか傍に仕えるようになりました。しかし、良秀は娘を愛するあまり、それを快く思っていませんでした。例えばあるとき、殿様から作品を褒められ、褒美を何でも望めと言われた際、娘を返してくれと頼んだほどです。そして、そのために殿様の機嫌を損ねてしましました。

地獄を描け!

  そんなある日、殿様から「地獄変」の屏風をかけとの命令が下ります。地獄変の屏風というのは、隅の方に十人もの地獄の王がおり、あとは火の海となっています。火の中では、上は天皇に仕えるものから下は乞食まで、あらゆる罪人が炎に焼かれています。

  良秀はさっそく制作に取り掛かります。彼は家にこもりきりで作業しますが、それは狂気の沙汰とも言えるものでした。戸を閉め切った真っ暗な部屋で、弟子を裸にさせて鎖で縛り付けたり、どこからか手に入れたミミズクに襲わせたり、ミミズクを蛇と戦わせたり。そしてそれを冷然とした様子で眺め、描いていくといったものです。

どうしても描けないある部分

 しかし数ヶ月たったところで、下絵が八部ほど完成して、作業は滞ってしまいます。そして良秀は、あるものがどうしても描けないと殿様に相談します。それは、炎に焼かれる罪人の中でも、牛車にのった皇室の女官が、髪を振り乱してもだえる様だと言います。そして良秀は、「自分は実際に目にしたものしかかけないので、実際にその光景を再現して欲しい」と頼みます。殿様は殿様で、良秀の「無理なお願いだと思いますが」という言葉に意地になり、それを引き受けてしまいます。

家族への愛VS芸術への魂

 数日後、良秀は山荘に招かれますが、そこで目にしたのは牛車に乗せられた自分の娘でした。そして目の前で牛車に火が放たれます。さすがの良秀もこれには参った様子で、半狂乱になってしまいます。しかし、良秀はいつのまにか、炎の前に腕を組んで立っており、恍惚とした表情で燃え上がる牛車を眺めていました。

地獄変の完成と自身の破滅

 紆余曲折を経て完成した屏風は、牛車の一件も相まって、凄みのある作品となりました。屋敷の人びとも、その作品に圧倒され、以降は彼の悪口を言うことはなくなったほどです。しかしながら、当の良秀は、作品を完成させた次の日の夜に、自宅にて首吊り自殺をしてしまったのです。

考察(解説)

殿様のたくらみ

 この作品のポイントは、「殿様が地獄変を書かせた理由」「殿様は良秀の言動をどこまで想定していたか」でしょう。まず、殿様が地獄変を書かせた理由を考えるため、殿様が良秀をどう思っていたかを見ていきましょう。

  • その才能を認めながらも、無礼な態度をとる良秀をよく思っていなかった
  • 出来のいい娘が、その憎たらしい良秀の娘であるということへの嫉妬心

 こういった前提の上で、殿様は良秀に地獄変をかかせることにします。その意図は、「見たものしか描けない」という良秀の性格を知っていて、あえて地獄の絵をかかせ、懲らしめてやろうというもの。良秀が「地獄を書きたいが、地獄を見たことがない」と言ったら「ならば一度地獄の苦しみを味あわせてやろう」という算段だったのです。

 良秀は悪夢を見ることで地獄を描写していき殿様を驚かせますが、どうしても牛車で苦しむ女官が描けないと言います。そして、それを再現してくれと無理を言うのです。殿様にとってそれは想定外のことだったのですが、良秀の「無理とは思いますが」という言葉にムキになってしまうのです。

芥川と芸術至上主義

 いくら豪快な殿様とは言え、実際に人を焼き殺してしまうという点では、彼もまた狂っています。しかし、その上を行くのが良秀であり、彼は一度半狂乱になりながらも、最終的には娘への愛より芸術への欲望が勝り、見事に屏風を描き上げるというわけです。

 芥川はこの作品で、芸術は自分の生活を投げ打ってでもすべきもの、つまりは芸術至上主義を描こうとしました。作品の中で殿様や娘を使い、それを巧みに描いています。

  • 歴史に残る「豪快な殿様」
  • その殿様もたじろぐほどの「天才絵師」
  • その絵師が寵愛する「娘」
  • 愛する娘をも殺してしまう「芸術への欲望」

 殿様は身分や権力の象徴。それを恐れぬのが芸術。そして、娘への愛をも超えてこそ本当の芸術だ、というわけです。中期の芥川はこの「芸術至上主義」をテーマにした作品を残し、自身の作家としての姿勢とも少なからず関係があったと言われています。

猿の良秀は何を意味するか?

 作品の中で考察すべき重要なものに「猿の良秀」があります。サルは単なるキャラクターではなく、きちんと意味があり、良秀の良心の象徴的存在になっています。悪戯者の猿が娘にだけは懐くところや、娘を助けようと火の中に飛び込んだのをきっかけに、良秀の様子が変化することからも、それがわかります。

良秀は娘の死を予期していた?

 そして最後に「良秀は娘の死を予期していたか」という問題があります。これについては、予期していたと私は思います。彼は夢の中で地獄を見て、うわ言で娘の名を口にします。巧みな想像力で地獄を観察したのはいいものの、そこには偶然なのか、彼の娘がいたのでしょう。そのために彼は苦しみ、涙したのです。

芸術は爆発だ!―岡本太郎痛快語録 (小学館文庫)

参考文献

  • 地獄変・偸盗』(芥川龍之介,新潮社,第99刷,2009年,pp.93-139,199-204)