五里 楽鯨(2)「石の上にも三年」

2016年10月29日

「玉を転がし続けて十五年」

エキストラ・イニングス

 あらゆるものに専門家は存在する。映画の世界を見れば、照明、カメラマン、音声の専門家がいて、役者にも悪役専門の役者もいれば、噛ませ犬になって序盤で必ず死ぬ俳優もいる。洋画のアフレコをする声優がいれば、様々な道具で効果音をつくる専門家もいる。

 そんな中、スーツアクターというのは特殊な位置づけだ。俳優なのに、顔は全く知られない。常に着ぐるみを着て、人間以外の「何か」を演じるのだ。しかし考えてみれば、表情や声が出せない分、純粋な演技力が問われるのが、スーツアクターではないだろうか?

 

 

五里と物理学者の卵

五里 楽鯨(いつさと らくげい)

日本のスーツアクター第一人者にして、世界の特撮の歴史を作ったのが五里である。

自ら演じた怪獣とともに、太平洋を渡ってアメリカ大陸に進出。

国民的キャラクターを演じながらも、本名や素顔は誰にも知られない……日本一有名でありながら、日本一無名な自分と葛藤し続けた。

そんな彼の演じたキャラクターは、今もなお世界中の映画館で活躍を続けている。

 映画好きの希望に満ち溢れた10代の若者は、高校卒業後に俳優養成学校に進み、端役ながら在学中に映画に出演。卒業後には役者として日本有数の映画配給会社に入社……絵に描いたようなエリートコースを進んでいた。しかし、芸能の世界は想像以上に競争が激しく、浮き沈みの多い世界である。

 

 東宝に入社してわずか2年、23歳の若さで五里は俳優失格の烙印を押されることとなる。東宝は映画のイメージが強いが、主力事業に不動産がある。全国に数多くの土地や建物を所有し、さまざまな商業施設を運営している。そんな東宝が所有するビルにある、ボーリング場の従業員として働くよう、五里は告げられた。何の予告もない、一般企業で言う「左遷」に当たるのだろう。

 

 しかも悪いことに、ボーリング場は役者や脚本家の養成所と隣接しており、仕事帰りの前途有望な若者が毎日のようにやってきた。五里は、それをお客様としてもてなさなければならないのである。夢の途中、20代前半の若者にとって、これほどの苦痛はないだろう。逃げ出したっておかしくなかった。しかし、五里は辞めるどころか、俳優時代と変わらず、いや、それ以上に真面目に働いていたそうだ。

 

 当時を振り返って、五里は次のように語っている。

「辞めようとかそういうことは全く考えなかった。ひょっとしたら、ここで頑張ればまた俳優の仕事を貰えるんじゃないかって、心のどこかで期待していたのかもしれない。でも、それより大きかったのは、一度始めたことを途中で投げ出さないってこと。東宝に入社したんだから、何があってもここで働き続ける。少なくとも、消極的な理由で辞めることは絶対にしない、って。『石の上にも三年』『桃栗三年、柿八年、人間十年』。うちの祖母が口癖のように言ってた言葉だよ」

 

 この時期、五里は人生における最初の運命の出会いを果たす。ボーリング場で働き始めて数ヶ月、毎日閉店1時間前にやってきて、一人で淡々とプレイし、一投ごとにメモをとる男がいた。通いつめているにも関わらず、両手投げ、一投で倒すピンは良くて3本、1ゲームでスコアは50に満たなかった。「下手の横好き」という言葉が五里の頭に浮かんだが、なぜかその男に興味を惹きつけられた。

 

 台風が接近し、客もほとんどいない平日の夜。その日も男はやってきた。ここだ、と思った五里は、仕事そっちのけで男のプレーを観察した。その日は様子が違った。一投ごと、三角形に並ぶピンを端から順に、1ピンだけ倒していくではないか。第一フレームで計2本、第二フレームも2本。外側のピンはまだいいとして、内側にあるピンを1本だけ倒す様は、まさに神業であった。10フレームかけてピンをぐるりと2周。スコアには「1」が綺麗に並んでいた。第二ゲームで五里は腰を抜かした。先ほどとは打って変わって、男は本格的なフォームから切れのあるカーブを繰り出し、パーフェクトを達成したのである。プロでもなかなかできない技を、狙ってやってのけたのだ。

 

 

 気がつけば、五里は男に話しかけていた。男は田中と名乗った。物理学を研究する大学院生で、五里の一つ上であった。

「今日、僕は完璧なゲームをしたように見えたけど、それは違う。数字や記録は完璧でも、ピンの倒れ方は一つとして同じものはない」

「ピンの倒れ方が1ミリでも違えば失敗。物理の世界では完璧は無い」

「でも、それでも限りなく完璧に近づこうとするのが物理だ」

 田中 尺貫(たなか しゃっかん)と名乗るその男は、小学生の頃にボーリングに出会い、15年も続けていた。あくまで趣味として、そして、精密な物理の世界の対極にある、イレギュラーを楽しむスポーツとして、彼は玉を転がし続けていた。そして現在、彼は「破壊」をテーマにした研究を行っていた。

 

「不規則の代表とも言える「壊れる」って現象の中に、規則性を見つけようとしているんだ。いや、壊れるって現象そのものが、不規則という一つの規則性を持っているというか……まあ、そんなところさ。それより、ソフトクリームを二つね! 僕の奢りだ」

 五里がカウンター越しにつくったソフトクリームを手に取り、見比べ、田中はつぶやいた。

「君のつくった二つのソフトクリームだが、ほとんど一緒だ。これはすごい」

「でも、食べるのは僕の方が早いだろうね。大好物なんだ。あはは!」

 

 

 ひょんなことから友人となった二人。ある日、田中は研究の一環として、特撮映画に参加すると言った。当時はまだ特撮という言葉は一般に浸透していなかった。

「恐竜がね、街で暴れまわる映画らしいよ。よくわかんないけど。僕はミニチュアのビルの爆破を担当するんだ」

「研究には金がかかる。そのためのお小遣い稼ぎみたいなもんさ。ついでに実験データも取れるし、一石二鳥だ」

「でさ、監督が怪獣役を探してるらしいんだけど、どうだい? 君は体格もいいし、一応役者だろ? 」

 

続く