「芋粥」(芥川龍之介)のあらすじ[考察,解説,感想]

2015年2月8日

芋粥のために生きる冴えないおっさんの話

羅生門・鼻・芋粥 (角川文庫)

もくじ

 

 

はじめに

 「芋粥」は、羅生門や鼻と並んで、「王朝物」という作品群に属しています。王朝物というのは、例えば平安時代の「今昔物語集」などといった古典作品を題材にした作品です。ですから、物語の舞台も当時のものとなっています。王朝物の特徴は、物語を通して、人間の中にある矛盾が描かれていることです。

 芋粥について説明すると、舞台は平安時代、摂政に仕える侍が主人公の話です。当時の官吏の地位においては五位の者です。作中ではその位を三人称として使用し「五位」と呼んでいます。

 ちょっと説明を加えますと、摂政は天皇の代わりに政治を行う人です。特に天皇が幼い場合などに、摂政が活躍します。また、天皇が成人している場合は関白という役職があり、政治の補佐を行います。その摂政に仕えるということで、五位は天皇の元で働いている人となります。もう少し詳しく言うと、当時の天皇の御所で働いていた者、そのうち、位は低い者のようです。しかし、世間一般から見ればそこそこの地位にあると考えていいかと思います。かなり乱暴な言い方ですが、今で言う宮内庁に務める公務員のようなものでしょうか。日本史には疎いので、これ以上細かい話はやめておきます。

参考:「芋粥」「正五位

 

あらすじ

簡単なあらすじ

 主人公は天皇に仕える役人です。そう言うと聞こえがいいかもしれませんが、彼は40を越えた冴えない風貌のおっさんであり、身なりもみすぼらしく、そのうえ同僚たちに毎日馬鹿にされているありさまです。そんな彼にも唯一の楽しみがあります。それは年に一度の正月の宴会で出る「芋粥」です。天皇の食卓にも上がるほどの食事であり、それを腹いっぱい食うことが彼の夢なのです。

 そんな彼に、宴会で同席していた有名な武将が、夢を叶えてやろうともちかけます。その武将は主人公とは正反対の豪快な人間であり、彼の強引な誘いにより、主人公は遠くにある屋敷まで行くことになります。

 主人公の男は、ただ芋粥を食うためだけに、京都から現在の福井県のあたりまで、二日がかりで馬を走らせます。そして、ようやく屋敷についたと思ったら、今 度は武将の家来たちが総出で、大量の芋粥の調理を始めるのです。そんな光景を見ているうちに、主人公はなんだか自分が情けなくなり、そのうち食欲も失せて しまいます。

 そして、食事の席ににて、いよいよ芋粥が出されますが、彼はほとんど芋粥に手を付けずに終わります。そして、かつて芋粥にあこがれていた自分を懐かしく思うのです。

 

詳しいあらすじ

 主人公である、天皇の御所で摂政に使える「五位」は、年齢は40を越えており、冴えない風貌をしています。背が低く痩せていて、おまけに鼻が赤く、服装もみすぼらしいといったものです。職場の者からはとにかく粗末な扱いを受けており、口さえもろくに聞いてもらえず、用を伝えるにも手真似だけで済まされるほど。同僚の者達は五位を笑いの種にし、あるいは悪戯をしたりと、その扱いはひどいものです。

 しかしながら、五位はこれらに無感覚であり、目に余る悪戯をされた時ですら、泣いたような笑みを浮かべるだけです。

 そんな五位にも、唯一の楽しみがあります。それは、年に一度、宮中での宴会で食べることのできる芋粥です。天皇の食卓にも並ぶほどの食事であり、これを飽きるまで食べるというのが、「彼の一生を貫いている欲望」だったのです。彼はそれを心の支えに生きているのでした。

 ある年の正月、芋粥を食べ終えた五位の「何時になつたら、これに飽ける事かのう」という言葉に、同席していた当時の有名な武将であった藤原利仁が「飽きるまで食べさせてやろう」ともちかけます。意図せず願いが叶うとなって、五位は狼狽しつつも誘いを受けます。

 数日後、利仁は芋粥のごちそうのついでに、都のすぐそば、東山の温泉に行こうと、五位を誘い出します。そして二人は警備や雑用の者を引き連れて、馬に乗って出発します。しかし、すぐ近くと言いながら、利仁はどんどん馬を進め、京都を出て滋賀県にて昼食を挟んだ後、「琵琶湖を北上して福井県の敦賀まで行く」と言い出します。

 すでに周囲は人気のない道となっており、盗賊の出るような道を前に、気の弱い五位は一人になるわけもいかず、しぶしぶ利仁に着いていきます。

  二日がかりでようやく屋敷にたどり着き、五位は屋敷の一間を借りて床につきます。そこで彼の心に「何となく釣合のとれない不安」が湧いてきます。それは、朝が来て芋粥を食べるのが待ち遠しいという気持ちの一方で、あまりに急に状況が変わったことへの不安です。

 そして五位は「あまり早く芋粥にありつきたくない」「今まで何年となく辛抱して待っていたのが、無駄になってしまうのでは」などと思い始めます。

 翌朝、五位が目を覚ますと、庭ではすでに芋粥の調理が始まっていました。屋敷の広い庭では、夜のうちに集めた大量の山芋を、大勢の家来たちが幾つもの大きな釜で調理しております。大量の芋が大きな釜で粥になっていくことと、それを食べにわざわざ京都からやってきたことを考え、五位はなんだかすっかり情けなくなり、食欲が失せてしまいます。

 そしていよいよ朝食の時、食卓に上がったのは実に一斗もの大きさの鍋になみなみと注がれた、恐るべき芋粥でした。器にすくった芋粥を半分ほど飲んだ所で、五位の喉には、これ以上芋粥は入らなくなります。そして五位は、芋粥に憧れていた、幸福であった自分を懐かしく思うのです。

考察(解説)

テーマについて

  この物語で描かれているのは、人間の中にある矛盾した二つの感情でしょう。五位は、芋粥に飽くことを心の支えに生きていたのに、いざ願いが叶うと、支えを失った自分におろおろするといったものです(似たようなものが、「」の中でも描かれていました。鼻の場合は、人の不幸に対する同情心と、もう一度不幸にしたいという傍観者の利己主義というものでした。意味は違えど、大きな出来事の前後において、矛盾した感情が現れるということでは共通しています)。

 このような感情は、多くの人が少なからず持っていると思います。遠足や就学旅行などの楽しいイベント、あるいは恋などでも似たようなことは起こります。遠足や旅行は、準備をしている時や、行きの列車の中が一番楽しかったりします。恋も、片思いをしている時が一番楽しく、相手も美しく見えるものです。

 この不思議な感情についてもう少し突っ込んでみましょう。恋や遠足と違い、五位の場合はある意味消極的な願望と言えます。毎日の惨めな生活の一方で、芋粥という些細な楽しみを心の支えにしているからです。しかしながら、消極的ながらもその願望は、叶う可能性は低いもの、逆に言えば大きな願望です。ここらへんに、五位の深層心理のヒントが隠されていそうです。

 

 五位の願望と深層心理

 私の考えでは、五位が芋粥に憧れ、心の支えにしているのは、ある意味で現実逃避に近いです。叶わないとわかっているからこそ、それに憧れて安心しているのです。芋粥を腹いっぱい食べることのできない現実があるからこそ、芋粥を心の支えにして、みじめな毎日に耐えることができるのです。なんだか循環論法みたいになっていますが、この芋粥に対して叶わぬ願望を抱く姿は、無下に扱われて笑いものにされ、それを拒否できない、状況を変えられない彼の姿に重ね合わせることができます。そして、五位はその境遇から逃れたいとは思っていないことです。心の奥底、彼自身も気が付かないところで、粗末に扱われていることに一種の安心感を持っているのです。

 ですから彼は、現実逃避をしつつも、本当の意味では現実から逃れられないことに安心しているのです。そのような状態が、彼にとって一番落ち着くのです。このような歪んだ感覚はなかなか理解し難いですが、大なり小なり、誰もがこのような感覚を持っているはずです。

 しかし、まともな感覚を持っている人間ならば、歪んだ感情に気が付き、それを変えようと考えます。当然ながら、笑われることや、粗末に扱われることを拒否します。相手にそれを態度や言葉で示したり、あるいは笑われる原因を考えて、それを直そうとするでしょう。仮にまともな人間が芋粥に憧れ、五位と同じように願望が叶ったとしましょう。すると今度は、新たな願望、できるならさらに上の願望を抱くはずです

 

おわりに(感想)

 では、改めて、五位の心情や、物語のテーマについて一言。それは、「気の弱い人間の消極的な願望は、叶えるためではなく憧れるためにある」ということです。また、そのような人は大抵、物事に勝手に条件をつけています。例えば「願望のためには犠牲は厭わない」などというものです。しかし、「いろいろな面で向上心をもち、幸福を求める」というのが普通です。つまり、五位のような人間は、無駄に、あるいは必要のないところまで苦労をしているのです。

 ただ、繰り返しになりますが、このような部分は多くの人が少なからずもっています。ですから、常に向上心を持って、建設的な思考をして、よりよい人生を求めていきたいものです。

参考文献・作品情報

参考文献

作品情報

<年月>

  • 1916年(24歳)9月発表
  • 東京大学卒業後の、初期の作品。この作品が評価され、一躍有名作家となる。

<ジャンル>

  • 「王朝もの」

<テーマ>

  • 願望、夢、自由

<ページ数>

  • 31ページ(岩波文庫,2008)

<収録文庫>

<Q&A>

Q1. 「芋粥」における主張とは?何を伝えたかったか?

  • 人間の願望と、願望がいざ叶った時の心情変化。
  • 消極的な人間の夢は、叶えるためではなく、憧れるためのもの。

Q2. 「鼻」と「芋粥」は似ている?

  どちらも「王朝もの」と呼ばれる作品群の一つであり、書かれた時期も似通っています。特に、「羅生門」とあわせた3つの作品は、どれも人間の「エゴイズ ム」を描いています。詳しく言えば、「鼻」の場合は「傍観者の利己主義」であり、「芋粥」の場合は「願望」「自由」です。これがまず、一つ目の共通点で す。

 両者の違いについては、周囲の人間のエゴイズムに注目しているか、あるいは主人公自身の利己的な感情に注目しているかです。
 どちらも主人公も、せっかく願いがかなったのに、最終的には元の状態に戻ってしまいます。その理由は、「鼻」では周囲の人間の矛盾した感情ですが、「芋粥」では主人公自身の中にあった矛盾した感情となっています。

Q3. 「五位」とは?

  •  平安時代における、官吏の一つ。当時の天皇の御所で働いていた者で、その中でも位は低い者。

Q4. 「芋粥」とは?

  • 山芋を刻み、甘葛の汁で似た粥のこと。天皇の食卓にも並ぶほどの食べ物。
    (※甘葛とは、当時よく食されていた、ツタからとった甘味料のことだそうです)

Q5. 作中に登場する「藤原利仁」とは?

  • 平安時代の有名な武将。多くの逸話が残されている。(参照:「藤原利仁-生涯」)

Q6. 作中で五位と藤原利仁が辿ったルートは?

  • 京都→東山→山科→三井寺(滋賀県)→高島→敦賀(福井県)


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