「奉教人の死」(芥川龍之介)のあらすじ[考察,解説,感想]

2015年2月8日

戦国時代の長崎を舞台に、教会に現れた美少年の話

奉教人の死 (新潮文庫)

もくじ

 

はじめに

 「奉教人の死」は、芥川の作品の中でも、「キリシタンもの」と呼ばれています。室町時代から江戸時代にかけての、日本におけるキリスト教宣教師の活動がテーマになっています。

参照:「奉教人の死」(wikipedia)

 

あらすじ

簡単なあらすじ

 舞台は戦国時代の長崎にある教会。ある年のクリスマスの夜、ロオレンゾという少年がやって来ます。彼の素性ははっきりしませんが、非常に熱心な信仰心を持っており、宣教師たちにも可愛がられていました。そんな彼は年頃になって、町の傘屋の娘と噂になります。彼は噂を否定しますが、傘屋の娘が妊娠した上、「相手はロオレンゾだ」と父に言ったために、ロオレンゾは破門されます。彼は町のはずれで乞食となり、キリスト教徒ということで差別を受けます。やがて宣教師たちとも疎遠になり、傘屋の娘は一度も子の顔を見に来ないロオレンゾを恨めしく思います。

 それから一年ほど経ったある日、長崎の町を大火事が襲います。娘の家にも火が回り、娘たちは大慌てで逃げ出しますが、家の中に子を忘れてきてしまいます。すると、そこにロオレンゾが現れ、火の中に飛び込んでいきます。群衆から「罪滅ぼしだ」などと言われる中、ロオレンゾは子を救い出しますが、自分は崩れた家に飲み込まれてしまいます。

 ロオレンゾは宣教師に助け出されますが、すでに虫の息です。すると、突然娘が「嘘をついていた」と言い出します。子は実は、娘が隣家の男との間につくったものだったのです。娘はロオレンゾに片思いをしており、つれないロオレンゾを恨む気持ちから、嘘をついたのです。そして宣教師たちは、ロオレンゾの破れた服の隙間から、乳房が覗いているのに気が付いたのです。

 

詳しいあらすじ

 舞台は戦国時代の長崎、サンタルチアという教会にいる、ロオレンゾという少年が主人公です。彼はある年のクリスマス、教会の前で倒れていたところを介抱され、教会で生活するようになりました。彼の素性ははっきりせず、故郷は「天国」、父の名は「デウス(キリスト教の神のこと)」などと言うありさまです。しかしその信心は素晴らしく、教会の宣教師たちも舌を巻くほどでした。彼はまた、容姿端麗であり、その声も女性のように美しく、教会の宣教師たちにもかわいがられていました。中でも特に、シメオンという宣教師からは、弟のようにかわいがられていました。

大浦天主堂

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
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 三年ほどたち、ロオレンゾは思春期を迎え、町の傘屋の娘との噂話がたつようになります。神父や宣教師たちは彼を問いただしますが、彼は涙ながらに否定し、疑いは晴れたかに見えました。しかし、その後傘屋の娘が身ごもり、ロオレンゾとの子だと父に告げます。ロオレンゾはすぐさま神父から破門を言い渡されます。そして、欺かれたことに怒ったシメオンに殴られ、ロオレンゾは教会を追い出されます。

 ロオレンゾは行く当てもなく、町はずれで乞食になり、そのうえ元キリスト教徒ということで差別を受けながら暮らしていきます。それでも、病気になった際などには、宣教師たちが食事を恵んでくれたりしていました。また彼も、教会を忘れることなく、夜毎に人知れず教会を尋ねては、お祈りをしていました。しかしながら、神父をはじめ、宣教師たちは徐々に彼のことを疎んじ始め、いつしか彼を同情するものはいなくなりました。

 その一方で、ロオレンゾが教会を去って間もなく、娘は子を産みます。事情はどうであれ、娘の父親も孫の誕生を喜びます。また、シメオンも娘のもとを訪れ、子にロオレンゾの姿を重ね合わせて、涙していました。そんな中、娘だけは、一度たりとも姿を見せないロオレンゾを恨めしく思っていました。

 それから一年余りがたち、長崎の町を大火事が襲います。娘の家は運悪く風下にあり、炎に囲まれてしまいます。娘たちは召使たちとともに慌てて逃げ出しますが、子供を置き忘れたことに気が付きます。しかし、家はすでに炎に包まれ、近づくことはできません。そこにシメオンが現れ、助け出そうとしますが、炎の勢いが激しく断念します。そんな中、「神よ助けたまえ」という声とともに、ロオレンゾが現れます。彼はそのまま炎の中に飛び込みます。

 群衆は彼の行動に驚きますが、すぐに噂話が広がっていき、やがて、「罪滅ぼしに火の中へ入った」などと罵りはじめます。傍らにいた父も同じ気持ちのようで、胸騒ぎを紛らわすかのように、落ち着きなく何かをわめいていました。そんな中、娘だけは炎の前で跪き、ただ必死に祈ってばかりいます。
 しばらくして、再び群衆がどよめいたかと思うと、炎の中に子を抱いたロオレンゾが現れます。しかし、その瞬間、家の梁が崩れてロオレンゾを飲み込みます。それを見て、娘は地面の上に倒れ込みますが、その手には子が抱かれていました。ロオレンゾは、梁が崩れる直前に、子を娘の方へと投げたのでした。

 娘は泣いて喜び、父は神の名を叫びますが、それよりも先に、シメオンがロオレンゾを救おうと火の中に飛び込んで行きました。今度ばかりは群衆も「神よ救いたまえ」と祈りの言葉を口にします。そして、ロオレンゾは救い出されます。

 *

 虫の息のロオレンゾは、宣教師の手により、教会の門へと横たえられました。すると、先程まで泣いていた娘が、神父の前に跪き、懺悔を始めます。実は、彼女の子は、彼女が隣家の者との間につくった子であり、ロオレンゾの子ではないと言うのです。娘はロオレンゾに恋していましたが、ロオレンゾがあまりに素っ気ないために、恨み心で嘘をついたのです。しかしロオレンゾは、彼女の罪を憎むこともせず、命と引き換えに彼女の子を救い出したのです。そして、娘は自分は極悪の罪人だと言い、泣き崩れます。

 すると、宣教師たちは口々に「殉教だ」と騒ぎ出します。ロオレンゾは娘の犯した罪を被り、乞食にまで落ち、最後は自らの命を捧げました。これはまさに、罪人を憐れむ心から、自らが犠牲となって罪を償い、命を落としたキリストと同じであると言うのです。

 その間にも、ロオレンゾの息は弱々しくなっていきます。神父は娘に対し、悔い改めた者は幸福であり、幸福な人間をわざわざ罰する必要は無い、と、娘に許しを与えます。そして神父は、急に口ごもったかと思うと、横たわるロオレンゾの姿を見て、手を震わせ、涙を流します。なんと、ロオレンゾの破れた服の隙間から、乳房が覗いていたのです。ロオレンゾは女だったのです。

 宣教師たちがロオレンゾを囲むようにして跪き、神父が祈りの言葉を捧げる中、笑みを浮かべたまま息を引き取りました。

 

考察(解説)

作品の総評

  この作品は、ストーリーが素晴らしく、物語の構成もしっかりしている上、印象的なオチもあります。こういう作品は、個人的には、あれこれ言わずにただ読んで楽しめばいいと思います。ただ、あえてオチの部分について一言。

 

 物語のオチ、ロオレンゾの乳房の意味

  この話のオチは、お分かりの通り、ロオレンゾが女だど判明するところです。ただ、このオチが無くとも、物語は成立します。娘が自身の嘘を告白し、宣教師たちがロオレンゾの行為を「殉教だ」と騒ぎ立てたところで、一連の話に結論がつきます。そのまま話が終わっても、問題はないです。ただ、ロオレンゾが女だと判明した部分は、物語に強烈な印象を与えています。ロオレンゾが女だとわかるのは、破れた服の隙間から乳房が覗いたためですが、これは物語の中にあって唯一と言っていい「動かぬ証拠」です。別の言い方をすれば、物語を通して謎の多かったロオレンゾについて、唯一のはっきりした情報です。

 ロオレンゾはそもそも素性すらはっきりせず、キリスト教徒であること以外は謎だらけです。そこにきてあらぬ「噂」や「疑い」をかけられます。最終的に彼は、自らの行動によって、結果的に娘を懺悔させ、身の潔白を証明します。しかしそれも、単に娘の発言に過ぎず、娘は嘘をついていた可能性もあるわけです。このように、ロオレンゾと彼の身に降り掛かった事件については、何ひとつはっきりした情報がないのです。さらに言えば彼の信心すら、その真偽は不明です

 

 ロオレンゾの信心

  そんな中にあって、ロオレンゾの乳房は、動かぬ証拠として人々の前に突きつけられます。娘の子がロオレンゾの子でないのはもちろん、彼の信心が本物であったことも、これではっきりしたと言っていいでしょう。娘の嘘によって教会を追い出された時、あるいは炎の中に飛び込んでいく時、自分の身の潔白を証明したいだけならば、単にそこで女であることを告白すればよかったのです。しかし、ロオレンゾは本文にもあるように、罪人を憐れむ気持ちから自らが犠牲となったのです。ここでの「罪」というのは、宣教師や神父、あるいは娘の父親が証拠もないのにロオレンゾを疑ってしまったこと、そして何より、娘が恨みから嘘をついたことです。

 教会を追い出されても、彼は相変わらず祈りを捧げていました。そして、他人の子を救うために命を落としました。これは、周りの人間の態度や自分の置かれた状況によっても、自分を貫き通すということを意味しています。この点で、彼の信心は本物であったと言っていいというわけです。

参考文献・作品情報

参考文献

  • 『芥川龍之介全集2』(芥川龍之介,筑摩書房,第13刷,1998,pp.214-231)
  • 奉教人の死」(青空文庫,2013年5月29日アクセス)

作品情報

<年月>

  • 1918年(26歳)9月発表
  • 横須賀での英語教師を経て、鎌倉に移った後の作品。中期。

<ジャンル>

  • 「キリシタンもの」

<テーマ>

  • キリスト教、罪

<ページ数>

  • 18ページ(ちくま文庫『芥川全集2』,1999)

<Q&A>

Q1. 「奉教人の死」における主張とは?何を伝えたかったか?

  •  テーマは、キリスト教における「罪」についての考え方です。。詳しくは後述の「Q2.」において説明してあります。キリスト教において、イエスは人々の罪を憐れむ気持ちから、自らが犠牲となりました。その様をロオレンゾを通して表現しているのだと思います。

Q2. なぜロオレンゾは、娘との関係を否定しなかったか?

 奉教人の死における、ロオレンゾの一連の言動は、イエス・キリストになぞらえたものとなっています。もちろん、キリストが女だったなどとは言いません。なぞらえてあるのは、例えば「自分が神の子だ」と言う部分です。
 また、謂れの無い罪を被った上、それを否定しなかったという部分です。さらには、娘を始め、ロオレンゾを疑ってしまった宣教師やその他人々の罪を、自らが被る形で罰を受けます。これは、罪人を憐れむ気持ちから自らが犠牲となったということで、やはりイエス・キリストをなぞらえてあります。