歴史に残る最高傑作!『HANA-BI(花火)』北野武 – あらすじ[解説,考察,感想]

2018年3月7日

カンヌでグランプリを受賞した傑作!


HANA-BI [ 北野武 ]

北野武監督まとめ

あらすじ/ストーリー

 

 

 刑事の西(ビートたけし)は、数カ月前に幼い息子を亡くし、妻(岸本加世子)もそのショックから入院中であった。見舞いのために病院を訪れた西は、そこで妻が不治の病であることを告げられる。追い打ちを書けるように、自分の代わりに張り込みをしていた同僚の堀部(大杉漣)が、犯人に撃たれたとの知らせが入る。その後、西は犯人を追い詰めるが、逮捕を焦ったために反撃を受け、部下を犠牲にしてしまう。

 堀部は一命を取り留めたものの、半身不随になってしまい、妻子にも逃げられてしまう。そして西は、子を失い、部下を失い、妻も失いかけている。罪悪感から西は辞職し、妻と静かに暮らしていくことにする。一方で、死んだ部下の妻への支援と自らの生活費のために、ヤクザから金を借りるようになる。

 やがて、返済が滞るようになり、ヤクザから逃げるようにして、西と妻は二人で旅に出る。

解説,考察,感想

デビュー作を進化させた北野映画最高傑作!

 北野監督が世界的評価を確かなものにした本作。名前は知っていても、実際に見たことがないと言う人も多いかもしれない。それは非常にもったいない。間違いなく映画史に残る傑作で、高い芸術性を感じることのできる作品だからだ。

 本作は、北野監督のそれまでの作品を集約した内容となっている。まず、基本的な部分は処女作の「その男凶暴につき」とほぼ同じ。刑事が主人公で、病気の家族がいて、部下が死に、慕っていた同僚も傷つけられる。さらに、事件をきっかけに辞職し、ヤクザと対立し、最後は家族もろとも死ぬ、となる。

 音楽家でも小説家でも、処女作に作者のすべてがつまっている、と言われる。「その男凶暴につき」はまさにそれで、暴力、理不尽、怒りといったテーマがあり、表現方法にしても「少ないセリフ」「無駄な描写のカット」「陰鬱な色彩表現」などがあり、これらは監督が何度も繰り返し映画の中で描いている。

芸術性も非常に高い

 他にも「ソナチネ」で見られたような「芸術」というテーマも作品の随所にちりばめられている。本作の見どころの一つに、北野監督自身が描いた絵画が何度も登場する。ソナチネでは作品そのものを芸術として描いた一方、本作では半身不随になった主人公の同僚の刑事が、救いを求めるものとして絵画が登場する。その辺の違いはあっても、ソナチネで追及したものが本作でうまく消化されている。

時系列を入れ替えた独特の構成

 「HANA-BI」を語る上でもう一つ欠かせないのは、意図的に構成を複雑化させたている点だ。簡単に言うと、各シーンの時系列が入れ替わっている。こういう表現は小説でも映画でもよく見られるものだが、北野監督はこの辺が非常に上手い。

 無暗に複雑化させるわけでもなく、「このシーンを見てくれ!」という作者の嫌らしさもない。ちょうど人間が過去のトラウマを振り返るように、主人公の心情に沿うようにして、いろいろなシーンが順不同で登場する。この構成によって、作品全体が締まり、なおかつ各シーンが鋭く突き刺さって来る。

 何はともあれ、実際に見るのが一番。

北野武監督のインタビューから見る『HANA-BI』
(解説・撮影秘話・映画論)

ラストシーンから出来上がった脚本
無茶苦茶な映画をいかに自然に撮るか

  • 「HANA-BI」は基本的には、女房との会話が一切ないっていうのから始まって。映像だけで、ふたりの語りを一切なくして、状況を本人たちの口で言わないようにして、かみさんは最期に「ありがとう」って言うだけ、っていうコンセプトだよね。
  • 「ありがとう」って言ったあと、「ドン、ドン」って撃って終わりっていう、エンディングがまずあって。そこにいくまでにどうしたらいいかっつうと、まず、なぜそこでかみさんと死ぬのか、って考えて、かみさんは末期ガンにしよう、って。で、そのかみさんの見舞いに行くために、張り込みを任せた同僚の刑事が撃たれて下半身不随になる。
  • かなりゴリ押しな映画なんだよね。細かく考えるとむちゃくちゃだなっていう。刑事が銀行強盗して、車買って、金配って、かみさん撃ち殺して自分も死ぬんだから、すげえ映画だけどね。だけど、それを淡々と撮って。ロードムービーみたいな感じもあるんだけどね。だから、セリフはあんまりいらなかった。

引用元:「物語」(北野武)より

 本作のテーマの一つに「罪悪感」がある。同僚の刑事を失ったこと、障害を追わせてしまったことへの罪悪感。後戻りできないところまで付き合わせてしまった妻への罪悪感。実際には、主人公の男が直接の原因ではないし、彼に責任はない。だからこそ、余計に罪悪感を感じてしまう。こういった「加害者のいない罪」というのは、世の中に少なからず存在する。人間にとっての一大テーマとも言える。それを描いていることが、この作品が傑作になったことの理由の一つでもある。

 また、引用部にもあるが、この映画は冷静に見れば無茶苦茶である。しかし、それを全く感じさせない。北野監督は「不自然」を嫌う監督で、徹底的に不自然さを排除する手法を取ってきた。そんな中で、例えば本作の銀行強盗のシーンは不自然ながらも無くてはならない。それを上手く自然に物語に取り込めたのは、これまで不自然さを徹底的に排除してきた北野監督の技術が為せる技である。

 徹底的に不自然を排除した結果、監督にとっての最高傑作では不自然なシーンを自然に撮るという結果となった。これは非常に興味深いことだ。なぜそれが成功したか? 一つには、主人公をとことん追い詰めるというストーリーが関係する。極限まで追い詰められると、人は不可解な行動をとる。そのことは、ある意味で「常識的」なこととして多くの人が認知している。不自然なことが起こっても、それを人は許容できる。その効果が上手く働いたのだと思う。

印象的なラストシーンについて

  • あの映画は、初めて女房がしゃべって、「ありがとう」って言って、海と空に、「ターン、ターン」とピストルの音がして終わり、っていうのが、シナリオ的にはいちばん最初の発想で。
  • 「ありがとう」のあとに、もうひとこと、「ごめんね」って入るんだけど。「ありがとう」だけで終わりの予定があったんだけどね(中略)「ありがとう」だけだと、かみさん、ダンナの行動は自分のせいだっていうのがわかってない感じがするのね。だから「ごめんね」って謝るっていうか、こういう状況にしたのは自分の責任もある、みたいな感じに。(中略)あの「ごめんね」があるから、そのあとダンナが方を抱けるんだと思うしね。セリフが1個だとちょっと無理だなっていうか。まして「ダン、ダン」はないだろうってのがあって。
  • ああいうシーンって、やっぱり照れるんだけど、照れてもまあいいかっていうのは、最期の死があるからだと思うよ。
  • かみさんを撃つときは、音だけにする予定だったんだけど、現場で、拳銃を抜くシーンを撮るか撮らないかで迷ってね。今考えりゃ、映さなくてよかったなと思ってるの。なにげなく肩抱いて、こう懐に手ぇ入れたら変じゃない。だから、あのあとは、観るほうに想像させないと、音だけにして。

引用元:「物語」(北野武)より

 ラストの印象的なシーンについて。引用部を見ると、「ごめんね」というセリフ。そして、引きの映像で銃声が響く点。この2つが大きな効果を果たしていることがわかる。

 ラストシーンは夫婦が拳銃で自殺するというショッキングなものだが、悲しさは全く感じない。むしろ、全編を通じて最も幸福なシーンであり、夫婦の心が通った数少ないシーンと言っていい。「ごめんね」と言い、それに妻が微笑む。それだけで、ショッキングなシーンが幸せなシーンに変わる。神は細部に宿ると言うが、まさにこれはその一例だ。歴史に残る芸術作品には、得てしてこういった事が起こる。

 引用部で監督は「恥ずかしい」と語っているが、この一言が無ければもしかすると映画の出来は大きく変わっていたかもしれない。

シーンとシーンのつなぎ方について

この映画は、シーンのつなげ方は、相当気にしたかもね。車のとこに悪いのがいて、ぶん殴ったりなんかして、走るシーンがあって、青いトタン屋根の前に現れる、とか。ほいで、次は車椅子で動くとか、そういう順番をすごい気にしたんだよ。映像が重なっていくときに、違う匂いの映像を入れたくないっていうのがあって。駐車場のグレーと青の怪しい色と、海の青の色と。あと、同僚の刑事の家の青さとか、海とか、結構気にしたね。

引用元:「物語」(北野武)より

 時系列がバラバラで、元々シーンが飛び飛びになる傾向のある北野映画。それもあって、本作では印象的ながら自然なシーンの連結が見られる。これが作品の芸術性を高めているとも言える。この作品は難しいことを簡単にやってのけている印象が強い。複雑な構成ながら、不思議と違和感は感じないのである。

これまでの作品との違い

「ソナチネ」あたりまではこう、死ぬってことがあるんだけど、逃げていく死のような気がすんの。(中略)それで、今回の「HANA-BI」は向かっていったっていう感じだね、生きると死ぬとを自分でこう決断つけに行ったっていうか。逃避したんじゃなくて向かっていく感じあるけどね。

武がたけしを殺す理由」(北野武)より

 死に対して逃げるのではなく向かっていく。この違いは、事故で生死を彷徨ったことを酒井にして、北野映画に生まれた大きな変化である。別の言い方をすれば、人間には「死」という結果が待っていることを意識しつつ、それでも現実を見て「いかに生きるか」あるいは「どうやって死ぬか」という描き方に変化している。

 この微妙な変化は、実際に北野映画を何本か見ないと分からないものだが、初めて見る人でも頭では理解できなくても感覚的に「生きよう」「死と向き合おう」という意識が伝わってくる。それによって、何か作品が「生命力」を得たという感じがする。

もう一つのエンディング

 あれ初めはねえ、刑事が追っかけてくるでしょ? あれは本当はフェリーだったのね。フェリーに乗ってカミさんがベンチにいて、で、パッと見ると追っかけてきたふたりの刑事がいて、俺は空の拳銃を持ってて、いきなりこうやって向けると「撃っていいですよ」っつって、逸見さんのせがれ※1をボコンと殴って拳銃取り上げて、気絶してるから上にダンダンって二発撃つと寺島※2がふっとんで帰ってきて、それに拳銃を向けて向こうに撃たせて死んでしまうっていう。それで逸見さんのせがれが起き上がって「この拳銃空だったですよ」っつって「ああ、撃たされた」って感じでポカンとしてて、あとカミさんは死んでんだか生きてんだかわかんないようにフェリーの下で下向いてて終わりっていう。

武がたけしを殺す理由」(北野武)より

※1……逸見太郎,※2……寺島進

 この別エンディングは、北野監督らしいトリックを使った終わらせ方である。ただ、このエンディングも良いが、これだと作品の印象は全く変わってしまう。いずれのエンディングにしても伝えたいのは主人公の繊細な心であるが、別エンディングではそれに気が付かない人も出てくるだろう。こういった裏話は非常に面白い。別エンディング一つで、別の作品がひとつ作れそうな気がする。

まとめ

 デビュー作の進化系でありながら、微妙な変化が見られる本作。作品作りの細かい部分を見ていくと、全てがいい方向に進み、賞を取るべくして取った、ある意味では取らされた作品であると強く感じてしまう。いずれにしても、見てもらえば映画の世界を超えて歴史に残る作品であるとわかるので、是非ともおすすめしたい。