「歯車」(芥川龍之介)のあらすじ[考察,解説,感想]

2015年2月9日

死へと突き進む芥川の苦悩

歯車―他二篇 (岩波文庫 緑 70-6)

もくじ

 

 

はじめに

 「歯車」は、芥川の晩年の作品の中でも、「或阿呆の一生」とともに、彼の死後に発表されたものとなります。その内容についても、死の直前における、彼自身の生活を描いたものとなっており、読んでいて悲しい気持ちにもなります。

 話の中には、実際にあった、彼の義兄に関する事件のほか、「河童」「地獄変」などといった彼自身のかつての著作の名もでてきます。そのような意味でも、貴重な作品かと思います。特に河童については、作中にて、眠れない夜に睡眠薬が見つからず、苦しさを紛らわすようにして河童を書き始めるシーンなどもあり、芥川の実生活にかなり深く踏み込んであります。

 

あらすじ

 作家である主人公の「僕」は、知り合いの結婚式に出るために、東海道沿線の避暑地から、停車場へと向かいます。その道すがら、レインコートを着た幽霊の話を耳にします。その後、電車を乗り継いで東京へと向かう途中、レインコートを着た男を見かけ、妙な気分になります。東京につき、ホテルへ向かう途中、「僕」は長い間悩まされていた、めまいのような歯車の幻覚を目にします。彼はそのまま、落ち着かず、憂鬱な気持ちで披露宴を過ごし、ホテルの部屋へと向かいます。そしてそこで、姪っ子から電話があり、義兄の死を知らされます。義兄は、東京からそれほど遠くない田舎町にて、レインコートを着たまま轢死していました。

 次の日、「僕」は義兄のことを考えます。義兄は生前、自宅に多額の保険金をかけたのち、火事に見舞われたことで、放火の容疑がかけられておりました。そんなことを考えつつ、彼は書きかけの短編に取り掛かりますが、イライラしてはかどりません。彼は精神病に罹っているのです。その日も姉を尋ねつつ、病院へと向かいました。しかし、いつも通っている病院への道順を忘れたり、再びレインコートの男を見かけたりと、妙な事が続きます。

 それから「僕」は、ホテルの部屋で原稿を書きつつ、街中で旧友に会ったり、書店に通ったりして過ごします。その間、彼は、ちょっとした言葉や本の内容などに神経過敏になっていき、周囲の事物に妙な因縁を感じます。そして、睡眠薬に頼りながらも、彼はなんとか短編を書き終えます。

 彼はその後、精神状態をますます悪化させます。部屋にこもって執筆に集中することで、彼はなんとか自己を保とうとします。執筆中の彼は、誇大妄想が激しく、その間だけは世間や家族に関する瑣末なことを忘れられるのです。その一方で、彼は自身の破滅や死をも予感し始めます。危うい精神状態の中で、彼はさらに新たな作品を書き上げた後、家族のいる避暑地の自宅へ帰ることにします。

 家族と田舎の静けさに、彼は数日間の平穏な日々を取り戻します。しかし、田舎にもやはり世間があり、人間関係があることに変わりはなく、再び彼の精神は悪化していきます。そしてある日、散歩をしているとき、これまでに妄想の中で見てきたものと、かつて見た歯車が目の前に現れ、視野を遮ります。気がつくと彼は自室で仰向けになっており、これまでにない恐怖と苦痛に、いよいよ死が迫ってきたことを感じました。

 

 考察(解説)

晩年の芥川龍之介

 この作品では、晩年において、すでに精神を病んでいた芥川が、いよいよ死に向かっていく様がありありと描かれています。また、作風も全盛期の頃と比べると大きく変わっております。彼の作品の特徴であった、緻密なストーリー、巧みな描写、堂々として迫力のある筆使いなどは見られません。

 しかし一方で、病んだ精神が彼の心に生み出す事物や映像が、いたるところに描かれ、さらにそれらが連動しており、全体として幻惑的な雰囲気を持っています。

 

歯車は何を表しているか?

 さて、ここではまず、タイトルの「歯車」は何を意味しているのかについて見て行きましょう。これについては、「日常や社会生活における歯車」が狂うと共に、「死や破滅への歯車」がかみ合わさっていく、といったところでしょうか。

 日常の歯車が狂うというのは、創作に関する苦悩がまずあります。特に、社会人であり、家庭をもつ人間としての自分と、作家としての自分の間にある矛盾です。言い換えれば、健全さや道徳心といったものと、芸術への野心や欲望といったものとの間にある矛盾です。さらにそこへ、作家としての芥川への批評、そして身内に起こったトラブルなどが重なり、歯車が狂っていきます。そして、歯車が狂って行く中で、象徴的とも言えるものが幾つか登場します。

 例えばそれは、「レインコート」でしょう。それから、「赤い色」「飛行機」といったものも、現実と妄想の両方で交互に現れ、歯車が狂う様、芥川の精神が混乱していくさまを表現しています。始めの内、それらの象徴物は、どちらかというとはっきりしたものとして、現実のとして登場します。しかし、徐々にその存在の確かさは失われていき、気がつけば現実に存在するのか妄想なのか、わからなくなってきます。

歯車

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
この 作品 は クリエイティブ・コモンズ 表示 – 継承 2.1 日本 ライセンスの下に提供されています。
http://www.flickr.com/photos/ericskiff/2926455232/

 

芥川の苦悩

 他には、一体芥川は何に苦悩していたかという論点があるでしょう。例えば義兄の事件が芥川に大きな心理的ダメージを与えました。そして、その章のタイトルは「復讐」となっています。義兄は、保険金詐欺という形で家族を裏切ってしまい、良心の呵責に苦しんだのか、結果として自殺してしまいました。家族を裏切ることで、結局は自己を破滅させてしまったのです。

 この事件を芥川は、芸術に専心するあまり、家族を蔑ろにしてしまい、精神を病んで迷惑までかけた自身と重ね合わせたのでしょう。そのために良心を痛めたのです。そして、自身も破滅への道を歩むこととなったのです。

 そしてもう一つ、芥川が書店で見た宗教に関する本に、「4つの敵」として「疑惑」「恐怖」「驕慢」「官能的欲望」と書いてあるのを発見します。そして芥川はこれを「自身の感受性や理智の異名」と言います。これこそは、先述したように、健全さや道徳心といったものと、芸術への野心や欲望といったものとの間にある矛盾にほかなりません。このへんの記述が、芥川の苦悩を読み取る際のヒントになると思います。

 

おまけ(感想など)

 例えば、「喜び」「楽しみ」「平穏」といった歯車が咬み合って、幸せな日常が回っているとしましょう。しかし、その一つが反対のものに、例えば「喜び」が「怒り」という真逆の歯車に取って代われば、歯車は回らなくなります。正確に言えば、日常生活に支障が出ます。しかし、いきなり日常が破綻することはないでしょう。間違った歯車をもとに戻すことで、再び新たな日常を取り戻すものです。

 しかし、ここで創作、あるいは芸術というものについて考えてみましょう。例えば作家は、日常で感じた些細な怒りを元に、自身の作品の中で「哀しみ」や「混乱」を描くことができます。そして、それでお金を得て、家族を養うことができます。つまり、創作や芸術は、「幸せな日常」と「不幸せな日常」の橋渡しをすることができるのです。

 これが、平和な日常を動かしていた歯車が、いつしか破滅への歯車にとって代わる仕組みではないでしょうか。

参考文献・作品情報

参考文献

作品情報

<年月>

  • 1927年(35歳)10月発表。
  • 芥川の死後に発表された作品。後期。

<ジャンル>

  • 「私小説」

<テーマ>

  • 苦悩、精神・日常の崩壊

<ページ数>

  • 46ページ(新潮文庫,2003)

<Q&A>

Q1. 「歯車」とは何か?

  • 偏頭痛の予兆である閃輝暗点。
  • 「日常・社会生活における歯車」と「死や破滅への歯車」を表している。

 物語では「日常・社会生活における歯車」が狂っていく一方で、今度は「死や破滅への歯車」が咬み合っていく様が描かれています。
 その象徴として「レインコート」「赤色」「飛行機」があります。これらは始め、実際に存在するものとして描かれます。しかし、日常の歯車が狂っていくにつれて、妄想の中に現れ始めます。そして、現実と妄想の境目が曖昧になり、ついには至る所で主人公の目につくようになります。

 歯車は物語のはじめと終わりに登場しますが、はじめに登場する歯車は、日常の歯車が狂っていくきっかけとなります。そして、最後に登場する歯車は、死への歯車が咬み合っていくのを表しているのです。

Q2. 主人公の男(芥川)の病気とは?

 物語の中では、芥川が精神科へ通っている記述があります。そして、その病気の症状とも思われる記述も多数見て取れます。これはおそらく、精神病の中でも「統合失調症」にあたると思われます。(参照:「統合失調症-症状」) 統合失調症は、その症状のうち「被害妄想」「誇大妄想」といったものがあります。また、「目に映る事物がすべて自分に関係している」などといった感覚があります。これらの症状と思われるものが、作中に多く見られます。