「魚服記」(太宰治)のあらすじ(要約)[考察(解説),感想]

2017年10月25日

故郷津軽の自然や民話を取り入れた作品
不明瞭な結末とその真相

晩年 (新潮文庫)

 「晩年 (新潮文庫)「魚服記」収録

参照:「魚服記」(青空文庫)

もくじ

  • 太宰治「魚服記」 – あらすじ
    • 「魚服記」の背景
    • 山奥の茶屋で暮らす父親と思春期の少女
  • 考察(解説)
    • 結末は何を意味しているか?
    • いろいろな解釈ができる
  • 感想
  • 参考文献

太宰治「魚服記」 – あらすじ

魚服記の背景

 「魚服記」は、太宰の第一創作集である『晩年』(1936年)に収められた作品の一つです。27の青年である太宰が、初めての創作集に『晩年』という名前をつけたのは、彼が自殺を考えており、遺書のような位置づけをしていたからだと言われています。自殺を思い立った理由については、人間関係のもつれや、当時参加していた共産主義運動と自身の出自の矛盾などに悩んだなど、いろいろ言われているようです。
 「魚服記」では、故郷である津軽の自然や民話などが背景として描かれています。

山奥の茶屋で暮らす父親と思春期の少女

 舞台は青森県、本州最北端の梵珠山脈にある馬禿山です。その麓の寒村の外れ、山の裏にある滝です。周囲は夏の終わりから秋にかけて紅葉が美しく、ちょっとした賑わいを見せます。その滝にて、ある年の夏、一人の学生が死にました。30mほどの高さの滝は三方を崖に囲まれており、その斜面には珍しいシダ類が生えており、それを採集している際に滝へ落ちたのです。そして、滝のそばに立つ茶店の、15の女の子が、その様子をはっきりと見ていました。

 馬禿山には炭を焼く小屋がいくつもあり、その一つは滝のそばにあります。茶店の女の子はその小屋の娘であり、名前はスワと言い、小屋で父親と二人暮らしでした。スワが13の時に、父が茶店をたて、そこで飲み物や駄菓子を並べるようになったのです。それからというもの、夏が近くなると、父は小屋で炭作り、スワは店番という日々が続きます。スワは山で育った元気な子であり、以前は絶え間なく流れる滝を見て、「こんなにたくさん水が流れれば、いつか無くなってしまう」などと考えるような子でした。しかし、最近は少し思慮深くなっていました。

 その日も、スワは滝の傍らに佇み、昔のことを思い返していました。それは、いつだか父から聞いた昔話でした。木こりの兄弟がいて、ある日、弟は川魚をたくさん獲って帰ります。そして、兄のいない間に魚を全部食べてしまったところ、異常に喉が渇き、体に鱗が生え、大蛇になってしまったと言う話です。スワが我に返ると、ちょうど父が帰ってきたところでした。その日、スワは虫の居所が悪く、父が話しかけても無視をし、さらには父に失礼な言葉を浴びせます。しかし父は、スワが年頃になったことを感づいており、叱りつけることなく、スワの言葉を受け流します。それがスワをますます苛立たせ、スワは「阿呆、阿呆」と怒鳴っていました。 やがて秋が近づき、店をたたんでからは、父は炭を背負って村へ売りにいきます。その間、スワは山に入り、キノコを獲ります。炭やキノコが良い値で売れると、父は決まって酔っ払って帰ってきます。

 そんなある日、父は早朝から村へ降りて行きました。その日は木枯らしが吹き、山は荒れていたので、スワは一日中小屋にいました。スワは一人、珍しく髪を結って、髪飾りをつけたりします。日が暮れた頃一人で食事をし、やがて夜がやってきて、スワは一人床につきます。夢うつつの中、入口の土間へ初雪が舞い込むのを見て、スワは心を踊らせます。そんな中、スワは体の痛みに目を覚まします。そして、体がしびれるほどの重みと、酒の臭いを感じます。すると、スワは「阿呆」とだけ言い、家を飛び出します。

 吹雪の中、スワはひたすら歩き、滝へ近づいていきます。そして、低い声で「お父」だけ言って、滝に飛び込みます。気がつくと辺りは薄暗く、頭の上で滝の音が響いていました。スワは自分は大蛇になってしまったと思いました。しかし、スワは大蛇ではなく鮒になったのでした。鮒になったスワは、水の中を泳ぎまわった後、滝壺に向かって泳いでいき、そのまま吸い込まれていきました。

考察(解説)

結末は何を意味しているか?

 この作品は、何より結末の部分が気になります。結局のところ、スワが夢うつつになってからというもの、話の内容は現実なのか夢なのかわからないような描かれ方をしています。現実だとすれば、スワは家を飛び出して滝に飛び込み、そして鮒になったのち、滝壺に飲み込まれていきます。ここでの「鮒になった」というのは比喩でしょう。結局は、スワは滝壺に飛び込んで自殺してしまったということになります。
 では、その理由は何か。それは、夢うつつの中、スワが目を覚ましたところに書かれています。以下に引用してみます。

 疼痛。からだがしびれるほど重かった。ついであのくさい呼吸を聞いた。

「阿呆」

 スワは短く叫んだ。

  疼痛(とうつう)というのは、ずきずき痛むこと、あるいは疼くことを意味します。夢うつつから目を覚ましたスワは、体の何処かに疼くような痛みを感じ、体がしびれるほどの重みを感じます。彼女の体の上に何かが乗っていたのでしょう。そして、酒のにおいです。「あのくさい呼吸」というのは、当然ながら酔って帰った父のことを指しています。物語の後半、以下の部分に書いてあります。

父親は炭でも蕈でもそれがいい値で売れると、きまって酒くさいいきをしてかえった。

 そして最後に、「阿呆」ときます。スワが床についた以降の話が夢か現実かということも含めて、解釈はいろいろできるでしょう。ただ、一般的には、言い方が正しいかわかりませんが、スワは父から悪戯され、ショックのあまり家を飛び出したということになっています。その証拠ではないですが、滝に飛び込んだ後、水中で、スワの心情が次のように書かれています。

ははあ水の底だな、とわかると、やたらむしょうにすっきりした。さっぱりした。

大蛇になってしまったのだと思った。うれしいな、もう小屋へ帰れないのだ

 滝に身を投げ、すっきり、あるいはさっぱりした気分になります。そして、もう小屋に帰らなくていいことを喜んでいます。

いろいろな解釈ができる

 確かに、父から悪戯、つまり性的虐待を受けたという以外の解釈もあるでしょう。例えば思春期の不安定な情緒からくる父への嫌悪感を表したとしてもいいでしょう。「疼痛」以下の文章も、酔って帰った父がそのまま寝てしまい、寝返りを打ってスワの上に乗ってしまったとしても、辻褄は合いそうです。そして、家を飛び出してからの一連の描写は夢、あるいはスワの願望などと考えればいいでしょう。

 ただ、そうなると冒頭での「学生の死」がひっかかります。あえて学生の死を描き、それをスワがはっきり目にしていたこと、さらには両者の滝壺に飲まれる様子が似ているのはどうしてでしょうか。これはやはり、スワが同じように死ぬことを暗示していたと考えるのが、普通でしょう。

 この点に関して、文庫本の解説では以下のようになっています。

……孤独な野生の少女スワの、無邪気さ、無垢の憧れ、女のめざめ、絶望、変身を童話的に描いている。

(『晩年 (新潮文庫) 』,新潮社,p.337)

 解説でもはっきりとしたことは書いていません。一般的な解釈を頭にいれつつ、自分なりに納得のいく読み方をするのがいいということでしょう。

おわりに(感想)

 解釈の他に、この作品は構成が上手だと思いました。例えば先程もあげた、冒頭で学生の死を取りあげ、結末を暗示させるところ。また、「阿呆」「酒くさいいき」などといった印象的な表現を使うことで、スワが夢うつつの中で痛みで目を覚ました際に、はっきりそれとは書かずとも、父の存在を匂わせるあたりは非常に上手だと思いました。他にも天狗などの名を出すことで、終わりの部分で少女が鮒に変わるという部分へ、無理なく橋渡しをしています。

 また、思春期の少女の心情を、的確に表現しているのにも関心しました。仕事を終えた父に向かって「何のために生きているの?」と問いかける辺りは、実際に読んでいる際にも不意をつかれた気がしました。また、小屋で一人髪を結うところ、しかし、その際の髪かざりが父親の土産物というところが、田舎に住む少女の複雑な心情を表しています。

 参考文献

  • 魚服記」(青空文庫,2013年5月31日アクセス)
  • 晩年』(太宰治,新潮社,第86刷,1992,pp.71-81,333-337)

太宰治

Posted by hirofumi