コック・アンド・ローチズ(10)「解散」

「Go Home」

Abbey Road

 「両親」と「良心」が同じ音なのは、偶然なのかどうなのか。なんとなく必然的なものに思えてしまうが、そんなのは一時の感情でしか無い。仮にそうだとしても、子供にとっての良心が両親なのか、それとも子を思う両親の気持ちが良心なのか、はっきりしない。いずれにしても、親子関係も良心も、そんなにたいそうなもんじゃない。

 それはそうと、ローチズの良心は間違いなくグレイプ・コメットであった。

 

バンドの、バンドによる、バンドのためのプライベートツアー

「コック・アンド・ローチズ」

20世紀後半から現在に至るまで、音楽界はポップとロックが牛耳っている。細分化するジャンルも、結局はこれらの要素が根っこにある。

そんなポップ・ロックを世界中に広めたのが、「コック・アンド・ローチズ」だ。

もはや説明不要のローチズ。解散から半生記近く経ち、メンバーも半分しか残っていない現在でも、知名度はミュージシャンの中で一番であり、CDも未だに売れ続け、世界中のアーティストからの尊敬を集め続ける。

解散後もすべてのメンバーがソロで成功、そこでようやく「ローチズは天才の集まりだった」と世間は知ることになった。

音楽があるかぎり、これからもローチズは愛され続けるだろう。

 

 グレイプの一時的な脱退とソロデビューによって、バンドのメンバーは音楽活動への意欲を取り戻し始めていた。時を同じくして、ジャンは平和運動に一区切りを打った。メンバーの中でも最もバンドを大切に思っていたパウロは、ライブ映画の制作アイディアを持ち込んだ。ライブ映画には2つの目論見があった。一つは、ファンの前で長らく演奏していないこと。せめて映画館で、スクリーン越しに演奏したいという気持ちからであった。そしてもう一つ、バンドの結束を再び取り戻すためだ。

 

 バンドにとって一番の仕事は客前でのライブだ。CDを売るのも、テレビに出るのも、毎年ライブで演奏するという前提あってのものだ。大衆の面前、極度の緊張感の中、阿吽の呼吸で互いの音を重ね合う。その作業こそ、バンドの原動力だ。いくらいい曲を書いて、レコーディングを上手くこなし、CDをたくさん売っても、ライブがしっかりできなければ、バンドは長く続かない。

 

 パウロのアイディアは斬新なものだった。映画のためのライブツアーを、週に1回ずつ、3ヶ月の日程で組み、撮りためて編集した映画を一本。加えて、最も出来の良かった回を編集無しの映像でもう一本。観客には、アーティストを含む音楽関係者を招待する。会場は素人も利用するような、小規模のライブハウスを選んだ。設備面で不備はあるものの、駆け出しの頃の音楽を楽しむ心を取り戻すには最適な場所だった。これらの費用はすべてバンド持ち。世界的なバンドだからこそできた、贅沢なライブだった。

 

最後のレコーディング

 ツアーを開催するにあたって、パウロは新曲を書くことを提案した。理想としては、アルバムにまとめられるくらいの曲を書き、新曲のみのライブにしたい。今にして思えば、これが失敗の最大の要因となってしまった。

 

 メンバーはみなパウロのアイディアに興味を示し、さっそくレコーディンを開始した。ところが、いきなり問題が起こる。平和運動ばかりでバンドから長らく離れていたジャンは、以前と同じように絶対的なリーダーとして、独裁者のように振る舞ったのだ。その一方で、相変わらずジャンの曲は素晴らしかった。わずか数日の間に、文句のつけようのない曲も2つ書いていた。しかし、音は良くてもその歌詞がひどかった。相変わらずの平和主義で、荒唐無稽な理想論ばかりかかげ、「夢」とか「愛」とか「希望」とか「天国」とか「楽園」とか「ユートピア」という単語が1曲の中にいくつも並んでいた。

 

 これまでのバンドならば、ここで大喧嘩をしてレコーディングを中断していた。しかし、パウロは何とか頭を働かせ、とりあえずジャンには好きなように曲を書かせた。その一方で、ハリスとグレイプとの3人で曲を作っていった。両者の間を行ったり来たりして、メンバーのバランスを壊すまいとパウロは奔走した。

 

 レコーディング開始から2週間、ジャンは一人で10曲書き、その間に他の3人の共作が3曲できた。その3曲は、キャリアを通じて成長した3人の個性がうまく溶け合った、新たな時代を感じさせる良い曲だった。さらに、ハリス作の曲が2つ……この曲は、後にアルバムの顔となる名曲となる。パウロも1曲……平和運動をする前のジャンを意識した曲だった。グレイプは直前にソロアルバムを出したこともあって、このレコーディングでは演奏するだけで満足だったようだ。

 

残されたパウロとグレイプ

 ところが、ここでジャンがとんでもないことを言いだした。

「もう10曲書いたから、これでアルバムができるだろ? 充分仕事したから、僕は帰るね」

「いや、だめだ」とパウロ。「みんなで曲を出し合って、ライブをするんだ」

 引き留めようとするパウロに、ジャンはこう言い放った。

「僕の曲の方が絶対に良い! まあ、君らの曲を2つくらいは足してやっても構わないよ?」

「その代わり、後の作業は君たちにやらせてあげよう。好きなようにやってくれ。でも、僕の曲は素晴らしいから、手を加える必要なんてないけどね」

「あ、そうそう。ライブは2回しか出れないや。妻とバカンスに行くから」

 

 ここでついにパウロは怒り、スタジオの玄関先で大喧嘩を始めてしまう。手こそ出さなかったものの、パウロはジャンの平和運動をコケおろし、何の成果も出せなかったことを批判し、最後は「平和ボケ」と言い放った。一方ジャンは、およそ平和主義者とは思えない暴力的な言葉をパウロに浴びせた。最後はスタジオを去っていくジャンの背中に、パウロが「Go Home!!」と連呼していた。喧嘩をスタジオの中で聞いていたハリスとグレイプは、2人の言葉をメモし、喧嘩をモチーフにした「Go Home」という曲を書き、アルバムの表題曲となった。

 

 3人になったメンバー。ジャンの残した曲の中から2つ選び、歌詞をすべて書き直すなどし、何とかアルバムを完成させようと奮闘した。この時点でライブの話はおじゃん。アルバム完成が唯一の目標となっていた。以前と変わらずバラバラのバンドを見て、そのうちハリスがスタジオに来なくなった。仕方なく、パウロはグレイプと2人でレコーディングを続けた。幸いなことに、グレイプはソロアルバムが順調に売れていたために終始機嫌が良かった。これがバンドの最後のアルバムになると感じていたパウロは、自身のアディアを出し切ろうと、アルバムの後半を埋める渾身のメドレー曲をつくることにした。メドレーをつくるにあたって、リズム隊のベーシストとドラマーが残っていたのは幸運だった。この時のグレイプのプレイは素晴らしく、完璧主義者のパウロも文句のつけようが無かったという。

 

 このレコーディングは、その後のメンバーのキャリアを予期するものだった。ジャンはこの時書いた曲をもとにソロデビューの際のアルバムを完成させた。レコーディングに来なくなったハリスは、自宅のスタジオにこもり、それまでに書き溜めていた曲の編集作業を開始。パウロは、この時試みたメドレー形式の作曲方法を、ソロキャリアでも多用した。また、グレイプはレコーディング中も度々ジャンやハリスのもとを訪ね、食事や飲みに誘っていた。酒の席では、バンドや音楽の話は全くせず、グレイプが当時ははまっていた動物のドキュメンタリー番組の話や、収集していた鉱石の話をしていた。

「動物園の園長になるか、宝石屋を開くのが将来の夢なんだよね」

 バンドの現状などお構いなしのグレイプの話を、ジャンもハリスもとても楽しそうに、穏やかな笑みを浮かべて聞いていたという。

 ローチズ解散後も、グレイプは他のすべてのメンバーと良好な関係を保っていた。メンバーが全員揃うのは、決まってグレイプのライブやレコーディングの時だった。

 

 バンドの良心であるグレイプが書いた、2分に満たないギターのみの曲を最後に、ローチズと、彼らのラストアルバムは幕を閉じた。

 

続く