著書から厳選!北野武/ビートたけしの名言格言集!『超思考』『全思考』より

2018年3月8日

北野武が経験した様々な「死」

死への恐怖

 人の生き死には、誰にもコントロールできない、ただの運だ。運ということは、自分だっていつ死ぬかわかったもんじゃない。そう考えたら鳥肌が立った。
 今、自分が死んだら、きっと何も残らない。北野武という人間が生きていたなんてことは、地面に落ちた雨粒の一滴が後から後から降ってくる大雨の中であっさり消されてしまうみたいに、すぐに忘れられる。(中略)自分の人生が空っぽだということが、無性に恐ろしかった。

引用元:北野武(2011)『全思考』第3版,幻冬舎,p.14

 中学時代に同級生が事故死、大学時代には京浜東北線の事故で知人が事故死。2つの身近な人間の急死を経験し、大学時代に無性に死が恐ろしくなった時の話です。

 多くの人が若いうちに誰かしら身近な者の死を経験します。人はあっさりと死んでしまうもので、そこで「人間って何なんだ?」と考えてしまいます。そんな風に、いつの時代も死は人にとって最大の問題なのです。

大学を辞めた時の気持ち

 だからあの時代は、いつも下を向いて歩いていたような気がする。
 いつも下を向いて、死に怯えていた。
(中略)
 ふと、とんでもないことを思いついた。
「そうだ、大学を辞めよう」
 どこからそういう考えが降ってきたかは、よく憶えていない。雲ひとつない空に稲妻が走るように、その考えが頭のなかで閃いた。飛び降り自殺でもするような気分だった。
(中略)
 あのとき、横断歩道を渡りながら見上げた新宿の空は、後にも先にも見たことがないくらい、真っ青に晴れ渡っていた。
(中略)
 少なくともその瞬間、死への恐れは跡形もなく消えていた。

引用元:北野武(2011)『全思考』第3版,幻冬舎,pp.21-22

 1970年、北野武さんが大学4年生の頃の話。学生運動が真っ盛りで大学は休講。新宿のジャズ喫茶などをフラフラしていた武さん。そこで、「大学を辞めよう」とふと思いつく。

 このエピソードは他の著書でも幾度と無く登場するもので、武さんは「一種の自殺」と表現しています。現在とは違って大学に入るのが大変だった時代、卒業目前で中退し、しかも浅草で芸人を始めるというわけですから「自分を一度殺す」という表現も大げさではないかもしれません。

バイク事故からの生還

 まあ、そんなこんなで、オレは死地から生還した。生き延びたのは、どう考えても、ただの運だと思う。そして気がついたら、生きていることに、あまり執着を感じなくなっていた。
(中略)
 俺はいつでも死ぬ覚悟はできているぜ、なんて、格好のいいことを言うつもりはない。
 ただ淡々と、いつ死んでもいいかなと思う。そういう意味じゃ、生きることにあんまり興味がないのだというしかない。

引用元:北野武(2011)『全思考』第3版,幻冬舎,p.32

 バイク事故を起こして瀕死の重傷を負った武さん。事故現場は暗い道の曲がり角で、運良く街頭に照らしだされていたために、後続車に轢かれず病院に運びだされます。顔はぐしゃぐしゃで、医師も免許証を見てようやく武さんだと気がつく。事故の記憶は全くなく、医師からは「下手をしたら子供時代まで遡って記憶が消失していたかも」と言われる。それでも命は助かり、記憶も消えず、顔も徐々に回復。

 リスクしかない状況で、最小限の傷で済み、その後はタレントとして復活。映画監督としても名声を得る。ここまで来ると、もはや「ただの運」と言ってしまうのも無理はありません。人の死に怯え、大学生としての自分を殺し、瀕死の重症から生還。そして辿り着いたのが「生きることへの興味があまりない」という状態。そんな武さんが、傍から見れば誰よりも「生き生きしている」のですから、不思議なものです。

北野武の死生観

 人類がこの地球上に出現して何百万年経ったか知らないが、死ななかった人間は一人もいない。人間はだれでも死ぬ。
 人生のゴールは死ぬことなのだ。競走なら、早くゴールに着いた方が勝ちだ。
 だったら、早く死んだほうが勝ちなんじゃないか。
 釈迦だって、生きることは苦しみだと言っている。それなら、生まれてすぐに死ぬのがいちばん幸せかもわからない。人生の苦しみを感じずにすむのだから。
 (中略)
 この世で起きることには、本来、何の色も着いていない。
 そこに、喜びだの悲しみだのの色を着けるのは人間だ。

引用元:北野武(2011)『全思考』第3版,幻冬舎,pp.40-41

 武さんは死ぬことには一つだけメリットがあると言います。それは「死後の世界があるかどうかそこではっきりする」ということです。死んだらどうなるか? 死後の世界があればそれを見ることができる。無かったらそのままおしまい。

 死を否定したり、死を怖れたり、死から目を遠ざけるのではなく、死を肯定する。厳密に言えば、死を肯定も否定もしない。その代わり、生に過剰に期待しないこと。悟りの境地と言えば大げさかもしれませんが、独特の死生観を持っているわけです。

東日本大震災と、命に対する想像力

 今回の震災の死者は1万人、もしかしたら2万人を超えてしまうかもしれない。(中略)だけど、この震災を「2万人が死んだ一つの事件」と考えると、被害者のことを全く理解できないんだよ。
 (中略)そうじゃなくて、そこには「1人が死んだ事件が2万件あった」ってことなんだよ。

引用元:北野武(2013)『ヒンシュクの達人』小学館,初版第一刷,pp.38-39

 この言葉は、テレビなどでも発言していました。ネットでも話題になり、名言として取り上げられていました。事件や災害など、悲劇が起こった時に大切なのは「想像力」であると、たけしさんは言います。

 確かに、規模の大きすぎる災害は、なかなかイメージが湧きにくく、被害にあった方の心情を理解するのは難しいものです。それよりも、「災害は怖い」といった印象が先行してしまいます。一方、ドキュメントなどで個人の方の被害を見ると、災害の悲惨さがリアルに伝わってきます。そこからさらに一歩進んで、家族や友人が死んだという一つの大きな悲劇が、何百何千何万件起こったと考えれば、その凄惨さがよくわかるということです。

マスコミ、政治について

マスコミは利用するもの

マスコミは利用するもの。叩かれたら、それを利用することを考えるべきなのだ。

批判にさらされるのは、社会の注目を浴びるってことだから、むしろ見せ場だと思えばいい。(中略)そこでうまく切り返して勝っていれば、一躍人気者になれたかもしれない。

引用元:北野武(2011)『超思考』幻冬舎,第9刷,p.8

政治家と文化の衰退について

 吉田茂首相が「なんでそんなに元気なんですか」って新聞記者に聞かれて、「人を喰ってるからだよ」と答えたって有名な話があるけれど、昔の政治家にはそういうことをすっと言える人がいた。
(中略)
 そういう感覚が政治家やなんかから欠落してしまったのは、日本の文化が駄目になっているってことだ。文化的なことがじゃんじゃんなくなっているから、ちょっとでも変なことを言ったら、ハチの巣をつついたみたいな騒ぎになる。マスコミも政治家も、ワーワー文句を言うしか脳がないような教養のない人ばかりが目立つ。

引用元:北野武(2011)『超思考』幻冬舎,第9刷,p.9

 ダメな政治家が増えているのは、結局は日本社会全体の責任、文化の問題だというのが、たけしさんの意見です。最近の政治家には誰かの意見に賛成か反対かしかできない人が多い。国民も同じで、他人の意見に乗っかることを「自分の考えを持つこと」と勘違いしている人も多い。ニュースを見ても、まず自分で考え、安易に報道に流されない姿勢が大切ということでしょう。

民主主義とは?

 民主主義なんてものは、効くか効かないかよくわからない怪しげな薬みたいなものだ。飲み続けなければ死んでしまうと言われて飲んではいるけれど、「ほんとに、この薬のおかげで生きてるんだろうか?」という疑念は消えない。

引用元:北野武(2011)『超思考』幻冬舎,第9刷,p.82

 この言葉は何か哲学的な感じがします。民主主義の世の中で様々な問題が起こっているけど、それに変わる何かは無い。とりあえず飲んでいる薬、というわけです。

北野流の無抵抗主義

 今の政治に文句があるなら、いちばんいいのは文句を一切言わないことだ。国民が主人だなんて理想論は放り投げて、自分たちは政治家や官僚の持ち物なのだということを、はっきり認識させてやった方が早い。何を言われても、何をされても、「はい」「はい」と黙って聞く。そのかわり、何にもしない。税金も払わなければ、投票にも行かない。
(中略)
 国民全員がそれをやったら、面白いことになるだろうなと思う。国民全員が税金を払わないと言ったら、取り立てる手段はおそらくない。
(中略)
 権力者というものは、口で何と言おうと、みんな心の底では国民を持ち物だと思っているのだ。自分たちのために働いて、税金を納める持ち物だから、逃げられるのがいちばん怖い。

引用元:北野武(2011)『超思考』幻冬舎,第9刷,pp.84-85

 これは「あえて」の極論でしょうが、国民と政治家の関係性の本質をついた、面白い話だと思います。政治家の言うことは聞くけど、政治家のためになることは何もしない。文句は言うけど義務をしっかり果たす人間は、それを管理する者にとっては非常に都合が良い。何を考えているかわかるし、騙すことも簡単というわけだ。

経済について

 経済問題というのは博打と一緒で、裏目というものが必ずある。損したやつがいるということは、必ず得をした人間がいるということ。世界恐慌と言ったって、どっかに必ずそれで儲けたやつがいる。

引用元:北野武(2011)『超思考』幻冬舎,第9刷,p.88

医療、命について

医師の世界も世襲制?

 次は医療について。ここでは、日本の医師養成過程について疑問を投げかけています。数年前から、医師のレベルの差が問題視され、医者選びをしっかりしようという風潮が出てきています。これについて、二世しか開業できなかったり、勉強ができる人しか医者になれないなど、医師になるための過程に問題があるという話です。

健康保険制度は国民のためと言っているけれど、反対側から見れば、医者が確実に治療代を徴収するシステムでもあるわけだ。

健康保険制度が確立すれば、病院の収入は安定する。国が収入を保証してくれるようなものだから、こんな確実な商売はないというので、日本では医療が投資の対象になってしまった。だから医者は子供を医者にする。馬鹿でも金儲けができる仕事だから、子供の資質に関係なく医者にしようとするわけだ。

今だって医者は尊敬されていると言うかもしれないけど、仕事の内容で尊敬されている医者がどれだけいるか。ベンツに乗っているとか、家がデカイとか、金持ちだから尊敬されているというだけの医者が大半だろう。

引用元:北野武(2011)『超思考』幻冬舎,第9刷,pp.20-21

 勉強ができなければ医学部に入れないというのは、多くの人が疑問に感じているところでしょう。裾野が狭いがために、人材に偏りができてしまうのが一番の問題です。また、裕福な家庭や二世でなければ開業が難しいというのは、あたかも政治家の世襲制のようで、これも大きな問題です。

 医療が金儲けに利用されているのは、日本に限らず外国でも問題になっています。特にアメリカなどでは、薬を売るために、製薬会社と大学教授・医師が癒着しているなど、問題はかなり深刻です。

 医師という職業につくにあたって、ある程度勉強ができることは必要でしょう。しかし、現状はあまりに極端だと思います。学力は下限だけ定めて、判断力、コミュニケーション能力、意欲など総合的な基準から、人材を集めるべきだと思います。

生と死の問題、命の大切さについて

医療が発達して、今の人はなかなか死ななくなった。(中略)人は死ぬという事実に蓋をして、社会の表面から見えなくしてしまっているのが現代社会だ。

人の命は地球より重いなんて意味不明の綺麗事を言って、子供に命の大切さを教えたつもりになっている。だから子供は混乱する。生と死は、切り離せるものではなき。死について教えないから、命の価値がわからなくなるのだ。

他の生き物の命を奪って、人は生きている。生きるというのは、そういうことだと理解するところから、人は生と死の意味を考え始めるのだと思う。

引用元:北野武(2011)『超思考』幻冬舎,第9刷,pp.34-35

 臭いものには蓋をして綺麗事を言うというのは、最近の社会が抱える大きな問題です。教育の現場でも、テレビでも、とにかくタブーをどんどんつくって、上っ面の綺麗事で問題を見て見ぬふりをする。命の問題についても同じで、生の大切さばかり伝えて、死については何も教えない。

 物事の本質を理解するには、嫌なこと、聞きたくないことに目を向けなければならないと思います。生の大切さを教わっても死の恐ろしさはわからない。しかし、死の残酷さを知れば、自然と生きることも大切さがわかる。人の命も自分の命も大切にしない現在の世の中にとって、大きな意味をもった言葉だと思います。

死刑について

 死刑が極刑であるためには、ひとつの前提が必要だ。「人間がいちばん恐れるのは死であって、死は人生における最悪の出来事だ」という前提が。世の中の人がみんなそう思っていて、はじめて死刑が極刑として成立する。
 現代では、その前提が崩れてしまっている。生きることに価値があるんだかないんだか、よくわからないという人間がやたらと増えた気がする。

引用元:北野武(2011)『超思考』幻冬舎,第9刷,p.29

 先程の言葉と関連するのがこちら。生と死についてしっかり教育をしないのに、死刑が良いのか悪いの、必要なのか不要なのかなどわかりっこないという話です。

品格、生き方について

不況の時代のよりどころは「品と粋」!?

 今の時代、不況だ、カネがない、仕事がない、寝るところもないって、昔の足立区に逆戻りみたいになっている。昔はもともとが貧乏だから気にならなかったけど、一度豊かさを味わった今の人は不安でしょうがなくなる。自分のよりどころが消えたように感じるのかもしれないね。
 でも、よりどころはあるよ。
 それが「品」や「粋」だと思うんだけど。

引用元:北野武(2011)『下世話の作法』初版第1刷,祥伝社,p.13(前置き)より*

 格差社会の現代、ワーキングプアと言う言葉もマスメディアでよく耳にします。そんな時代でも、たけしさんはよりどころがあると断言。それが、品や粋。現代人が忘れているもの、捨ててきたものと言ってもいいかもしれません。これが本当に拠り所になるのか? 次に紹介する話が、ちょっとしたヒントになるかと思います。

下町の職人は格好いい

 下町の職人は仕事が終わると、決まって小汚い居酒屋で酒を飲む。いつも行く店が決まっていて、作業着のまんま酒を飲んで「ああ、うめえな」と呟く。その姿がかっこいいんだ。
(中略)
 それは人生を達観しているところがあるからだと思うよ。「俺はこれでいいんだ」って納得してる。「将来、この仕事で成功してワッと行こう」なんて全然考えてない。ある程度は食うに困らないし、贅沢はできないけど暮らしはまあまあだし。それで「毎日仕事帰りに酒が飲めるなんてさ、こんな幸せなことはねえ」って感じで飲んでいるの。そのへんの雰囲気がいいなって思う。

引用元:北野武(2011)『下世話の作法』初版第1刷,祥伝社,pp.44-45

 この話はなかなか深いものがあります。「俺はこれでいいんだ」と平凡な生活に満足できること。現状維持を幸せと感じられるのは、ひょっとするととても品のいいことなのかもしれません。夢や希望を語る一方で、格差が広がる現在の世の中では、特にそうでしょう。

たけし流「自分探しの旅」

「なりたい自分になる」なんてこともよく聞く。それで「自分探し」の旅に出るやつがいる。そういうやつらって、本当は自分のことを良く分かっているんじゃないの。自分には何もないということがさ。
(中略)
 自分探しは全部プラス思考じゃないか。変だなあ、どうして逆の発想ができないんだろう。プラスじゃなくてマイナス思考で考えれば「こんなことをしてないで、もっと地道に暮らそう」となるけど、それだって自分探しのはずだよ。
 俺は何の才能もない、ただ普通に働いて結婚して、子供をつくりゃいいんだって何で考えないのかな。

引用元:北野武(2011)『下世話の作法』初版第1刷,祥伝社,pp.81-82

「才能なんてない」「自分は凡人だ」と考えて平凡な暮らしをできればいいのですが、それができないのが現代人。自分探しの旅で本当の自分を見つけたという人は、一体どれくらいいるのでしょうか? 何も見つからず、そこで現実を目の当たりにして、そこでようやくまともな生き方を模索する。結局そこで見つかったのは、本当の自分ではなく、どこにでもいる人間。そんな自分探しの旅に一石を投じる言葉です。

たけし流「成功の秘訣」

 成功の秘訣はね、いちばんなりたいものじゃなくて、その人にとっては二番目か三番目の、違う仕事に就くこと。自分にはもっとやりたいことがあるんだけど、今すぐにそれをできる能力はないから違うことをやってます。それぐらい自分を客観的に見られるやつのほうが、成功する可能性は圧倒的に高い。

引用元:北野武(2011)『下世話の作法』初版第1刷,祥伝社,p.89

 これは、たけしさんが他の書籍やテレビなどでよく話すことの一つです。大成功している人ほど、二番目や三番目にやりたいことで上手く行っているという話です。具体的な例をあげると、例えばたけしさんも尊敬している故黒澤明監督。 黒澤さんは映画の分野で世界的な成功と評価を受けています。しかし、本当は画家になる夢を持っていたことは有名です。

 他にも、平成の時代にお笑いの世界で天下をとった松本人志さんは、幼いころは漫画家を目指していました。お笑いに興味はあったものの、芸人になるきっかけは相方の浜田さんの誘いでした。それがなければ印刷所に就職する予定だったそうです。また、メジャーリーグの歴史に名を刻んだイチロー選手は、本当はピッチャーを目指していました。これもたけしさんの「二番目の法則」に当てはまると言ってもいいかもしれません。

 このような例はいろいろな分野でたくさんあります。その理由はいろいろあるでしょうが、たけしさんは「客観視」だと言います。二番目くらいに憧れる分野の方が、一歩引いた位置から冷静に分析できるということです。言い換えれば、やりたいことではなく、できることの中で自分に興味のあるものを選ぶのが、成功の秘訣というわけです。