著書から厳選!北野武/ビートたけしの名言格言集!『超思考』『全思考』より

2018年3月8日

現代社会の矛盾を「北野武」が斬る!


超思考 (幻冬舎文庫)


全思考 (幻冬舎文庫)

もくじ

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<北野武/ビートたけしの名言集①>

夢、才能、仕事について
  • 才能、転職について
  • 仕事のやりがいとは?
  • 仕事選びについて
  • 自分の能力と、働くことについて
  • 夢を売るビジネス
平等、努力と競走、本当の教育
  • 「平等」の残酷さ
  • 努力を絶対視することの危険性
  • 本当の教育
イジメの構造、オタクの心理
  • 建前ばかりの教育が生むもの
  • いじめの本質について
  • オンリーワンとオタク

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北野武が経験した「死」について
  • 死への恐怖
  • 大学を辞めた時の気持ち
  • バイク事故からの生還
  • 北野武の死生観
  • 東日本大震災と、命に対する想像力
マスコミ、政治について
  • マスコミは利用するもの
  • 政治家と文化の衰退について
  • 民主主義とは?
  • 北野流の無抵抗主義
  • 経済について
医療、命について
  • 医師の世界も世襲制?
  • 生と死の問題、命の大切さについて
  • 死刑について

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参考書情報
  • 『超思考』の内容紹介
  • 『全思考』の内容紹介
  • 『下世話の作法』の内容紹介
  • 『ヒンシュクの達人』の内容紹介

ビートたけしまとめ

北野武/ビートたけしの名言集①

才能、仕事、夢について

才能、転職について

 眠っている才能なんてものはない。才能はあるかないかのどっちかだ。自分が本当にやりたい仕事はなんだろうなんて、考えなきゃいけないってことは、やりたい仕事がないというだけのこと。
 探しているのは、自分が本当にやりたい仕事なんかじゃなくて、楽して稼げる仕事なのだ。そんなものがあるわけない。
 そんなものがあるわけないのに、さもありそうなことを言って、ニートを増やし、若者を安い労働力として使っているのが、今の社会の構造だ。使い捨てにされるのは、お笑い芸人だけの話ではないのだ。

引用元:北野武(2011)『超思考』幻冬舎,第9刷,p.64

 現在の20代後半から30代あたりの世代は、幼い頃に「夢はきっとかなう」「やりたい仕事をしよう」と耳にタコが出来るほど言われてきました。間違った教育が、社会全体に蔓延していたように思います。その結果、大量のニートを生み出した。

 その反動か、現在の10代20代の若者は妙に「現実的」です。相変わらず綺麗事を言う大人ばかりですが、それに流されない若者が増えてきています。世間では「ゆとり教育の世代」と言われている若者も、実際に話をしてみると現実的な考え方をしています。ゆとり教育は実は効果的だったのか、はたまた子どもたちが途中で嘘を見ぬいたのでしょうか?

仕事のやりがいとは?

 仕事の本当の面白さとか、やりがいというものは、何年も辛抱して続けて、ようやく見つかるかどうかというものだろう。最初から簡単にできたら、面白くもなんともない。(中略)その苦しさとか悔しさがあったから、仕事が上手くいったときの喜びもあったわけだ。それを、仕事のやりがいと言ったのだ。

引用元:北野武(2011)『超思考』幻冬舎,第9刷,p.65

 非常にシンプルな言葉です。やりがいのある仕事をしたいという意見をよく聞きますが、仕事のやりがいは最初から見つかるものでなく、実際にやって苦労して初めてわかるもの。逆に言えば、どんな仕事にもやりがいはあるということです。非常にいい言葉です。

仕事選びについて

 気が進まないくらいの方が、いろんなことがよく見える。どんな仕事にだって、誰も気づかない盲点というものがあるのだが、そういうものに気づくのは、好きでたまらない人間よりも、むしろちょっと引いたところから眺めている部外者だ。

引用元:北野武(2011)『超思考』幻冬舎,第9刷,p.66

 この話は有名で、例えば黒澤明監督はそもそも画家を志望していたり、あのイチローも投手を目指していたのが、打者になって歴史に残る成績を残した。2番目になりたいものが転職。そう考えて自分を見つめ直すと、何か新しい発見があるかもしれない。

自分の能力と、働くことについて

 

 やりたい仕事をやってる人間だって、やりたくない仕事をやってる人間だって一緒だよ。とにかく「働くことは辛い」っていうのが大原則なんでさ。(中略)楽な仕事なんてどこにもない。それでも生きていくために耐えていくしかない

引用元:北野武(2013)『ヒンシュクの達人』小学館,初版第一刷,p.89

(中略)「夢は必ず叶う」なんて無責任すぎるじゃないかってさ。大人になって、大学を出る頃になりゃ、イヤでも社会の厳しさを知ることになる。そこにきていきなりハシゴを外されちゃうから、社会に背を向けて閉じこもってしまったり、自分の周りの環境に責任転嫁してしまうヤツラが増えてしまうんだよ。

 男ってのは、自分には才能がないとわかってからが勝負なんじゃないか。親父にできるのは、いつか子供が傷ついた時に、それでも生きていけるような強い心を育ててやること。だから、子供の心を傷つけることを忘れちゃいけないと思うんだ。

引用元:北野武(2013)『ヒンシュクの達人』小学館,初版第一刷,pp.110-111

 これらの言葉は、社会人になる前の若者にとって、とても役に立つものだと思います。管理人の私が幼い頃も「夢はかならず叶う」という言葉を、周りの大人が口癖のように、呪文のように唱えていました。今考えてもちょっと不思議なものでした。

 可能性と限界、やりがいと食い扶持、夢と現実。良いものばかりにスポットを当ててきたのが、これまでの時代です。しかし、人生では限界を知ることが多いですし、生きるために仕事をしている人の方が多く、目の前にあるのは常に現実です。これらを知ってから、自分に何ができるかを考え、努力するというのが正しい方向性です。

 芸人として天下を取り、世界の北野となったたけしさんが言うのですから、間違いないでしょう。たけしさんは「夢」とは言わないでしょうが、夢を叶えてきた人ほど、自分の限界を知っていますし、生きるために戦い、現実的な考え方を持っているものです。

夢を売るビジネス

 最近は安いギャラで使うどころか、そういう若者たちから金をとって芸人にしてやるという話になっている。テレビに出たがる若者がいる限り、このビジネスは延々と続けていける。上手いことを考えたものだ。芸人はやっぱり商売人には勝てないのだ。
 これは、芸能の世界というよりも今の世の中の風潮みたいなものだ。「絵は誰にでも描ける」とは言って、素人に筆を持たせてダルマだのジャガイモだのを描かせる習い事の商売が流行っているけれど、目の付け所は驚くほどよく似ている。あれも何を売っているのかというと、絵を描く技術を売っているのではなくて、「芸術家になった気分」を売っているのだ。

引用元:北野武(2011)『超思考』幻冬舎,第9刷,p.60

 最近はお笑い事務所が養成所を運営しています。実際にスターが誕生している一方で、その大半は売れずに消える。しかし事務所は毎年入学金や学費を安定して得られるということで、事務所にとっては非常においしい商売になっています。その反面、昔のような大スター、国民的な芸人が生まれにくくなっている面もあると思います。

平等、努力と競走、本当の教育

「平等」の残酷さ

 戦後民主主義だかなんだかで、人間はみな平等ということになった。その平等は、あくまでも法の下の平等であって、金持ちも貧乏人も、同じ法律で裁かれて、同じ基本的人権を与えられますというだけの話だ。実際には、その平等だってかなり怪しいものだが、とりあえずタテマエとしては、そういうことになった。
 それで、勘違いしてしまった。人間はみな平等だ、と。
 法の前では平等であっても、人間そのものが平等なわけはない。
 顔だって、背の高さだって、頭の中身だって、百人いれば百通りだ。
(中略)
 なのに、どういうわけかみんな平等だってことにしたくて、努力すればなんとかなる、なんてことを言いだした。
 子供に「お前は馬鹿なんだから」と言うより、そっちの方がよっぽど残酷だ。

引用元:北野武(2011)『全思考』第3版,幻冬舎,pp.62-63

 物事には必ず本音とタテマエがあります。特に日本では、タテマエを大切にするのが文化として根付いています。しかし、そこで重要なのは、その裏にある意味、本音の部分もしっかり理解することです。「世の中は平等」「人間は平等」という言葉をそのまま受け取ってしまったら、社会で生きていくことはできなくなるでしょう。

 武さんの「本音を言わないことは残酷」という表現は、核心をついていると思います。いつまでもタテマエだけを教えられたら、その子供は社会に出てからかなり苦労することになるでしょう。

努力を絶対視することの危険性

 受験にしても、社会に出てからの競走にしても、将来は完全な勝ち抜き戦が待っている
(中略)
 その中で戦っていかなきゃならないのに、誰にでも無限の可能性があるなんてことにしてしまったから、逆に、落ちていく人間に対しては愛情の欠片もない。
(中略)
 誰にでも無限の可能性があるという前提では、お前の努力が足りないという結論で終わってしまう。

引用元:北野武(2011)『全思考』第3版,幻冬舎,pp.64-65

 「可能性には限界がある」と知っていれば、失敗した時にも努力だけでなく適正も考えて、再びチャレンジするようになります。しかし、「無限の可能性」と言ってしまうと、失敗の原因は努力が足りなかったから、となります。適性のないことを延々と続けて、そのうち努力も信じられなくなり、後ろ向きな人間になってしまうでしょう。

 努力をすることは大切ですが、必死に競争し、戦って、その先で別の選択肢もあると考えられるようになれば、本当の意味でその人の可能性は広がるでしょう。

本当の教育

 自分の子供が、なんの武器も持っていないことを教えておくのは、ちっとも残酷じゃない。それじゃ辛いというのなら、なんとか世の中を渡っていけるだけの武器を、子どもが見つける手助けをしてやることだ。
 それが見つからないのなら、せめて子どもが世の中に出たときに、現実に打ちのめされて傷ついても、生き抜いていけるだけのタフな心を育ててやるしかない。
(中略)
 欲しいものを手に入れるには、努力しなきゃいけない。だけど、どんなに努力しても駄目なら諦めるしかない。
 それが現実なのだということを、子どものうちに骨の髄まで叩き込んでおくことだ。

引用元:北野武(2011)『全思考』第3版,幻冬舎,pp.66

 現実的な視点から、確率の高い武器を身につけさせること。あるいは、強い心を育てること。シンプルですが、教育とはこういうことかもしれません。この2つを子どもに身につけさせてあげれば「普通の人生」「まあまあの人生」を送らせることはできるでしょう。

イジメの構造、オタクの心理

建前ばかりの教育が生むもの

 今の教育のように、人は平等なんだからみんな手をつなぎましょうなんていうのは、裏で喧嘩しろといってるようなものだ。
 全員でリレーをさせて、負けたのは全員のせいだなんて教師が言ったって、ほんとうは誰のせいで負けたのかを、みんな知っている。
(中略)
 なのに、表じゃそういうことを言ってはいけないことになっているから、裏で延々と言い続けてしまう。序列がつけられないから、無抵抗な弱い子を叩いて自分の順位を仲間に誇示しようとする。

引用元:北野武(2011)『全思考』第3版,幻冬舎,p.70

 建前ばかり言って、本来必要な競走まで否定する。すると、その不満が裏で噴出する。近年問題になっている陰湿ないじめは、表で表面的にいじめを排除したのが原因、とも言われています。この問題は、改善するどころか、現在もどんどん悪化しているように思います。

いじめの本質について

 人間というものは不思議なことに、常にどこかに敵を作らないと、平和ではいられない生き物らしい。外に敵がいなくなれば、身内に敵を作る。
(中略)
 おそらくは、人間が群れて暮らすようになった瞬間から、イジメなんてものは延々と続いてきたに違いない。

引用元:北野武(2011)『全思考』第3版,幻冬舎,p.68

 いじめは動物の社会にもあり、ある意味で本能的なものかもしれません。また、現在の社会を見渡しても、学校でも、会社でも、ママ友の間でも、さらには老人ホームでも、生まれてから死ぬまでイジメはあるのです。重要なのは、まずはその事実を受け止めること。

 では、イジメはどうすればいいか? いじめられた時の逃げ道をつくってやること。対処法を教えてあげること。いろいろな選択肢を示してやること。強い心を育てること、集団の中で上手く生きる方法を身につけること、などでしょう。

 イジメがあることをまず認めなければ、イジメられないようにすること、集団の中で上手く生きる方法を考える事すら、できないと思います。

オンリーワンとオタク

 オンリーワンになれというのは、あなたにしかできないものを探せということだ。そうすりゃ、競走なんて面倒なことはしなくて済む。つまり、オンリーワンというのは、「誰も競争相手のいない世界を見つけて潜り込めば、あなたも一番になれますよ」と言っているだけのことなのだ。
(中略)
 負けるのは嫌だから、自分の子どもに負けを認めさせたくないから、努力することに価値があるとか、オンリーワンになれる世界を見つけなさいという。
 競走を否定するくせに、一番ということにはこだわる。
 オタクが増えるわけだ。

引用元:北野武(2011)『全思考』第3版,幻冬舎,p.80

 負けるから、競争するのは嫌だ。だけど一番になって、他人を見下したい。そういう甘ったれた未熟な心が、オタクの本質なんじゃないか?

引用元:北野武(2011)『全思考』第3版,幻冬舎,p.82

 争いを否定しながら、一番になることを望む。他人よりも上に立ちたい。その自己矛盾を解消するために、マイナーな世界に潜り込む。このような考え方は誰もが陥る可能性を持っています。

 ただ、武さんはオタクを全否定しているわけではありません。オタクには一つのことに熱中するエネルギーがある。そのエネルギーを上手く別のことに向ければ、世の中のために役立つ、と言います。学者は勉強オタク、ミュージシャンは音楽オタク、弁護士は法律オタクです。重要なのは、競走を否定しないこと。自分の能力をどうやって世の中や他人に役立てられるか、考える事だと思います。