芥川龍之介の名言・格言・表現集

2017年10月24日

芥川龍之介の名言・格言・表現集

「侏儒の言葉」より

【作品解説】

 「侏儒の言葉」は、芥川龍之介の中期~後期にかけての作品で、名言・格言集となっています。当時30歳を過ぎて有名作家として作品を多く世に出していた芥川が、世の中や人生、あるいは芸術についていろいろな考えを示しています。

 ちなみに、「侏儒」とは「知識や判断力の無い人」といった意味です。「知識や判断力の無い一作家の独り言だ」と言った意味で、あえて自分を卑下したタイトルというわけです。

【道徳・良心・正義について】

 

  • 道徳は便宜の異名である。「左側通行」と似たものである。

 

  • 道徳の与えたる恩恵は時間と労力との節約である。道徳の与える損害は完全なる良心の麻痺である。

 

  • 良心とは厳粛なる趣味である。

 

  • なぜ我我は極寒の天にも、まされんとする幼児を見る時、進んで水に入るのであるか? 救うことを快とするからである。では水に入る不快を避け、幼児を救う快を取るのは何の尺度にったのであろう? より大きい快を選んだのである。

 

  • 正義は武器に似たものである。武器は金を出しさえすれば、敵にも味方にも買われるであろう。正義も理窟をつけさえすれば、敵にも味方にも買われるものである。

 

  • 或一群の芸術家は幻滅の世界に住している。彼等は愛を信じない。良心なるものをも信じない。唯昔の苦行者のように無何有(むかう)の砂漠を家としている。その点は成程気の毒かも知れない。しかし美しい蜃気楼は砂漠の天にのみ生ずるものである。百般の人事に幻滅した彼等も大抵芸術には幻滅していない。いや、芸術と云いさえすれば、常人の知らない金色の夢はたちまち空中に出現するのである。彼等も実は思いの外、幸福な瞬間を持たぬわけではない。

 

【人生・幸福・運命について】

 

  • もし游泳を学ばないものに泳げと命ずるものがあれば、何人も無理だと思うであろう。もし又ランニングを学ばないものにけろと命ずるものがあれば、やはり理不尽だと思わざるを得まい。しかし我我は生まれた時から、こう云う莫迦ばかげた命令を負わされているのも同じことである。

 

  • 人生は一箱のマッチに似ている。重大に扱うのは莫迦莫迦しい。重大に扱わなければ危険である。
    ※非常に良く知られた名言

 

  • 完全に幸福になり得るのは白痴にのみ与えられた特権である。如何なる楽天主義者にもせよ、笑顔に終始することの出来るものではない。いや、もし真に楽天主義なるものの存在を許し得るとすれば、それは如何に幸福に絶望するかと云うことのみである。

 

  • 運命は偶然よりも必然である。

 

  • 我我の生活に欠くべからざる思想は或は「いろは」短歌に尽きているかも知れない。

 

【才能・思想などについて】

 

  • 古来政治的天才とは民衆の意志を彼自身の意志とするもののように思われていた。が、これは正反対であろう。むしろ政治的天才とは彼自身の意志を民衆の意志とするもののことを云うのである。少くとも民衆の意志であるかのように信ぜしめるものを云うのである。

 

  • 天才の一面は明らかに醜聞を起し得る才能である。

 

  • 危険思想とは常識を実行に移そうとする思想である。

 

  • 天才とはわずかに我我と一歩を隔てたもののことである。ただこの一歩を理解する為には百里の半ばを九十九里とする超数学を知らなければならぬ。

 

【神・宇宙について】

 

  • あらゆる神の属性中、最も神の為に同情するのは神には自殺の出来ないことである。

 

  • 火星の住民の有無を問うことは我我の五感に感ずることの出来る住民の有無を問うことである。しかし生命は必ずしも我我の五感に感ずることの出来る条件をそなえるとは限っていない。

 

【親子について】

 

  • 子供に対する母親の愛は最も利己心のない愛である。が、利己心のない愛は必ずしも子供の養育に最も適したものではない。この愛の子供に与える影響は――少くとも影響の大半は暴君にするか、弱者にするかである。

 

  • 人生の悲劇の第一幕は親子となったことにはじまっている。

 

  • 我我は一体何の為に幼い子供を愛するのか? その理由の一半は少くとも幼い子供にだけは欺かれる心配のない為である。

 

  • わたしを感傷的にするものはただ無邪気な子供だけである。

 

【芸術・能力などについて】

 

  • 我々はしたいことの出来るものではない。只出来ることをするものである。これは我我個人ばかりではない。我我の社会も同じことである。恐らくは神も希望通りにこの世界を造ることは出来なかったであろう。

 

  • 大作を傑作と混同するものは確かに鑑賞上の物質主義である。大作は手間賃の問題にすぎない。わたしはミケル・アンジェロの「最後の審判」の壁画よりもはるかに六十何歳かのレムブラントの自画像を愛している。

 

  • 経験ばかりにたよるのは消化力を考えずに食物ばかりにたよるものである。同時に又経験をいたずらにしない能力ばかりにたよるのもやはり食物を考えずに消化力ばかりにたよるものである。

 

  • 諸君は芸術の国民を毒することを恐れている。しかしまず安心し給え。少くとも諸君を毒することは絶対に芸術には不可能である。二千年来芸術の魅力を理解せぬ諸君を毒することは。

 

  • 最も困難な芸術は自由に人生を送ることである。

 

【恋愛について】

 

  • 恋愛の徴候の一つは彼女は過去に何人の男を愛したか、或はどう言う男を愛したかを考え、その架空の何人かに漠然とした嫉妬を感ずることである。

 

  • 結婚は性慾を調節することには有効である。が、恋愛を調節することには有効ではない。

 

  • 我我を恋愛から救うものは理性よりもむしろ多忙である。恋愛も亦(また)完全に行われる為には何よりも時間を持たなければならぬ。

 

  • 恋愛はただ性慾の詩的表現を受けたものである。少くとも詩的表現を受けない性慾は恋愛と呼ぶに価いしない。

 

【その他いろいろ】

 

  • 女は常に好人物を夫に持ちたがるものではない。しかし男は好人物を常に友だちに持ちたがるものである。

 

  • 「その罪を憎んでその人を憎まず」とはしも行うに難いことではない。大抵の子は大抵の親にちゃんとこの格言を実行している。

 

  • 我我の社会に合理的外観を与えるものは実はその不合理の――その余りに甚しい不合理の為ではないであろうか?

 

  • わたしは不幸にも知っている。時には嘘に依る外は語られぬ真実もあることを。

 

  • 成すことは必しも困難ではない。が、欲することは常に困難である。少くとも成すに足ることを欲するのは。

 

  • 最も著しい自己嫌悪の徴候はあらゆるものにを見つけることである。いや、必ずしもそればかりではない。その又嘘を見つけることに少しも満足を感じないことである。

 

  • 他をあざけるものは同時に又他に嘲られることを恐れるものである。

 

【言葉・文章について】

 

  • 言行一致の美名を得る為にはまず自己弁護に長じなければならぬ。

 

  • 文章の中にある言葉は辞書の中にある時よりも美しさを加えていなければならぬ。

 

  • 文を作らんとするものの彼自身を恥ずるのは罪悪である。彼自身を恥ずる心の上には如何なる独創の芽も生えたことはない。

 

  • あらゆる言葉は銭のように必ず両面をそなえている。例えば「敏感な」と云う言葉の一面は畢竟ひっきょう臆病な」と云うことに過ぎない。

 

【死について】

 

  • 万人に共通した唯一の感情は死に対する恐怖である。道徳的に自殺の不評判であるのは必ずしも偶然ではないかも知れない。

 

  • 自殺しないものはしないのではない。自殺することの出来ないのである。

 

  • 天国の民は何よりも先に胃袋や生殖器を持っていないはずである。

 

  • わたしは勿論失敗だった。が、わたしを造り出したものは必ず又誰かを作り出すであろう。一本の木の枯れることは極めて区々たる問題に過ぎない。無数の種子を宿している、大きい地面が存在する限りは。

 

「鼻」「芋粥」より

 

  • 人間の心には互に矛盾した二つの感情がある。勿論、誰でも他人の不幸に同情しない者はない。ところがその人がその不幸を、どうにかして切りぬける事が出来ると、今度はこっちで何となく物足りないような心もちがする。少し誇張して云えば、もう一度その人を、同じ不幸にれて見たいような気にさえなる。そうしていつの間にか、消極的ではあるが、ある敵意をその人に対して抱くような事になる。

 

  • 人間は、時として、充(みた)されるか充されないか、わからない欲望の為に、一生を捧げてしまう。

 

「蜘蛛の糸」より

 

  • ある日の事でございます。御釈迦様は極楽の蓮池のふちを、独りでぶらぶら御歩きになっていらっしゃいました。池の中に咲いているの花は、みんな玉のようにまっ白で、そのまん中にある金色の蕊(づい)からは、何とも云えないが、絶間なくあたりへ溢れております。

 

  • 翡翠(ひすい)のような色をした蓮の葉の上に、極楽の蜘蛛が一匹、美しい銀色の糸をかけて居ります。御釈迦様はその蜘蛛の糸をそっと御手に御取りになって、玉のような白蓮の間から、遥か下にある地獄の底へ、まっすぐにそれを御しなさいました。

 

「杜子春」より

 

  • 贅沢に飽きたのじゃありません。人間というものに愛想がつきたのです

 

  • 人間は皆薄情です。私が大金持になった時には、世辞も追従もしますけれど、一旦貧乏になって御覧なさい。しい顔さえもして見せはしません。

 

  • 何になっても、人間らしい、正直な暮しをするつもりです

 

「河童」より

 

  •  河童は我々人間が河童のことを知っているよりもはるかに人間のことを知っています。それは我々人間が河童を捕獲することよりもずっと河童が人間を捕獲することが多いためでしょう。

 

  • 我々人間は僕の前にもたびたび河童の国へ来ているのです。のみならず一生河童の国に住んでいたものも多かったのです。なぜと言ってごらんなさい。僕らはただ河童ではない、人間であるという特権のために働かずに食っていられるのです。

 

  • 河童は我々人間のように一定の皮膚の色を持っていません。なんでもその周囲の色と同じ色に変わってしまう、――たとえば草の中にいる時には草のように緑色に変わり、岩の上にいる時には岩のように灰色に変わるのです。

 

  • 河童はカンガルウのように腹に袋を持っています

 

  • 河童の子どもは生まれるが早いか、もちろん歩いたりしゃべったりするのです。(中略)出産後二十六日目に神の有無について講演をした子どももあったとかいうことです。

 

  • 芸術は何ものの支配をも受けない、芸術のための芸術である、従って芸術家たるものは何よりも先に善悪をした超人でなければなら

 

  • 阿呆はいつも彼以外のものを阿呆であると信じている。

 

  • 我々の自然を愛するのは自然は我々を憎んだり嫉妬したりしないためもないことはない。

 

  • もっとも賢い生活は一時代の習慣を軽蔑しながら、しかもそのまた習慣を少しも破らないように暮らすことである。

 

  • 我々のもっとも誇りたいものは我々の持っていないものだけである。

 

  • 我々の生活に必要な思想は三千年に尽きたかもしれない。我々はただ古いに新しい炎を加えるだけであろう。

 

  • 幸福は苦痛を伴い、平和は倦怠を伴うとすれば、――?

 

  • 自己を弁護することは他人を弁護することよりも困難である。疑うものは弁護士を見よ。

 

  • 我々は人間よりも不幸である。人間は河童ほど進化していない。

 

  • その河童はだれかにだと言われ、は蛙かな? 蛙ではないかな? と毎日考えているうちにとうとう死んでしまったものです。

 

  • 年よりのように欲にもかず、若いもののように色にもおぼれない